挫折を乗り越えた“弱虫”元経産省官僚が、ふるさと茨城で目指す新しい地方活性化のかたち

2019年7月12日

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経産省官僚、米国留学、外資系コンサル——。おぬまたくみの経歴は華々しい。でも本当は、「失敗と挫折で価値観が揺さぶられてきた、苦しい10年間のキャリアだった」という。「立派な人間になりたい」という強い思いからくる「あるべき自分像」と現実の乖離。心のバランスを崩し、不眠症にもなった。

「地元は好きで、連休がとれるたびに帰省していた」というおぬま。そのたび、茨城は経済成長から「置いてけぼり」になっている、と感じてきた。中小零細企業の経営者や、非正規雇用の人たち、シングル家庭の人たちは、忙しくてなかなか声をあげられない。

「人に相談できない、自分で自分を追い詰めてしまうつらさを経験した今の等身大の僕なら、相談できずに黙ってしまっている人たちの、リアルな現場の声を聞けるんじゃないか」。そう気づいて、今回の参院選に立候補した。

ひとくちに地域経済の活性化といっても、最低賃金アップなど消費を盛んにするための最低限の政策は打ち出せても、地域独自の方法を一人で見つけ出すのは、難しい。「僕の役目は官民で培った、話し合いの場づくりと、地域のニーズを発掘すること。新しい地方活性化のかたちを、茨城から作っていきたい」と意気込むおぬまに、選挙戦直前、インタビューした。

「立派な人間にならなきゃいけない」一心で努力し続けた子ども時代

——自己紹介をお願いします。

おぬまたくみです。旧大洋村、今の鉾田市生まれで、高校卒業まで地元にいました。大学卒業後は経済産業省の職員として中心市街地の活性化や省エネルギー、新エネルギーの海外展開、中小企業や農林水産品の海外展開などに関わりました。東日本大震災の直後には福島県で被災者支援に従事しました。地域活性化を勉強するための米国留学を経て、ここ2年間は外資系のコンサルティング会社で働いていました。

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——おぬまさんは小学生のころから政治家になるのが夢だったと聞きました。生い立ちも含めて、その理由を教えてください。

そうですね、たしかに夢でしたが、当時はわけもわからずとにかく「立派な人間にならなければならない」という気持ちが、とても強かったんです。今になって思えば、自分で自分にプレッシャーをかけていた。

というのも、僕は農村の一家待望の男の子だったのもあって、幼い時は「かんか孫」(かわいい孫)と祖父母からずいぶんかわいがられたそう。その影響かはわかりませんが、弱虫、泣き虫で人と話すのが苦手、でも馬鹿にはされたくないっていう、なんとも難しい子どもだったんです。

それを見かねた祖母が、僕を厳しく育て始めました。馬鹿にされるのが嫌なら、とにかく勉強して見返してやれ、と。祖母はもともと優秀で勉強好きだったようですが、当時の農村で女性に求められたのは、早く嫁に行き、農作業に加わること。勉強の機会が与えられなかった悔しい思いが僕に託されたのを子どもながらに感じて、一生懸命でした。

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小学生の時の文集には「将来の夢は、内閣に入って、国のためにいい政治をすること」と書いていた

——それは10代になっても続いたんですか?

そうですね、中学・高校はラグビーが盛んな学校だったので、内向的な性格をどうにか変えようと、小さい体格でも活躍できるスクラムハーフというポジションで頑張りました。早稲田大学では、人前で話すのが苦手なのを克服しようと、政治家を多く輩出してきた弁論サークルの「雄弁会」で活動しました。当時は米国での同時多発テロが起こった後で、外交問題に関心がありました。1日1冊は本を読んで、知識を吸収していました。

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早稲田大学雄弁会の活動で、演説するおぬま

目覚めてもベッドから出られない——。経産省での挫折

——その努力の結果、おぬまさんは経産省入省、米国留学、ボストン・コンサルティング・グループに勤務するなど華々しい経歴です。

見栄えは良いのですが、挫折を経験しながら価値観が変わっていった、苦しい10年間でした。実は入省して5年目で中央市街地活性化に関わっていたころに、心のバランスを崩してしまったんです。

街の中心部の活気を取り戻すための部署だったのですが、それまで各地に一律に交付されていた予算が、僕が配属になる直前に見直されて、制度改変を迫られていました。そんな逆風の中、部署員の大半は、各自治体から国政を学びに出向してきた年上の自治体職員さんたち。僕がリーダーシップをとらないといけない立場でした。

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——若いのに、大きなプレッシャーですね。

その重圧で気負ってしまって、コミュニケーションがうまくとれず、政策作りがなかなか前に進まなかったんです。あるべき自分像に、現実の自分が追い付いていないことの劣等感や悔しさで焦り、空回りして、自分で自分を追い込んでいました。深夜残業は当たり前で、コピー機に寄りかかって眠り込んでしまうこともありました。それでもアイディアが出ずに苦しんで、そのうち朝目覚めてもベッドから出られない、出勤もままならなくなってしまいました。

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先輩の言葉で気づいた、「人に助けてもらう」ことの大切さ

——そこから、どうやって抜け出せたのですか?

職場の先輩から「自分だけで解決しようとするな」と言われたことです。中心市街地の活性化とひとくちに言っても、地域によって事情が全然違うから、机上で考えていても抽象的な示唆しか出てこないんです。

だから、全国各地から来た出向の人たちに、地域特有の課題を聞いてみました。そうやって少しずつ、周りに頼るようにしてみたら、少しずつ地域ごとのニーズが分かってきて、具体的な制度にも落とし込めるようになりました。一人で考えていた時には出口がないように思っていたけれど、周りを頼るようにしてみたら、驚くほど前に進むことができたんです。

それまでの僕は「立派な人間になりたい」「リーダーシップを発揮しなければ」と気負ってばかりいました。でも人に頼っていいんだ、むしろ頼らないと前に進まないんだ、と気づけたんです。

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周りに頼れず、追い詰められてしまう無数の人たち。そのつらさを経験した僕なら、声を聞ける

——経産省で仕事をする中で、政治家と接してどんなことを感じましたか?

東日本大震災後、福島第一原子力発電所事故による避難命令で、福島県の富岡町と川内村の人たちが役場ごと郡山市のビックパレットふくしまに移ってきていて、僕はそこで被災者支援をしていました。

そこで地元の議員が政府への要望書をまとめていたのですが、補償やら何やらかっこいい言葉ばかりでした。一方で、僕が現場の人たちから聞いていた一番の困りごとは「今、住むところがないこと」。現場の声と要望のギャップの大きさにびっくりして、思わず口を挟んで、要望書に加筆をさせてもらいました。

直接現場の声を耳にして、それをどうしても書き加えなければ、と思ってやったことだったのですが、地元の議員からは「官僚ふぜいが」って怒られましたね。比較的身近なはずの地方政治家にさえ、現場の声を届けるのは難しいんだな、と体感した出来事でした。

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——今回、参院選に立候補しようと思った理由を教えてください。

挫折し、周りに助けてもらって立ち直ったことで、これって自分だけの問題じゃないんじゃないか、と思うようになりました。僕のように周りに頼れず一人で問題を抱え込んでいる人が、茨城にも全国にもたくさんいるはずだ、と思ったんです。

僕は進学で上京してからずっと、茨城の経済は「置いてけぼり」にされているなと感じてきました。働き口が少ないから、同級生は東京に出た人の方が多いです。都営住宅向けに部品を納入していた零細の工務店の経営者からは、都内の需要が減って売上が落ちていると聞きます。社員を路頭に迷わせるわけにはいかないから、役員報酬を大幅に切り詰めて、なんとか会社を維持していると。水戸の商店街はシャッターが目立ちます。5月下旬に行われた記者会見の様子

——地方経済の疲弊は、全国的な課題でもありますね。

そうですね。ここ20年くらいで、「自己責任」という空気が広まりました。地方の中小零細企業の経営者や、非正規雇用の人たち、シングル家庭の親御さんなど、困りごとがあっても自分のせいだとあきらめやすくなっていると感じます。しかも仕事や家事に追われて忙しい。だから政治の側から声をかけないといけないはずなんですが、先ほど話したように、今の政治は生活の現場から離れ過ぎている。

昔の僕は、雄弁でリーダーシップをとる立派な人間が「政治家」だと憧れていました。でもそうじゃなくて、小さな声を拾って、みんなで相談して解決策を導き出す調整役が、いま求められている「政治家」なんじゃないか。人に相談できない、自分で自分を追い詰めてしまうつらさを経験した今の等身大の僕なら、それができると思い、国政に挑戦を決めたんです。

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地域のみんなが、当事者意識を持って意見を言える場づくりを

——地域経済を発展させるために、どんな法律が必要でしょうか?

大企業や団体は政策提言などをする体力があるから政治も目を向ける。僕がいたようなコンサル会社もそういうところを支援する。だから生産性向上や技術革新が進み、供給サイドは発展してきました。一方で、家計の声は届きにくい。いくら良い製品やサービスができても、それを使う側の所得が増えたり、使いこなせる環境がないと、消費は伸びません。

だからまずは家計を豊かにして、消費を下支えしなければなりません。そのベースとして、最低賃金を上げる、ニーズが強いのに賃金が低い保育や介護の処遇を改善する、などの政策が必要です。

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——茨城では、どんな取り組みが必要でしょう?

暮らしや地域の当事者が集まり、「みんなで知恵を出し合う」ことで、新しいまちづくり、ビジネスの創出を促していきたいです。今までのように大規模な企業を誘致したり、公共事業に頼る地方経済は頭打ちです。誰もが住み続けたくなるような魅力的なまちづくりと、地域の課題を解決するようなビジネスの創出を融合させて、新しい茨城の発展のかたちを目指したい。

そのための方法として、税金以外の財源調達手法である「BID(Business Improvement District)」の発想を取り入れたいと考えています。イギリスや米国、ドイツで導入されていて、地権者に課される負担金を主財源にして、民間事業者が特定の地区を経営する制度です。

地権者たちはお金を出しているから、整備や清掃、警備についていろいろと意見を出す。地域の人たちに当事者意識が出るんです。まだまだ日本では実験段階の制度ですが、地域の人が主体になって自分たちのまちづくり・仕事づくりに参加できるような仕組みづくりを進めていく上で参考になると考えています。いくらかお金を出し合うことで、積極的な話し合いがしやすくなる流れをつくりたい、と思っています。

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「原発ゼロ」は原子力発電発祥の地・茨城から

——おぬまさんは記者会見で「原発ゼロ」を訴えていました。

先ほど話した震災直後の被災者支援の中で、「先祖代々受け継いできた土地を手放さなければいけないのが一番悔しい」と言うおじいちゃんの話を聞きました。この悔しさをもう繰り返しちゃいけないな、と思ったのが、原発のことをきちんと考え始めたきっかけです。

茨城県にある東海第二原発は本来なら、すでに解体される予定だったのに延期を繰り返し、廃炉の費用も当初200億円だと言われていたのが、今では2倍に膨れ上がっています。核燃料サイクルも、何十年経っても完成しない。他国はすでに見切りをつけて撤退していますし、すべての原発は再稼働を認めない、原発ゼロにしていきたいと考えています。

一方、茨城には原発関係での雇用があります。その受け皿になる仕事を生み出さねばなりません。茨城は農山漁村や山林をはじめとして、再生可能エネルギーを作り出すポテンシャルが大きい。農業産出額も全国3位と盛んです。第一次産業と再生可能エネルギーの融合によって、エネルギーの地産地消など、地域経済活性化とセットで考えていきたいです。

立憲民主党の原発ゼロ基本法案の作成過程を追ったドキュメンタリー 「ゼロへの道」

——最後に、意気込みを聞かせてください。

水戸の人には「三ぽい」と言われる気質があります。怒りっぽい、理屈っぽい、飽きっぽいです。これだけ聞くと、けんかっ早くて地域を良くする話し合いなんて難しそう…と思われるかもしれません。僕も選挙で各地を回っていて考えを話しても、「ごしゃっぺだっぺ(でたらめだ)!」って言われてしまうこともあります。

でもそれって、地域のことを思っているからこそ。もっと良くなるはずだ、という気持ちの表れだと思います。新しい地方活性化のかたちをつくるには、いかにその思いをくみ取って、話し合いの場をつくり、地域のニーズを発掘できるか、にかかっていると思います。

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おぬまたくみ TAKUMI ONUMA

1985年、茨城県鉾田市生まれ。上島東小、清真学園中学・高校、早稲田大学政治経済学部卒業。大学在学中に、早大雄弁会幹事長を務める。
2008年、経済産業省に入省。省エネルギー、新エネルギーの海外展開、中小企業や農林水産品の海外展開、中心市街地活性化の法令改正や予算、税制改正などに従事。東日本大震災の直後は、福島県郡山市のビックパレットふくしまに常駐し、現地ボランティアとともに被災者支援を行う。
2015年、タフツ大学フレッチャー法律外交大学院に留学、2017年に国際ビジネス学の修士号取得。同年よりボストン・コンサルティング・グループにコンサルタントとして勤務。エネルギー・環境、エンジニアリング・産業機械、パブリック・セクターなどの産業を担当、組織改革、新規事業参入戦略などのプロジェクトに従事。2019年5月に退職。
趣味はラグビー観戦、喫茶店で読書、ゲームセンターで格闘ゲーム、インターネットでネコの動画を見ること。