東日本大震災から12年を迎えるにあたり、各地で防災に取り組む自治体議員から、それぞれの場所・立場での発災当時の思いや取り組み、その後の現在に至る復興と防災への取り組みついて、寄稿してもらいました。
戦場のウクライナやトルコ・シリア大地震の映像を見ると、東日本大震災を思い出して胸が痛みます。
福島はいまだに復興途上であることは、テレビ等のメディアで皆さまもご承知かと思います。
当時、私は民主党県連幹事長として、岡田克也幹事長らと現地に入り、豚の死骸をまたぎ、工場の社長から操業再開の要望を伺い、走り回っておりました。
また、党本部の福島県担当の国会議員らと協議を重ね「グループ補助金」を立ち上げました。
当時、私が提案した事は「江戸時代じゃあるまいし、白河以北一山百文にするのか?勿来(なこそ)の関以北、国道に家屋が流れてきて、漁船が乗り上げている。この復興には、民間にも応分の補助金が必要である。」
そして、3/4の補助金が決定されました。
加えて厚生労働省との交渉で、県内の18歳以下の医療費無料化を勝ち取りました。
自民党ならば、前例踏襲で官僚の顔色をうかがい、金利補助程度だったかもしれません。
お陰様で、被災3県を中心に民間事業所も復興し、公用施設も立ち上げる事が出来ました。
しかし、全面再開出来ずにいる農家、風評に苦しむ漁業者、帰還に悩み苦しむ元県民。
放射線量が、いまだに浜通りの人々を痛めつけています。
ハード面の復興は進んでも「心の復興」は、まだまだです。
防衛予算が復興予算から差し引くとの方向性が、政権から見え隠れしている今、立憲民主党への期待が高まらないのはなぜか?
自問しているのは私だけではないはずです。