パリテ・ナウ

ロスジェネ世代が切り拓く未来。非正規、女性の一人として、等身大の声を上げたい

2019年6月16日

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塩村あやかは、「超就職氷河期」に社会に出た「ロストジェネレーション(ロスジェネ)」世代の一人だ。短大進学のため広島から上京したものの、学生時代は生活費学費を支払うために複数のアルバイトを掛け持ち。卒業後はモデル、ライター、放送作家として非正規で働いてきた。「いつも次の仕事をどうするかに必死で、趣味を持つ余裕もなかった」と言うほどタフな道のりを歩んできた。

不安定な雇用形態のもとで、希望しても親元から自立できない、家庭が持てないなど負の側面が強調されることが多い「ロスジェネ」。一方で、従来の価値観や組織に寄りかかれないからこそ、新しい生き方を模索し、切り開いてきた世代でもある。

塩村自身も非正規雇用の女性として、会社員に比べて不十分な子育て支援や経済格差といった課題に問題意識を深め、動物愛護ボランティアをきっかけに政治に関心を持った。結果、「地盤、看板、鞄」がない中で東京都議会議員に当選。被ばく二世でもあり、平和活動や憲法問題にも取り組んできた。今夏、東京から国政に挑戦する。

「日本の人口にロスジェネという、低収入で単身者のかたまりが出来ているのは、懸念すべきこと。世代の声を反映した政策がまだまだ足りない」と話す塩村に、ロスジェネの抱える課題と希望、目指す政治家像を聞いた。

広島生まれのアイデンティティ、8月6日

——自己紹介をお願いします。

塩村あやかです。生まれは広島県の福山市。高校卒業後に上京してから20年以上住んでいる東京は、第二の故郷です。今回、その東京から国政に挑戦します。

わたしは1990年代後半から2000年代前半の「就職氷河期」に社会に出た、「ロスジェネ」と言われる世代です。都議会議員になるまでは非正規雇用の期間がほとんどを占め、同じ立場の女性の先輩たちが子育てに苦労する姿を見てきました。都議会での「セクハラ野次問題」では、野次を浴びせられた瞬間だけでなく、その後も様々な報道があってつらかったですね。

様々な理不尽を体験してきたからこそ、誰もが生きづらさを感じずに幸せに暮らせる社会をつくりたい。当事者だからこそのリアルな声を政治に届けたいと思っています。

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——子ども時代のことを聞かせてください。広島で過ごした小中学校時代、印象に残っていることはありますか?

広島県ですから、やはり平和教育です。広島に原爆が落とされた8月6日は毎年全校登校日で、原爆について学びます。毎年のことなので、何か一つのものが特別に記憶に残っているわけではないんですけれど、8月6日は一つのセレモニーでしたね。そういう平和教育が広島県民のアイデンティティを育てていると思います。だから東京に出てきて、8月6日が何の日か分からない人がいるのには衝撃を受けました。

好きなことはとことんやる張り切り屋。母と熱中したフットベースボール

——子どものころ、どんなことをするのが好きでしたか?

フットベースボールが大好きでした。地元、福山市で生まれたキックベースを元にしたスポーツです。わたしはとにかく張り切り屋だったので、大会に進もう!とみんなを盛り上げました。周りの子が6年生くらいになってやめてしまっても、わたしは大人にまざって続けていたくらい。好きな分野はとことんやる子でした。

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地域のフットベースボール大会で優勝。母はチーム監督をしていた

——どんなご家庭でしたか?

わたしが小学生の時、母はPTA役員をしたり、地元のフットベースボールの監督をしたり、地域に深く関わっていました。中学生の時に父母が別れたので母は仕事を再開して、学校の隣に美容室を開きました。部活でランニングする時に母がタオルを干している横を通ったりと、友だちにも身近な存在だったので、わたしは母とセットものみたいに見られていましたね(笑)

母は「手に職を持ってないと、女性は生きていけない」と事あるごとに言っていました。その言葉はわたしの中に根付いていて、自分も家族も困らないように、女性が不自由なく働ける環境は重要だと考えています。

父は11歳の時に広島市で被爆し、背中に小さなケロイドがありました。家にほとんど帰ってこない人で、家族にも周りにも大迷惑をかけてきた。自分の父親なんだけど、複雑な思いはいまだに消えていないです。亡くなって何年経っても難しいですね。

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みんなと同じスタートラインに立ちたくて、高校で地元を離れた

——高校、大学では外の学校へ進学されています。地元を離れようと思ったきっかけは何ですか?

小学校では生徒会副会長、中学では陸上部のキャプテン、高校でも生徒会副会長をやってきた、いわゆる「いい子」でした。でも、父があまり家にいなかったりと特殊な家庭環境だったし、生きにくさを感じていたんです。地元では個人単位というより家庭単位で周囲から評価されることが多かった。みんなと同じスタートラインに立てていない感覚がありました。それで、外に出ました。辛いのは今だけ、場所が変われば何もかも変わるだろうと。

高校は隣の岡山県の学校を選びました。1年間だけ寮に入りましたが、いじめにあって退寮。その後は自宅から通いましたがすごく遠かったので、学校での記憶より、通学途中の思い出の方が強いですね。

大学も遠方に出ようと思っていて、憧れもあったので東京行きを決めました。指定校推薦があった短大に親には内緒で申し込み、推薦(辞退禁止)が決定してから親に事後報告をしたら母は仰天(笑) でも送り出してくれました。

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生活費を稼ぎながら短大に通う、限界寸前の2年間

——学費や生活費をご自身で払っていたと伺いました。どんなアルバイトをされていたんですか?

学費の大半は母が払ってくれましたが、足りない分の学費と生活費は全部自分で稼ぎました。まかないが出る飲食店のバイトを常に2、3個かけもちしないと生活できなかった。短大は2年目から就活が始まるんですけど、卒業後のことを考える余裕はありませんでした。いつも疲れて、眠気と戦っていて。あんな生活は、体力的にも気力的にも2年が限界でしたね。

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ロスジェネの世代感覚「いつか景気は回復すると思っていた」

——塩村さんが短大を卒業された1999年は、就職氷河期でした。

1999年は景気の底と言われていました。わたしが希望していた職種はすべて、採用そのものはあっても正社員の募集はありませんでした。

わたしと同世代の人は皆そうかもしれませんが、就職活動中は「一時的にちょっと景気が悪いだけ」で、いつかは景気が上向くと思っていた。小学生の時が高度経済成長期の終盤でしたが、それでもテレビをつければ日本が世界で輸出第1位だとか、過去最大の貿易黒字だって言って、大きな船に自動車がどんどん積み込まれていく。そういう中で育ったので、経済が上向いていたのは特殊な時代だったんだと気づいたのは働き始めた後でしたね。

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——ここ10年ほどで、ロスジェネ世代の苦境が社会問題としてよく取り上げられるようになりました。

ロスジェネ世代の特徴として言われるのは、40歳前後になっても非正規雇用による低賃金に苦しみ、希望しても実家から独立できずに家庭が持てないなど、将来に不安を抱いていることです。日本の働ける世代の中に、独身で収入が低い人たちの塊ができてしまっている。30年以内に親の死を迎え、深刻な社会的孤立に加えて、生活保護を含めた国全体の社会保障コストの増大を招くとも言われています。

これはもう、個人の問題じゃなくて社会の問題なんですよね。経済政策、労働法制の見直しは必須です。具体的には、保育や介護労働の賃金の押し上げや労働環境の改善、非正規雇用の待遇の悪さにつながっている派遣法の見直しに取り組みたい。なにしろわたし自身がロスジェネですから、どれも自分と地続きの問題としてしっかりやっていきたいと思っています。

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都議会に挑戦したきっかけは動物愛護問題。しがらみのない世界に入ったら“先生”と呼ばれて「ぞわっとした」(笑)

——政治の世界を目指したきっかけは何だったんでしょう?

里親会で猫の預かりボランティアをしていたことです。保健所に収容された動物を保護団体が引き出し、その里親が見つかるまでの間、家で預かる活動です。ただ現実的には、保健所にいる動物たち全部を殺処分から助けることはできない。やってもやっても、ザルで水をすくうような感覚でした。

政治家にお願いしても、返事は良いけど動いてはくれなかった。だったら自分がやった方が断然早いと思ったんです。取り組みたくても現役議員だとしがらみがあると聞いて、何のしがらみのないわたしなら出来る、と。当時は政治の世界の慣習をほとんど知らなかったので、当選して都議会事務局から電話で「先生」って言われて、ぞわっとしました(笑)

動物愛護に関してはまだまだ課題がたくさんあります。今後も引き続き、動物愛護関連法の生後56日以内の犬猫販売規制(8週齢規制)の徹底と、ペット流通過程での飼養施設基準強化、虐待犯への刑罰適用の厳格化のための基準策定などを進めていきたいです。

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セクハラ野次をきっかけに、女性の働きやすい環境ができたけど…フリーランスには産休・育休がない

——都議時代には、塩村さんが議員になって1年も経たないころ、妊娠や出産に悩む女性への支援策について東京都側に質問した際に、「自分が早く結婚したらいいじゃないか」、「産めないのか」といった野次を受けた、いわゆる「セクハラ野次」の問題もありました。

日本社会で女性が置かれている状況をあらわにした事件だったと思います。でも騒動をきっかけにして、東京都では子育て支援策が一気に進んでいくことになるんです。女性の働きやすい環境づくりのための良いきっかけになったと、今では思っています。

例えば待機児童の問題も、わたしが都議になった時には市町村の問題だから東京都が直々に扱う課題じゃないと言われていた。でも、住んでいる区と通勤する区が違う人は多いから、一部の地域でなくて東京都全体のマターだ、積極的に取り組むべきだと訴えてきました。

今では待機児童解消は都政の最大課題、数の上ではゼロを目指しますと、議会答弁に入ってくるところまで来た。それでもやっぱり、抜本的に問題を解決するにはおおもとの法改正に切り込まないといけない。

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——塩村さんがフリーランスで働いていた時に感じた女性の労働環境の課題は何ですか?

わたしが30代の時に憧れていた放送作家の先輩女性の多くは、子どもを持たないライフスタイルを選んでいました。なんでかなと思ったら、フリーランスには育休、産休がないんですよね。仕事1件ごとのギャラで生活しているので、子どもを産むと収入が途絶えてしまう。これは大問題です。

それから、在宅で子育てしながら仕事をすることを選んだフリーランスの女性が、仕事上必要な時に週に1、2回でもベビーシッターに子どもを預けられれば良いと思います。待機児童問題を抱える自治体の保育園の定員を埋めなくてすむから、ウィンウィンだと思うんです。欧米ではベビーシッター利用の負担の一部について、所得税の減額が受けられる制度が整っています。日本はまだです。税制の問題にも女性の視点を入れていかないといけないと思います。

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女性が政治の道に挑戦しにくい、負のスパイラル

——立憲民主党が進めるパリテ(議員数の男女同数)についてはどう考えていますか?

女性の議員数が増えるまでは継続していく必要があると思います。世間一般的には、非正規で働いてきたロスジェネのわたしのようなライフコースは、珍しくないはずです。でも、珍しいと言われるのが政治の世界。非正規雇用、独身、子育てなどいろんな経験をしてきた女性が、代表として議会にいけるようにするには、パリテのような、きっかけを作る法律が必要です。

2013年の段階では、わたしみたいな非正規だったという経歴の議員ってそんなにいなかったですよね。最近はいろんなタイプの議員が増えてきて、政治を変えていく原動力になるんじゃないかな。

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——女性が議員になる最大の「壁」は何だと考えていますか?

現状は、格差をなくしていくために必要な声を上げられる女性議員が、格差があるから生まれにくいという、負のスパイラルになっていると思います。男性より賃金が低い傾向や、性別によって役割が固定されること、女性だからという理由で諦めたり我慢しなければいけなかったり、社会にアンフェアな壁がある。

それに女性は、議員になった後も苦労が多いです。大きな会派にいる男性議員の3倍頑張っても、なかなか認められない実感があります。わたしは都議会で所属する委員会では毎回、寄せてもらった意見をもとに質問を出して、全力でやってきました。休める日はだいたい寝ていて、趣味もほぼないくらい(笑) それでも認めてくれる人はごくごく限定的でした。

最近は一般市民や支援者からの「票ハラ」が話題になっていますが、同僚議員など議会内部でのハラスメントも深刻です。あきらめることはないけど、そういった偏見によって、議員活動をやめていく女性も多いと思います。

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塩村が参加していた動物愛護団体が、保健所から引き出した犬猫の譲渡会を行う多摩川河川敷で

「安心して働ける社会」の土台には、まずは実質賃金の底上げが必要

——ロスジェネに限らず、今の日本では将来不安が渦巻いています。これを取り除くために必要なことは何だと思いますか?

政治って、究極的にはどのような人でも一人でも生きていける仕組みをつくることだと思っています。政治が責任を持って社会保障政策や経済政策を行わないといけない。

安心して働くためにはまず、実質賃金を底上げする必要があります。人手不足と言われているけれど、人が足りてないのは賃金が少ないからです。そういう意味では、権利の面からだけでなく経済の観点からも、実質賃金が下がり続ける状況は改善しないといけない。GDPの6割は個人消費ですから、景気を良くするためには、みんなが少しずつ消費を増やせる政策が大切です。

少子高齢化も将来不安の一つと言えるかもしれませんが、子どもをどう増やすかという前に、いま子どもがいる人たち、持ちたい人たちが安心できる環境づくりが必要です。わたし自身、卵管と子宮の癒着により不妊傾向が強く卵子凍結をして望みをつないでいますが、特に仕事がなかなか安定しないロスジェネにとっては、晩婚晩産に伴う不妊治療への支援は重要な政策です。

これからは育児と介護のダブルケアをする人が増える。今までのように家族や地域にケアの責任を押し付けるだけでは限界が来ます。介護保険制度の充実、待機児童の解消などに取り組みたいです。

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将来不安が渦巻く社会だから、「あなたと一緒に理不尽と闘う」政治を

——塩村さんにとって政治はどのような位置づけですか?

世の中を良くしていくための、強力なツールの一つです。わたしと同世代には社会起業家や社会運動をけん引する人たちが、たくさんいます。政治だけが、社会を良くする方法ではない。わたしたちの世代が連携して社会課題を解決していくことで、一般の人々が参加しやすい政治に変わり、議会の古い体質も変わっていくと期待しています。

——最後に、目指す政治家像を教えてください

政治に当事者の視点を入れなければいけない、それには国会に議席が必要です。「奨学金」という名の借金を抱える学生や若い社会人は多いですし、非正規など不安定な雇用、会社に所属していれば受けられる様々な保障がない女性のフリーランスも増えている。

わたしは、いろんな現代の問題について当事者として話せる立ち位置にいると思うんです。女性だから、非正規だから、経済的に苦しい家庭だから、過去にどういう職業についていたから、独身だから…。社会の中にはいろんな理不尽や偏見があって、それを経験してきたからこそ、変えていきたい。そのためにわたし一人でもなく、あなた一人でもなく、一般の人たちと一緒に闘っていける政治家でありたいと思っています。

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塩村あやか AYAKA SHIOMURA

1978年広島県福山市生まれ。高校卒業後に上京、共立女子短期大学卒業。1999年、「超就職氷河期」と呼ばれた時期に非正規雇用で社会に出たロスジェネ。モデル、ライター、放送作家として非正規雇用で働く。放送作家としては多くのテレビ、ラジオ番組を担当。
動物愛護団体でのボランティア活動をきっかけに2013年、東京都議会議員選挙に世田谷区選挙区から出馬し当選。2014年、初の本会議質問時に受けた「セクハラ野次」が大きく報道された。
著書に「女性政治家のリアル」(イースト新書)がある。飼い猫は3匹、ちみ太、たまこ、まるこ。