ポートレイト・オブ・ハー

誰にも頼れない、そう感じているかつての自分のような人たちに、大丈夫だよって伝えたい

2018年4月8日

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日本の子どもの貧困問題は深刻で、全体で7人に1人、ひとり親の家庭に限れば2人に1人の子どもが貧困状態にある。2月18日告示・2月25日投開票の東京都町田市の市議会選挙に立候補する東友美も、幼少期から深刻な家庭問題を抱え、奨学金とアルバイトによって自分の生きる道を切り拓いてきた。大学を卒業後、製薬会社に勤めていた時代には母親の介護、そして死別も経験した。「ずっと誰にも頼れないと感じていた」と語る彼女は、貧困や介護の当事者としての経験をバネに、今回の選挙に臨もうとしている。

*このインタビュー記事は、過去に掲載したものを再編集しアップしています。

父がいなくなり、誰にも相談できなかった子ども時代

──自己紹介をお願いします。

東友美と言います。東京都町田市出身です。山崎団地という市内の団地に5歳の時に引っ越してきて、幼稚園から小中高まで町田市内の学校に通い、東京農業大学で学んだ後、働き始めてからも、ずっと山崎団地に住んでいます。現在33歳です。

──山崎団地というのは、町田市では有名な団地なんでしょうか?

そうですね。高度成長期に作られたとても大規模な団地なので、みんなかどうかはわからないですが、ほとんどの方はわかるんじゃないかと思います。

──今まではどのようなお仕事でしたか?

東京農業大学を卒業後、製薬会社に就職して、そこでMR(医薬情報担当者)として営業職をしていました。病院やクリニックを回って、お医者様や薬剤師の方々に、薬の情報を提供していく仕事ですね。その後は、自分が農学部で学んだことをもっと活かしたくて、不妊治療のクリニックに転職し、そこで働いていました。

──今回の立候補を決意されたきっかけは?

立候補のきっかけは、友人に誘われて選挙ボランティアをしていた時、ご縁のあった方々に誘われて。最初の政治への想いは、東京の農業を町田という都市と農村が共存するような、緑豊かな場所で守っていくような活動が必要だと言われて、わたしは大学も農学部ですし、自然や動物が大好きなので、興味を持ちました。ただ、今回立候補を決めた動機は、わたし自身の子どもの頃のバックグラウンドの影響も大きいと思います。いまは、かつての自分のような境遇にある子どもたちを支えるような政治家を目指したいと考えています。

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──東さんの子どもの頃の経験というのを聞かせてください。話せる範囲で構いません。

始まりは…小学生の頃、家に知らない人から電話がかかってくるようになったんですね。男の人の声で、「お父さんはいますか?」って。父が仕事で不在なので、わたしが「いません」と答えると、「じゃあ結構です」と切れる。そんな電話が1日に4回も5回も。子どもながらに不思議だったんです。でも、ある時、急に父が家に帰ってこなくなって、同時に父が借金をしていることが発覚しました。ひっきりなしにかかってきた電話は借金の催促だったんです。父親は家を出て行ってからもしばらくは、時どきふらっと帰ってきてましたが、一時期は車の中で寝泊まりしてたような時期もあったみたいで、そのことで駐車場の管理者の方から怒られたり…。決定的だったのは、母親が独身時代から貯めていた、大切な貯金の通帳があったんですけれど、それを父が持っていってしまったことです。実はわたしが父に通帳の場所を聞かれて、答えてしまったんです。子どもだから、自分の親を疑わないじゃないですか。そしたら通帳と印鑑を持っていってしまった。それを最後に、本当に行方がわからなくなってしまいましたね、父は。

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山崎団地に引っ越してきた5歳当時、団地内の公園での写真。

──経済的にはとても大変な状況だったと思います。

そうですね。父の行方がわからなくなって数年後に、ちょうどわたしたち家族が住んでいた団地の棟が建て替えをすることになって。その建て替えにあたって、入居している家庭は建て替えのお金を払って住み続けるか、引っ越すかの選択を迫られていたんですけれど。本当はお金を払ってそのまま同じ場所に住み続けるはずだったんですが、それどころじゃなくなってしまった。結局、同じ団地の中で引越しをしました。

──それが小学生の頃ですか?

父の借金がわかったのが小学生6年生くらいの頃で、引越しの話は大学に入った頃です。最初は父がお金を持ち出していることにわたしは気づいてなかったんです。家庭でお金がなくなっても、普通は自分の勘違いかなって思うじゃないですか。ちょうど思春期だったので、わたしもつらかったですけど…でも、きっとわたしの父親も、誰にも頼れなかったんじゃないかな、って。最近になってそう思うようになりました。

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「大人なら先が見通せることでも、子どもはやっぱり不安になる」

──Twitterでは中学時代にいじめに遭った経験について触れられていました。学校はどうでしたか?

実は、家庭が大変だった中学時代、いじめにも遭って。当時はやっぱり周囲に相談するのは難しかったです。そういう経験があったので、高校では自分の殻にこもっていたというか、できるだけ学校で友達をつくらないようにしていた気がします。「いじめに遭ったら引っ越せばいいんじゃない?」なんて言う人もいますけど、望んだら環境を変えることができる人というのはほんの一部だと思います。

──進学先に農業大学を選んだ理由は?

それは元々動物が好きで。小学校の頃から理科の授業が楽しみで、勉強もずっと理系のほうが得意でした。実験とか、細かい顕微鏡でやるような作業も大好きでした。食べ物、栄養学にも興味があったし、それで農学部の畜産学科を目指しました。

──進学を目指すのは経済的にも厳しかったと思いますが。

そうですね。高校は市内の都立高校だったんですけど、アルバイトができる年齢になったらすぐに、スーパーのレジ打ちの仕事を始めました。高校の時も奨学金をもらっていたんですが、給付ではなく、貸与のものだったので、卒業時点で50万くらい借金がありました。だから卒業後は進学の資金を準備するために、まずファストフード店で一年間アルバイトに専念してお金を貯めました。

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キャッチフレーズは「まっすぐに“不安”と向き合いたい」だった。

──アルバイトしながらの受験勉強は大変ではなかったですか?

うーん、勉強とアルバイトの両立というよりも、気持ちの問題が大きかったかもしれないです。働き出した後から思えば、高校時代の奨学金の額って、すごく大変な額ではなかったんですけれど、当時はすごく重荷に感じて。結局お金がないと、進学したいという意欲があっても、できるかどうかわからない。少なくともわたしは、高校を卒業する時点では進路を決められなかった。大人なら先が見通せることでも、子どもはやっぱり不安になる。まずは貯金をつくって、あとは最終的に話を聞いた祖母が援助してくれたのもあって、どうにか進学することができました。でも、結局大学を出た時には奨学金の返済額は500万円くらいになっていました。

──大学卒業後、製薬会社に勤めていた時代に、お母様の介護を経験したと聞きました。

わたしが会社に勤めていたある日、母親に黄疸が出たんですよね。本当に体中が真っ黄色になって。それで病院で血液検査を受けたんですが、そしたらその日のうちに電話がかかってきて、「いますぐ市民病院に行ってください」って。すい臓がんでした。余命三ヶ月だと告げられて、家族みんなで看病していたんですけれど、かなり大変でした。わたしは奨学金の返済もあって仕事を辞めることはできないし、でも目の前の母の看病をしなければいけない。母親もきっとすごくストレスがあったと思うんですけど、料理の味が気にいらない、とか、時にはわたしにも暴力的な態度に出ることもありました。やっぱり家族同士でケアをしていると、お互い感情的になるんです。仕事をしながらの介護の大変さを実感しました。

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当事者として経験したことを政治の世界へ「家庭の中で起こっていることは外からは見えづらい」

──東さんのこれまでの様々な経験は、今後の政治活動にも影響を与えそうですか?

それは間違いなくそうです。自分が当事者として経験したことを活かして、誰かを少しでも救えたらと思ってます。でも、困っている人がいること自体に、当事者以外の人はなかなか気づけない。とくに家庭の中で起こっていることは外からは見えづらい。だからまずは声をあげやすい、相談しやすい環境をどうつくるか。そうしたサポートの充実を中心に置いた政策を考えたいと思います。

──町田を「こういうまちにしたい」というのはありますか?

わたしは、地域社会には、それぞれ抱えている悩みを持ち寄って、お互いに支え合うコミュニティのようなものが必要だと思ってます。そしてそのコミュニティの力をどう引き出していくのか、ということも。たとえば町田では空き家が増えているんですけど、そういう既存の場所を使ってなにかできないか、考えています。大きいハコモノを作ってどうこうというよりは、いまあるものをうまく利用して、人と人とをつなぐようなことができれば。わたしは農学部だったのもあって、自然の保護や農業政策にも関心が高いです。空き家の問題でも、自然の問題でも、その課題の解決のプロセスに多様な人が関わることで、ポジティブなものが生まれるんじゃないかなって。

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──多様性という点では、LGBTの方々に関連する施策にも言及されてます。

ジェンダーの問題に限らずですが、多様性を認め合うことは、とても重要だと思ってます。実はわたしの周囲にもLGBTであることをカミングアウトしてくれた友人が何人かいます。どんな人だろうとこの日本という社会、町田という地域社会の一員で、だから当然平等に尊重され、権利が守られるべきだと思うんです。だからそれを承認するかどうか、そこを議論しなくちゃいけないこと自体が悲しいことだなって。LGBTの人たちも含めて、みんなが自由に暮らせる社会にしていきたいと思ってます。

──日本の男女間格差、とくに政治の世界での女性議員の少なさについてはどう考えていますか?

ひとくくりに語れるものではないと思うんですが、やはり子育てや介護などのケアの分野では多くの女性が働いています。最終的には個人の資質なんでしょうけれど、より現場のニーズに応える制度や政策づくりを進めるという意味では、やっぱり女性議員はもっと増えた方がいいんじゃないかと。個人的なことで言えば、わたしは不妊治療クリニックに勤めてた経験があるので、女性特有の生きづらさも感じていました。不妊の問題って、子供ができない原因自体は男性にも、女性にもあるのですが、その問題を抱えてしまうのは結局女性だったりするんです。そういう複雑なニュアンスの問題にも寄りそっていきたいと思います。

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「誰もが自由に生きられる社会へ、まずは町田から。」

──町田は最近では映画の舞台にもなるなど、東京の市町村の中でも独特の注目度があると言われます。東さんにとってはどういう町ですか?

そうですね…わたしにとって…どういう町なんでしょう(笑)。5歳で引っ越してきて、ずっとこの町に住んでいるので、つらいこともあったけれど、愛着はすごくあります。とりあえず、他の場所に出かけて、戻って来て「かなちゅう」(神奈川中央交通)のバスに乗ると、「帰ってきたな」って安心感がありますね(笑)。

──すでに街頭にも立たれていると思うんですが、感触はどうでしょうか?

まったく初めての経験なので、演説も勉強中です。自分のことを大勢の人前で話すのも、地域のみなさんに挨拶回りをするのも、まだ慣れてなくて。わたしは10代のとき以来、自分の殻にこもっていたようなところがあったので。あ、でもこのまえ挨拶回りをしていたときに同級の子とたまたま会いました。懐かしかったし、嬉しかったですけど、やっぱりまだ緊張しました。慣れていかなきゃいけないですね。

──今回立憲民主党から立候補を決めたのは?

立候補を決める前に、政策や綱領にじっくり目を通して、これなら賛同できるなと感じました。でも…こんなこと言うと怒られるかもしれないけれど、わたしはこれまで「立憲民主党」っていう組織を強く意識して生きてきたわけではないので。あっちにこっちに右往左往する政治家の人たちが多い中で、ちゃんと信念を持った人たちが集まっていて、そこはすごくいいなと思っています。

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──じゃあ政党についてはどちらかというとクールな見方を?

生意気な言い方に聞こえるかもしれないですが、お互いに可能性を広げられればって思うんです。わたしも、立憲民主党っていう組織に属することで、自分の声がもっと遠くまで届くようになるかもしれないし、立憲民主党も、わたしという個人の力を最大限に引き出して、掲げる政策を前に進めていくことができるかもしれない。一番大切なのは、本当に困っている人の力になったり、頑張ろうとしている人の背中を押すことだと思うんです。「わたしが」とか「党が」というのは後からついてくるもので、そんなに気にすることじゃない気がします。

──町田市民の方々へのメッセージがあれば。

わたしは幼少期に家族の問題にぶつかりました。でも、当事者からすると周囲に助けを求めるということはどうしてもハードルが高かった。行政だったり、法律の専門家だったり、そういう公的な機関に相談できないまま、ただ家族だけで苦しんでいました。かつてのわたしと同じ悩みを抱えている方はたくさんいると思うし、わたしとは違う悩みを抱えている人もたくさんいると思います。ただ、「東になら相談しやすいな」って、そう思ってもらえるような存在になって、困っている市民と行政との距離を縮めたいです。とにかく1人で悩んだり、家族で抱え込んだりしないでほしい。みなさんをサポートできるような政治家になるつもりです。

──最後に、東さんの目指す社会を一言でいうと?

「誰もが居場所を持てる社会」です。誰にでも平等に、居場所があって、好きなことができて、可能な限り職業を選択できて、自由に生きられる社会。社会といったら大げさかもしれないですけど、誰もが自由に生きられる社会へ、まずは町田から。

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東友美 HIGASHI,TOMOMI

1984年生まれ。5歳から現在まで山崎団地在住。正和幼稚園、市立忠生第五小学校、市立山崎中学校、都立忠生高校を卒業後、東京農業大学農学部で学ぶ。製薬会社にてMR(医療情報担当者職)として働いた後、不妊治療クリニックで培養技師として勤務。母の介護を通じ、介護と仕事の両立の難しさを実感した。趣味は旅行、家庭菜園、スキューバダイビング。上写真は、山崎団地に入居した5歳当時の写真と同じ場所で撮影。