東日本大震災から12年を迎えるにあたり、各地で防災に取り組む自治体議員から、それぞれの場所・立場での発災当時の思いや取り組み、その後の現在に至る復興と防災への取り組みついて、寄稿してもらいました。
あの日、私は、八千代市議会で予算委員会の最終目に、予算委員として、出席していました。予算委員会が閉じる寸前に、震災は起きました。
その後、自宅に戻ると近所の塀が崩れたり、屋根から瓦が落ちてきたりしていました。あまりに、突然の出来事に呆然としていました。
予期せぬ出来事には、すぐに対応ができないことを実感しました。
そして、東北各地の被災地を訪れた時に、一番印象に残ったことは、原発の被災を除くと宮城県石巻市大川小学校を襲った津波です。全児童の108名の7割の74名が、亡くなった悲劇です。
なぜ、こんな事が起きてしまったのか。考えるために、現場も訪問しました。
北上川は、堤防の工事が始まっていましたが、この地域の避難所が、この小学校だったことや当日、校長先生が不在だったことなど不幸なことが重なっています。
裏山は、適切に判断すれば上れたように感じますが、あれほどの津波を想定していないとイメージがわかず、判断できなかったように感じます。
ただ、亡くなった子どもたちや親御さんに、そんな言い訳は通用しませんが、「津波てんでんこ」を改めて、子どもたちに教えないと同調圧力に屈してしまいます。
悲劇の中から2度と繰り返さないための検証がないと、亡くなった人達に顔向けできません。