阪神淡路大震災の教訓も生かし、東日本大震災後、災害時におけるジェンダー視点の重要性が認識されるようになりました。仙台在住で女性支援に取り組んできたNPO法人「ハーティ仙台」代表の八幡悦子さんに、東日本大震災当時の避難所での女性特有の課題、解決に向けた取り組みと成果、今取り組んでいることについてインタビューしました。

八幡悦子(やはた・えつこさん(NPO 法人「ハーティ仙台」代表)
病院に助産師として約10年勤務。その後仙台でDV・性暴力被害女性の支援活動。女性、子どもに関わる各種セミナーの講師。現在も少年院・看護師学校等で講義をしている。

―――避難所の女性支援

 避難所での支援に関わるようになったのは2011年の4月からです。4月になってガソリンを手に入れることができるようになったので、避難所へ行きました。走っている車はパトカーと自衛隊の車だけです。沿岸部の道の照明が一切なく、車のライトだけです。三陸道で行きますが、海沿いの町は真っ暗です。江戸時代はこんな感じだったのかと思いました。夜の7時に火葬場で叔母を火葬した後に東松島付近を走ると、川の脇の道路は崩れていました。怖かったです、
 せっせっと避難所に通っていました。次第に「ハーティ仙台」の仲間も行きたいと言い出して、どんどん被災地支援を始めました。

―――八幡さんも執筆された『女たちが動く―東日本大震災と男女共同参画視点の支援』(みやぎの女性支援を記録する会/生活思想社)では、男性リーダーが「被災者は皆で連帯感を強めよう」と言ってついたてを設置せず、女性たちは着替えにも困る状況が半年近く続いた避難所のことが書かれています。

 見ていると、リーダーに対して女性が遠慮して声を上げない。避難所から仮設住宅に移り終えるのに半年くらいかかったので、1週間、2週間ではなく、半年、体育館で暮らすのです。4月頃には、ついたてが全く立っていなかった避難所もありました。徐々に改善されていき、夏頃には蚊帳が入り、女性や子どものスペースが増えましたが、リーダーが意見をシャットアウトしていた話も聞きました。リーダーのやっていることがおかしいと思っても、皆さん疲弊しているから、誰も意見を出せないでいました。
 避難所は、民主的に意見が言えるシステムが不可欠です。特に女性は声を上げにくい。携帯がない人たちもいるので、匿名での投書箱がないとダメだと思いました。さまざまな通達は出ていても、大混乱、悲劇の中だったので、現場に周知していくのは難しかったのだと思います。

―――各地の女性たちがつながり災害に備え対応する

 2016年の熊本地震の避難所に行った時、東日本大地震女性支援ネットワークがまとめた「復興計画・復興政策に組み込むべき提言(2012年8月3日版)」が活かされていると実感しました。子どもや女性のスペースがあり、少しずつ進んでいるのだなと思いました。

 阪神淡路大震災では、ボランティアをマネージメントするNPOができ構築されました。しかし、女性の視点があまり注目されなかった。東日本大震災が起きる前に、仙台のNPOが阪神淡路大震災の時に女性支援の活動をしていた団体を呼んでシンポジウムを開きました。そこで「女性が一番困るのは排泄と水」等のアドバイスを聞きました。おかげで、私はいろいろ備えておくことができました。認知症の母には避難所が無理だと思ったからです。

 このグループに対して、阪神淡路大震災の際、性暴力のことを発表した時に激しいバッシングがありました。それから25年も経ち、ようやくNHKで『災害時の性暴力』という番組が放送されました。それができたのは、阪神淡路大震災の時のバッシングを受けて東日本大震災ではデータを集めようということになり、被災地の女性支援者の人たちがヒアリングを受けてデータを集めました。そういうデータの存在で被災地(神戸・福島・宮城・岩手)の性暴力のことがテレビに取り上げられました。

 東日本大震災で被災した女性たちが、写真と「声(メッセージ)」を通して、多様な視点から被災経験を記録・発信する活動「フォトボイス・プロジェクト」も声をつなぐ注目すべき活動です。国際的なネットワークで、世界をつないでのシンポジウムもありました。

 自分で被災地を回って歩いて感じたことは、とにかく「津波があったら、高い所に逃げる。高台がなければ大きなビルの4階以上に登る」です。小さなビルはひっくりかえっていました。「車が渋滞したら、降りて走る。人の指示に従うのではなく、自分の考えで逃げる」です。命が助かる方法を具体的に子どもたちに教えなければいけないと思いました。

―――切実な困りごとに対応する女性ならではの支援メニュー

 支援物資を運び、慰問に行く人々を車で運び、12月までの9カ月で50回以上は避難所を回りました。その中で女性ならではの切実な困りごとがいくつも出てきました。

 その一つが洗濯。私は身内や友人の衣類・寝具を洗って届けに通いました。自分がやってみて、これなら誰でもできると思いました。避難所では洗濯機があっても十分に使えない。女性たちは自分のものは後回しにしている。安心して下着を干す場所もない。一方、同じ地域でも道路一つ挟んで被災の状況はまったく違う。そこで、避難所にいる女性の洗濯物を、自宅で洗濯できる女性が家で洗って返してあげる活動が始まりました。とても喜ばれました。下着こそ洗ってほしい。女性同士の関係だったらできる。自分がやってみて、これならできると思いました。皆でやればいいということになり、仙台では「せんたくネット」というランドリーサービスを始めました。

 女性たちは多額のお金を出すことはなかなかできないです。でも、何か自分もできるということが大事。自分の家にある物なら送れるとか、洗濯ならできるとかいろいろな人がいます。小さな金額のものでも、遠くの県からお菓子が届いただけでも、励ましになります。このような、女性のための女性たちによるいくつもの取り組みが生まれ、全国からの支援に広がっていきました。一番つらいのは、忘れられ、孤立してしまうこと。だから、女性たちがつながっていくことで救われていったと思います。

―――性暴力とDVの被害者支援

 DVや性暴力の被害者支援は、主に女性支援です。それは。ポジティブアクションです。明らかに弱い立場にいる人、女性を支援する。ものごとを女性の角度から見る。女性に支援物資を渡したい人たちがいました。女性の支援活動に寄付をしたい人たちがいて、大きくつながっていきました。

 避難所にも性暴力はありました。「東日本大震災『災害・復興時における女性と子どもへの暴力』に関する調査報告書」ボランティアの人たちに対してのセクハラや、ボランティア活動内の性暴力等、いろいろ出てきました。

 DVは、家庭内の密室における暴力です。避難所という公開された場では他人の目があるので、分かりにくいです。仮設住宅に移った時に明らかになります。狭い空間で顔を突き合わせる、お互いに経済的困窮で先が見えない。こういう状況で女性や子どもに対する暴力が激化しがちです。同じことがコロナ禍でも起きました。先が見えなくて狭い空間にいないといけない。長時間そこから出ることができない。同じ状況でした。

 元々、家父長制度が強い地方では、たくさんのDVがありました。でも、地方は家が広いことが多く、ある意味、家庭内別居状態がスムーズにできていました。地方は第1次産業が多く、男女ともに自分の仕事をもっていました。ですが、生活が激変しました。仮設住宅では大変なこと(DV激化)になることが予想できるので、その前に離婚したいという話もありました。

―――絶望の中にいる高齢のDV被害者

 私は地方で女性の自死の話をいくつも聞き、とても驚きました。長い間、嫁という立場で抑圧されていた女性が、老齢期になっても、自分を押し殺し仕えてきた。しかし、老齢期になっても評価はされない。嫁には相続権もない。あまりの絶望の中で自死する老齢期の女性がいました。その女性たちはDV殺人にはカウントされません。

 震災があったことで、DVの相談が地方の行政便りでも広報されるようになりました。女性支援の講演で県内を回りました。そこで、地方の女性たちは、拝み屋さん、占いの人に相談していたことを知りました。家庭の問題(自分の恥)だから、公的な窓口に言えない。相談したことが知られたら生活できなくなる。殴る蹴るではないからDVではないと思っている人たちがたくさんいました。

 震災があったことで、DVの相談が各地方でも広報されるようになりました。マスコミの報道にもたくさんDVのことが出るようになりました。やっと自分も相談していいのだと、支援先につながる人たちがでてきました。それは大きく広がりました。

―――広がる女性による女性支援

 女性による女性たちの支援の意義は、女性たちの自尊感情が上がることです。日本中から世界中から女性を支援したいと来る。支援物資が届く。そして、通常窓口となる代表でもなく、首長でもなく、女性に渡す。それを女性が自分の裁量で女性たちに配る。そこで女性支援というネットワークを知る。性暴力、DVや離婚や就労についても女性のネットワークにより女性に情報が広がったのだと思います。そして、震災後には、新しく若い女性が入ってきて定着した例もありました。

―――コロナ禍のDV被害者支援から次世代育成へ

 コロナ禍になり、また弱者に対しての悲劇、貧困や虐待が増えました。まさに底辺で生きている人たちがもっと大変になってきました。その時に、支援の予算がつき、内閣府の「DVプラス」という全国的な動きができました。DVのSNS相談もでき、埋もれていた女性への暴力の問題がわっと噴き出してきた感じでした。コロナでは、世界中の先進国でDV・性暴力が増え、対応する取り組みが動きました。日本でも支援を始めようと内閣府が動きました。この相談の手ごたえはすごいです。相談があふれてきたのです。

 このような動きを次世代に渡していかなければと思っています。震災やコロナが起きて、一番しわ寄せがくるのが、子どもや若い人たち、特に若い女性、家の中の女性たちです。やっとそこに予算が来るようになりました。これに若い人たちが支援者として入っていかれるように、その仕事で生活していかれるように、というのが次の目標です。次世代の支援者を育てていかれるような動きがやっと宮城県でもできそうという気がしてきています。今、頑張って私たちの世代が、構築し、次世代に渡さないといけないと思っています。

―――虐待を受けた子どもたちを支えたい

 今、取り組んでいるのは、DV家庭に育った若者たちの支援です。私は養護施設や少年院といった施設に関わってきました。そこで、親に虐待されて愛されてこなかった子どもたちにたくさん会ってきました。たくさんの問題を抱えた若者たちにこそ性教育も含め情報と支援を届けたいです。

 皆が想像する以上に性暴力があります。「チャイルドラインみやぎ」が数年前に相談分析を発表しましたが、宮城県は性暴力の相談が多いことが分かりました※1。それは宮城県の性教育が進んでいるからです。他の県は性暴力が少ないのではなく、埋もれているのだと思います。

 反社会的行動をとる人を掘り下げると性暴力に突き当たります。少年院などの矯正保護施設の子どもたちの多く(特に女子)が、性暴力を受けています※2。何もなく人は反社会的行動をとりません。

 性暴力は魂の殺人、長期的に影響を及ぼす、隠ぺいされ、手当てがないまま、被害者は自分を責めている。何も手当てされないままです。実は性暴力が根源的な問題だった例は多々あります。手当てしないということは大変なことです。性暴力は魂が傷つけられたとのです。泥がはいったまま傷口にばんそうこうを貼って治るわけがないです。傷口を開き水で洗わないとダメです。性教育はとても重要な手当て。性暴力は忘れることはできないけれど、ちゃんと手当てすれば、傷口は小さくなり痛みは薄くなる。なるべく早い手当てがいい。傷跡があっても、生きていかれるようになれると思います。

―――政治に求めるのは女性議員を増やすこと

 女性議員が増えないと世の中は変わらない。政党がクオータ制で女性候補者を増やすことを、どの政党も打ち出してほしい。女性たちがゆるやかにつながって、女性がリーダーシップをとっていくようになったら世の中は変わる。これは北欧から学んだことです。

 ノルウェーでは、移民や女性たちのリーダーシップトレーニングを、日本の経団連のような経済団体が主催しています。理由はそのほうが会社の業績があがるからです。経済は実際に効率が良いことを選ぶ。せんだい男女共同参画財団は、震災後に始めました。今、仙台市では企業が手をあげて、企業が受講料を出して講座を女性が受けています。仙台女性リーダー・トレーニング・プログラム | 企業の未来プロジェクト | 仙台市男女共同参画推進センター (sendai-l.jp)

 緩やかに女性たちが連帯する。細かい違いはあまり問わずに、違って当たり前。基本的には女性がリーダーになるには、母数を増やさないとダメ。クオータ制やると打ちだしたら、女性たちが投票すればいい。そうやって社会を変えていきたいです。

※1 河北新報社2019年1月7日「チャイルドライン宮城の電話相談 児童虐待の53%『性的』」参照

※2 『刑政』平成29年4月「少年院在院者の被虐待体験等の被害体験に関する調査について」参照

◆性暴力被害の相談窓口

全国 性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター

宮城県 みやぎ女性のためのメール・チャット相談

◆DV相談窓口

全国 DV相談+(プラス)

宮城県 みやぎ女性のためのメール・チャット相談

◆10代20代の女性の相談窓口

全国 BONDプロジェクト

宮城県 被災地3県(岩手・宮城・福島)の10代20代の女の子の相談