7月25日に東京大空襲・戦災資料センターを訪問し、展示を見学、体験者から話を聞いた大学生の声を紹介します。

戦争の記憶の継承について

 新聞に1枚の写真が載っていた。青い海と、そこで泳ぐ満面の笑みの男の子が写った1枚である。はじめはなんの違和感もなく、ただ1枚の夏の風景として特に気にも留めなかった。しかし記事の内容を読んで気がついた。その写真は戦争で亡くなった子供のものだったのだ。戦争に関する写真や映像は何度も見たが、それらは全てモノクロで現実感のないどこか遠くの出来事だった。きっとこの海と男の子の写真も白黒であれば、ただ1枚の「戦争の被害者」の記録としてしか見なかっただろう。色が付くだけで途端に彼らが生きていたことを実感させられると同時に、戦争の存在がグッと現実感を帯びた。

 頻繁に夏休みの課題として出されたこともあり、戦争体験を伺う機会は何度もあった。しかしそれらは写真以上に現実味がなく、特に小学生の頃は物語の1つのように捉えていたように思える。私も親類の話を聞いたが、写真とは異なり当時の実際の様子は想像することしか出来ないし、当然カラーになって急に現実感が増した、ということもない。それでも小学生の頃と比べて色々な人の話を聞き、歴史を学び、本などから知識も増えた。それらが少しずつその体験を色づけ、自分の中の戦争を物語から事実に昇華できるようになった思う。

 そのなかで、体験を聞いた際に可能であれば1つ質問をすることに決めている。それは「8月15日の玉音放送を聞いてどう思ったか」というものだ。今まで私が聞いた中で、敗戦が悔しかったと答えたのは祖父だけだった。安心した、嬉しかったという答えを聞く度にどこかほっと胸を撫で下ろす自分がいる。戦争は悪だと幼い頃から学んだ私にとって、いつ死ぬか分からない戦争の終結を喜ばないという考え方はどうしても違和感と恐怖を感じるものなのだ。先日空襲体験を伺った二瓶さんも、嬉しかったと話して下さった。しかし手を叩いて小躍りしていると、兄に殴られた、とも仰っていた。終戦の安堵より、敗戦の悔しさが勝つというのは私の祖父と重なる。祖父は戦時中、どうやって死のうかと毎日考えていたらしい。現代を生きる私には想像もつかないことだが、きっとその悔しさは戦時下で国を信じこまされ生きていた人間にしか理解できないものであり、その苦しみを知らない人間が否定してはならない感情だろう。

 私たちは戦争体験を直接聞ける最後の世代だ。体験者がいなくなってしまう日はそう遠くない。最近ではAI夏目漱石などといって、人工知能に故人の人格を当て嵌めて(はめて)話をさせる技術がある。それを用いれば、私たちの後の世代にもその記録を伝えることは出来るだろう。しかしAIは決して当事者ではない。記録を伝えることはできても、記憶を伝えることはできないのだ。終戦の日の玉音放送の内容や天気はわかっても、それを聞いた時の風の匂いや蝉の声、空襲が来ない空の青さをAIは伝えられない。誰もいなくなってしまう前に最後の世代がこの記憶を継承していかなければならない。