来たる衆院総選挙に向けて、「無敗の男」と呼ばれ、14回の当選を重ねる中村喜四郎衆院議員に総選挙に臨む姿勢、野党のあり方について聞きました。

自分がどういう人間かを知ってもらう

 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けはなし」。間違って勝つことはあるが、理由がなく負けることはない。負けるとしたら、全て自分に都合よく物事を解釈したことによって敗れる。だから客観的に物事を見ることが大切だ。自分目線で物事を絶対に見ず、有権者目線で見る。

 有権者はどちらかというと冷ややかに第三者的に物事を見る。「国会でこういうことをやりました」というのは自己宣伝であって、それを有権者がどう見るかは全く別問題。自分が伝えたいことを言っているだけで、有権者はそれに興味がなければ、いくら伝えたいと思っても空回りする。

 大切なのは、自分がどういう人間なのかを知ってもらうこと。裏表がある人なのか。ハッタリをかます人なのか。不誠実なのか、杜撰(ずさん)なのか。自分自身を磨いていくしかない。簡単に言えば、選挙の時に選挙運動するのではなく、毎日を選挙と捉える。選挙が終わった次の日からまた次の選挙に向かって、選挙運動と位置づけて活動していく。こういう原理原則を崩さないようにやることに尽きる。その結果で今までは勝てた。

お金に頼ろうとするから選挙運動がダメになる

 両親が参院議員でも、衆院選に出るのは全く別世界の戦いが求められる。参院は知名度があれば、ある程度選挙戦ができる。ところが衆院だと、人間関係を作れなければ、選挙ができない、私の場合は参院議員の息子だったので、選挙に必要な地盤・看板・鞄という三つの条件のうち看板しかなかった。地盤と鞄はなかった。まずそれを自覚し、相当の負荷になると考えた。

 どうすればいいか。普通の衆院議員がしないことをやろうと考えた。昔は中選挙区制だったから、A 議員は、農協出身だから農林関係、B議員は商工関係、C議員は厚生関係というように得意分野を分けて自民党は押さえていた。その中に割って入るわけだから、団体に入らない人たちを自分でネットワークするしかなかった。町会議員や市会議員選挙の候補者が頼みに行くような票をあまり持っていない人に頼みに行く。そうした人たちを手繰っていき、その人たちを中心にネットワークを作った。

 だから二世、三世といっても、やっていることは初めて選挙をやる人と同じように努力した。地盤・看板・鞄の三つの条件を自分は満たしているか、満たしてないかを自己認識することが大切だ。三つないのか、二つないのか、一つないのか。まずそれを自覚する。三つともなければ、それがある人に比べて3倍努力しなければならない。一つ持っていれば2倍努力すればいい。

 私の場合、出馬に際し戸籍名を喜四郎に改め、父の名前を継ぐことによって、現職の衆院議員並みの知名度になった。あとは地盤と鞄。鞄は当選しなければ持てないので、お金を使わないで足を使って運動した。お金に頼ろうとするから選挙運動がダメになる。物量に頼るということは、それだけ足を運ばなくなるから。私はお金がなかったから、もう徹底して自分でやった。

党は最後の付け足し、選挙は自分で戦うもの

 与党か野党かに分けたがる人がいるが、私はナンセンスだと思う。有権者は、与党であろうと、野党であろうと、どんな人間なのかというのを知りたがっているわけだから。中選挙区制の頃に共産党や社会党で勝った人は魅力のある人だった。ところが今は、自分のことを言っても興味を持ってもらえないから、だんだん党のことしか言わなくなっている。

 選挙は党がやるのではない。自分が戦うものだ。党は最後の付け足しくらいの気持ちでやっていかないと。「立憲民主党の」「自由民主党の」ではないでしょう。自分がどういう人間かというのをアピールしなくてはいけない。小選挙制となって政治家が堕落した。自分を磨かないで、政党の名前を名乗っていればいいと。それで投票率がどんどん下がり、70%から55%まで落ちてしまった。1500万人の有権者が逃げてしまった。この人たちが投票に戻ってくれば、政治は変わる。それを戻すために熱くなくてはいけないのが政治家の仕事なのに、その大きな流れに取り組もうとしないで、目先のことだけをやっている印象だ。

自分ができないことは人にもやらせない

 自分の事務所の人間に「こうしろ」「ああしろ」と言うことは何でも、自分でもできる。何でも人任せにしない、自分で全部やることができる。自分ができないことは人にもやらせない。自分ができることをやっていく。率先垂範で何でもやる。毎週末の土曜、日曜、祝日は地元を回っている。秘書と交代して運転し歩いている。秘書に運転させて自分が脇に乗ることを日常化すると、秘書にとっても大変だ。苦労を分かち合うものと思っているので、自分も同じようにやる。

 (自分が運転していることを)どう見られるかということに一切興味がない。カッコつけたり、偉そうに見せたり、そんなことはナンセンスだというのが私の政治姿勢だ。中村喜四郎はそういうことに全くこだわらない人だというのが、選挙区の人に浸透している。

 例えば、挨拶する順序を自民党の議員が先にやりたいというなら、「どうぞ、どうぞ、私は最後でいいですから」と。そんなものはどうでもいい。そんなことで偉く見せたいという人がいれば「どうぞ、上席に座っていただいて結構です」と伝える。

 立憲民主党の会合でも一番下座にいつも座っている。上座に座ることに何の意味があるのかと思っている口だから。それは地元だけではなくて、東京でも同じ。それはもう徹底している。各党党首が集まってもらっても私は一番下座に座る。下座に座ってもなんとも思わない。挨拶の順番が最後でも、何とも思わないためには、しっかりと有権者の心をつかもうという日常の努力をしていないとできない。

他人にやってもらうのではなくて自分で一生懸命やるもの

 選挙というのは、次は分からない。今度は立憲民主党に来て初めてやる選挙。「今まで中村は自民党だったが、野党になった」。それによって「立憲ではダメだ」と言って落とされることも十分ある。その危険を顧みずに挑戦する。無所属の時もいつも「今度は落ちる」と思いながら選挙をしてきた。中選挙区制の時は、5人区だったので、何としてもトップ当選するという目標を掲げて戦った。「当選できるかもしれない」という気持ちを少しでも持ったら、有権者に伝わってしまう。この人はやっぱりそう思っているなと。

 オートバイに乗ったりしているのは、自分の真剣度を多くの人に知ってもらうため。真剣度を伝えなければ選挙はできない。だから団体の推薦をもらうとか、あの人がやってくれているから今度は有利だとか、そういうのは私からすれば、ほとんど意味がない。選挙は、他人にやってもらうのではなくて自分で一生懸命にやるもの。

選挙を怖がらなくなったら落ちる時

 土曜、日曜、祝日は全て選挙運動と捉えている。1年のうちの120日は選挙運動をやっているようなもの。街宣車に使って選挙区内を歩く。選挙区を回ると、1300キロメートルくらいあるが、月に2回は必ず歩く。だいたいコースは全部決まっていて、5分と違わない。時間を正確に刻みながら走っていく。週末になると、「そろそろ中村喜四郎来るな」という距離感。それで人が出てくるかというと、家にいて誰も出てこない。

 私を支持している人は、「おじいちゃん、中村喜四郎がそろそろ来るね」「そうだな」と言っているうちに中村喜四郎の声が聞こえてくる。そういうのを子どもの頃から聞いている。おじいちゃんが亡くなると、お父さんがやってくれる。お父さんが亡くなったならば、孫がやってくれる。そういう家族の確認のためにポスターを貼っておいてもらう。見えないところで構わない。居間だって台所だって構わない。どこでもいいから。外に見せるためには貼らない。

 日常活動を十分やっているから外に貼る必要がない。それでも選挙で勝てるかといったら、この次は分からない。このように選挙は難しいもの。これだけやれば「絶対」というのが明らかではないから怖い。選挙を怖がらなくなったら落ちる時だと思う。選挙は何回やったって怖い。それを怖いと思っているだけではなくて、本当に怖いと思えるかどうかだ。

天職だと思えば、どんなことがあってもたいしたことはない

 政治家に何のためになったのかをきちんと強く意識して行動すること。志をしっかりと持つ。公正公平な社会や国を作りたい。理不尽を許さない。社会正義を貫く。責任感を磨く。人間性を磨いていく。究極は、「勝ちに不思議の勝ちあり。負けるに不思議の負けなし」。勝ちは、間違って勝つことあるけど、負ける時には自分に油断があって負けている。自分に向き合っていくしかない。

 自分とどう向き合えるか。政治家になったことが天職だと思えるか。思えれば苦しくないはず。天職ではないと思った時は辞めた方がいい。こんな仕事は理に合わない。天職だと思えば、どんなことがあってもたいしたことない。私は自分が好きでなった仕事だったから事件の時でも、このぐらいのことは仕方がない。昔だったら命を取られたのが政治家だ。有権者に恥ずかしくない生き方をしなくてはいけないと自分で思えるか。それに従ってやればいい。

選挙を自分で戦えれば、政権担当能力は自動的に身につく

 選挙を戦う能力がないと政権なんか担当できない。政権担当能力という前に、選挙を自分で戦っているかと。それができていれば、政権担当能力は自動的に簡単に身につくでしょう。自分で選挙を戦っていれば、取捨選択が自分でできるようになる。何を優先し何を捨てるか。どこをやらなくてはいけないか。それを自分の頭で考えながらやらないと選挙運動はできない。他人任せにやっているから「担当能力がない」と言われてしまう。

 選挙運動をやらないと、良い政治家になれない。選挙運動を有権者にこびへつらうもの、また生産性がないものというような受けとめ方をしている人もいるが、とんでもない間違いだ。自分の有権者の心をつかめないで、国民の心をつかまえられるはずがない。かつての中選挙区で勝てるくらいになれば、小選挙区の戦いは楽だ。中選挙区で勝つには、党より自分を売り込まなくてはならない。自分が選挙をやるのだから党は関係ない。私は、自民党の時もポスターに自民党公認と書いたことがない。立憲民主党になっても書かない。

 政党掲示板も一枚もない。これからも作らない。ポスターは自宅に貼ってもらうもので、外に貼るものではないというのが私の持論。支持者の家に貼ってもらっている。家族全員が「うちは中村だ」と確認するためにポスターが家の中に貼ってある。そういう意識でポスターを捉えている。だから選挙になって名前と顔を覚えてもらおうという考え方は、日常活動が少ないからだと思う。

群れると思考能力が停止する

 自民党から離れ無所属で20年間過ごし、政治がどうなってきたのかをよく見ていたら、自民党がどんどん劣化していると感じた。その最大の原因は野党が弱いから。それで野党に行って、汗をかいてみようと考えた。常に大義や天下国家、政治家としての使命感や志、公正、公平を強く意識しながら活動している。それが一番大切だ。そこがないと、政治家の価値がない。

 それから私は群れない。群れると、発言力が鈍る。群れると、政治家としての思考能力が停止する。自民党には優秀な議員がいっぱいいるが、その人たちは黙っている。考えなくなっている。考えたら言いたくなるでしょう。ところが群れていれば、考えなくていい。今、自民党の議員は群れることによって、思考能力を停止して発言をしない。

自分の言葉に責任を持ち、やれることをどんどんする

 野党には、発言はするが、行動が伴わない議員がいる。発言をしたら、行動が伴わないとダメ。私は「与野党伯仲を目指す」と、マスコミでも何度も主張した。だから与野党伯仲に向けどう運動するかを自分に問いかけてきた。

 この3年間に新潟県の知事選挙で3つの衆院選挙区を歩いた。高知県は2つ、広島県は1つ、埼玉県は1つ、千葉県は7つ、静岡県は5つ、東京は4つ、神奈川県は5つ、福岡県を2つ。これまで23選挙区を歩いた。残りの神奈川と福岡の7つを歩くと30選挙区になる。

 ただ、「歩く」といっても、野党の人は「来てください」とは言わない。こちらから「行かしてくれ」と頼んでいる。聞いてみると、先輩が選挙区を一緒に歩いたことがある人が1人もいなかった。人のために汗をかいて歩こうとする先輩と歩いてもらう後輩との関係はどういうものか。先輩が後輩の選挙区を一日かけて、30軒も40軒も歩く。昔の自民党は、「来てください」と頼んだのが、私が知っている頃の自民党。ところが今の自民党の議員も言わなくなって、野党と同じになってきた。

 自分から汗をかく。あれだけマスコミで言ったわけだから、「中村喜四郎、何をやったんだ?」と聞かれて、「あそこで言っただけか。なんだよ、それ」と言われないようにする。誰も頼んでこないから自分から「行かしてくれ」と売り込む。格好なんかつける必要はない。どう思われたって構わない。自分の言葉に責任を持ってやれることはどんどんやっていく。

 ただ、後輩から「会合をやりたい」と言われても、「ダメだ」と返事している。会合は、普通の政治家がやること。人に集まってもらって、そこで演説をぶって、「皆さんよろしくお願いします」と言うだけ。大した苦労ではない。ところが一日歩けば、8時間も9時間も歩くわけだから、どこそこ選挙区はどうだとか、そういう状況が頭に入ってくるし、一緒に汗を流した実感もつながってくる。そういうのが人間関係では必要だ。「風を待っている」ことをいつまでやったって何も変わらない。

投票率を上げる108万人の国民運動

 野党は組合ばかりに頼ろうとする。そこから抜け出さなくてはいけないのに、抜け出す方法を誰も探そうと思わない。簡単な方法がある。投票率がこんなに下がったのだから、投票率を上げる運動が野党の生きる道だ。それで自民党の党員数(2019年)を上回る108万人の署名を目指し、「投票率10%アップを目指す108万人国民運動」をやろうと企画し、野党の人たちに呼びかけた。協力してくれた人と、さほど協力しない人とを合わせて、20万人の署名が1年弱で集まった。

 次の選挙で私がどうなるか分からないが、もし当選できたら、108万人を目指してまた投票率10%アップの運動をやる。そして100万人になったらば、その人たちに野党の応援団になってもらう。「今の政治に疑問あり」と言っている人が署名しているわけだから。そういう人たちを引き寄せ、力を借りることができるようになって初めて、組合の力を借りなくてはいけない。

 自分たちのことをやらないで、信頼関係ができるわけがない。それもないのに「頼む。頼む」とやっているから、組合の言いなりになるしかない。まず自分たちで汗をかく。政治家は、自分で選挙運動すべき。人に頼っていたのではダメ。これが私の持論。そういう気持ちを共有してくれる人を1人でも2人でも探していく。

心を揺さぶっていくように政治はやらないと

 その国民運動で一番頑張ってくれた広田一代議士が、運動の事務局長を務めている。その彼が「苦戦している」と言って「事務所開きで講演してくれ」と頼んできたから、「講演なんかではダメだ」「講演に呼ぶ人を一軒一軒歩こう。招待状をもって私が行くから」と伝えた。車で片道1時間半もかかる山奥であろうが、そこに招待状を持って「広田を頼むと言っていこう。そうすればきっと気持ちが届く」と話した。招待状をもらった側は「俺の家まで中村喜四郎が来た。そこまでやるか」と。そこまでやらないと選挙運動はダメ。「この男のために」と思って1週間泊まり込んで高知県を歩く。

 そこまでやれるかというと普通はやれない。それをやらないと、人の気持ちは動かない。人間と人間が心を揺さぶられるように政治はやらないと。言葉だけ、言葉遊びをしているような薄っぺらなことでは有権者は動かない。それでも結果はどうなるか分からない。私が投票率向上の国民運動の呼びかけをした時に、ただ一人、広田氏が最初についてきて、一緒に国会の中を歩いてくれた。その心意気はやっぱり先輩として深く受け止めなくてはいけない。

選挙に絡んでいく

 どんどん選挙に絡まなくてはダメだ。知事選挙でも何の選挙でもどんどん絡む。積極的に絡んでいくことによって道は開ける。私は新潟県にはじまって、高知県、東京都、埼玉県、千葉県、静岡県のそれぞれの選挙に「行こう」と誘っても誰も行かないから自分1人で行った。そうすることによって、そこに繋がっている立憲の人たちに応援のチャンスが出てくるわけだ。そうやって道を開いていかなくてはならない。弱い野党なのだから選挙をテコにしなくてどうやって強くなれるのか。

 こういう運動を皆でやれる政党になれば、国民の方が関心を持ってくれる。ところがそうした国民を向いた運動をやってない。やはり選挙で国民を巻き込み、選挙でジャッジしてもらうのが政治家でしょう。国会でどうやるかよりも、選挙民を巻き込むのが政治家だ。相手が敵失、エラーを繰り返しているのだから、そのまま選挙戦に入っていく。そして選挙で決着つける。それがプロではないか。野党はそうでなくては、迫力が出ないのではないか。

国民の中にどんどんどんどん入っていく

 常に国民に近い立場に野党はいるか。実際は与党も近くないけど野党も近くない。永田町だけで政治をやっている。有権者の声に近い野党になるために何をすべきなのか。今の自民党は小選挙区制に乗っかってもう動けない。野党は昔の自民党がどうやっていたのかを学べばいい。地域にしっかりと根ざして国民の方を向いて、そして責任あることを言ったり、やったりすることを重視していた。

 そうした方向を打ち出せば、国民が安心してくるのに、どっちを向いているか分からないみたいな話をしているからダメなんだ。国民の関心に対して、しっかりと目を向けていけば、おのずから間違った議論ができるはずがない。議論していくことは大切で、野党の中で議論百出するようにすればいい。昔の自民党は議論百出したわけだから。

 活発な議論をして、皆で決めたことは守る。それが大切だ。批判ではない。議論すると言って、「あいつはダメだ」「こいつはダメだ」というような子どもの喧嘩では話にならないが、国家国民のために議論は大いにすべきだ。そういう昔の自民党を目指す。「二大政党時代」を作ると言ったのだから、そこに大きな方向がなければいけないのに、大きな方向を示してない。だから野党はダメだと言われる。

 もう今の自民党は、昔の自民党には絶対戻れない。楽なことをしてしまったら、恐ろしいけど、苦労する方に戻れない。野党は与党と違って苦労する方向に行かなくては野党の価値がないのに、苦労する方向に行こうとしなくては国民が関心を持ってこない。昔の自民党は苦労して国民の声を聞こうとした。野党は苦労する方に向かう。国民の中にどんどん、どんどん、どんどん入って意見を聞く。