防災士の資格をもつ4期目の岩沼市議会議員、布田えみさん。東日本大震災当時の取り組み、女性議員としてのやりがいなどについて話を聞きました。

東日本大震災当時のこと

 震災直後は情報が全く途絶えました。その後だんだん状況を把握できるようになると、避難所にいる女性も男性も赤ちゃんも、多くの方々が着の身着のままでいることが分かりました。何かできることはないかと考えた時に、まず下着とタオルと石鹸を送ろうと思い、知っているアドレスやSNS(Twitterやブログ)でSOSを投げかけました。人から人へと拡散され、全く接点のない方にまで情報が届き、狭いわが家に、足の踏み場がないくらい段ボールが送られてきました。その数、40箱余り。道路の復旧と共にどんどん増え、それを仕分けし避難所に届けました。その後も10日、2週間と経つ中で、岩沼は比較的早い段階で仮設住宅が完成したので、多くの人がそこに入居することになり、必要とされるものも徐々に変わっていきました。最初は下着、衣類が多かったのですが、生活用品を集めようということになりました。非常時ということで市がボランティア団体には公共施設を貸し出してくれていたので、そこを拠点に生活用品、食料などを集め、日々の暮らしに必要なものを支援しました。

現在の取り組み

 震災から10年以上経ちましたが、震災の影響はまだまだ尾を引いています。特にお子さんを抱えている女性、ひとり親家庭の方は経済的に大変厳しい。そうした方々に何かできないかと6年前から子ども食堂の活動を始めました。父子家庭の方も来ます。自分も含めた50代から70代くらいのおばちゃん世代が、子どもたちに声をかけ、様子を見ながら学校のことなどを聞いたりしています。経済的厳しさや、心の問題で大変そうな保護者の方もいるなか、親のことが心配で学校に行けない、不登校になったりする子どももいる。子ども食堂でつながることで、困りごとの相談窓口を紹介したり、必要な支援につなげたり、「こういう手続きを知っていますか」と声かけをしています。

 コロナ禍で3年前から食事の提供がままならなくなりましたので、今は生活の支援ということで食材や生理用品、子ども用の文房具なども提供いただき、必要な方にお届けする活動にシフトしています。

 防災士としては、自分が住んでいる町内会の副会長という立場で、自治体主催の研修会をはじめ、しっかりとした防災体制を作る取り組みを進めています。コロナの感染状況も少し落ち着き、地域のつながりも復活してきました。高齢化が進むなか、どうやって災害に対応していくか。課題はいろいろありますが、日頃から声をかけあっていくのがいざというときの一番の体制づくりの一歩なのかなと思いながら取り組んでいます。

女性議員が増えると社会が変わる

 これまでジェンダー平等推進に関し、北京JAC(世界女性会議ロビイングネットワーク)(※)や、ノルウェーに学ぶといった研修に参加してきました。先輩方からいろいろな経験を聞き、女性議員の重要性をひしひしと感じています。

 現在岩沼市議会は、定数18人のうち女性議員は4人です。私は2人目の女性議員でした。女性議員をもっと増やさなければと強く感じていて、自分の選挙区でも積極的に女性に声掛けをしています。今抱えている仕事に対する責任感などから、周りに迷惑をかけると心配する方もいます。分からなくもないですが、議員になれば今以上に活動の幅が広がります。大変ではありますが、達成感は大きい。「やりがいがある仕事だよ」と声を掛けています。

 地域で暮らす困りごとをどこにもっていけば解決するのかと悩んでいる人がいる現実があります。不登校や、経済的困窮、防災など当事者にとって深刻な悩みです。その人たちの状況が少しでもよくなり、改善につなぐことができた時の当事者の方のホッとした笑顔を見て、やりがいを感じます。声をかけた女性たちと一緒に仕事ができることを期待しつつ、今は見守っています。


※1995年11月設立。国連第4回北京世界女性会議に参加したNGO関係者を中心に、「北京宣言」・「北京行動綱領」の実効をめざし、政府・自治体・議員・政党などにロビイングと政策提言を行うため発足。「Japan Accountability Caucus for Beijing Conference」の頭文字をとったもの。