【プロフィール】
選挙区=北多摩第一(東村山市、東大和市、武蔵村山市)
地元の魅力=志村けんさんの故郷
好きな本=『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)
人生初の仕事=日本航空国際線CA
尊敬する人=父
長所=世話好きな所(たまにウザがられる)
https://suzukiemiko.jp/
https://twitter.com/emikosuzukisns


――小さい頃からCAになるのが夢だったんですか?

 実家が地元大学生の下宿を経営していました。20人近くの学生たちに囲まれた生活で、幼稚園のころから食事の支度を手伝っていたので、「人のために何かをする」喜びを感じるようになりました。海外への憧れもあり、世話好きな私にはキャビンアテンダントが天職ではないかと思って、日本航空に就職しました。

 国際線のCAとして世界中を飛び回り、充実した毎日でした。最終役職はアシスタントパーサーなのですが、本当は「教官」になりたかった。教えることが好きですし、若い世代を育てていくことに強い関心があったのですが、やっぱり、家庭との両立は難しかったんですね。教官になった同期は、当時は2人とも独身でした。
キャリアも子育ても両立できたら…という思いは強かったです。

――14年勤められて、どうしてお辞めになったんですか?

 このままでは、「子どもを失ってしまう」と思ったからです。
私、1人目の子どもを1カ月検診の前日に亡くしているんです。2人目の子も29週で生まれ、3カ月ずっと保育器で、「いつ亡くなってもおかしくない」と言われていました。無事に退院できたものの、気管支が弱く風邪をひいたら救急外来。月に1度は入院していました。寝る時もジーンズのままでした。
退職を決めたのは、3人目を産んだときです。「もう、この子たちを失うわけにはいかない」と。

 当時は「自分が我慢すればいい」という気持ちの中で決着させてしまいましたが、もうちょっと頑張れば良かったかもしれない、と思います。
今となっては、当時の選択は間違っていなかったと思いますが、それでも、社会のシステムが整っていたら…とつくづく感じます。

――今回、初めて政治の世界に飛び込もう、と決意なさったのは?

 5年前から幼児教室を経営していて、いろいろなお子さんに勉強を教えています。中には、発達障がいと診断されているわけではないけれど、「グレーゾーン」の子どもたちがいます。
医師による診断がなければ支援を受けることができなかったり、保護者の方もその事実を認めたくない気持ちがあったり。その狭間で、子どもたちが一番困っているんです。どうして自分は勉強ができないのか、片付けられないのか…。わからないことは不安ですし、わからないままでは解決策も見いだせません。
診断名が付いていても、付いていなくても、困った時に気軽に立ち寄れる相談窓口や支援があればいいのに…と思ったのが、立候補しようと決意した大きなきっかけです。

 それと、会社員だった夫が市議会議員になり、私自身も変わりました。夫の仕事を間近で見せてもらって、自分も教育に関わるようになって、「どうしてこんな社会なの?」「もっと使いやすい制度に変えられないの?」など、「家庭内陳情」をするようになったんです。
すると夫は、「そんなに思いがあるなら、君がやればいいじゃないか」って。背中を押してもらいました。


――都議会で取り組みたいことは何ですか?

 先ほどお話した、いろいろな個性を持っている子どもたち、発達に不安のある子どもたち、悩んでいる保護者の方々への支援が必要だと思います。相談への垣根を低くすること、ワンストップで支援につながること、継続性も重要です。
 自分の経験から、やはり、女性が働き続けられるための施策に取り組みたいです。今も、多くの女性たちが仕事と家庭の両立に悩んでいます。この課題こそ、政治の力が必要だと痛感しています。仕事も家庭も諦めたくない、という女性たちの思いを支えたい、と思っています。