多様な学びが求められるなか、「学ぶ」とは何か。3つの学校での教員勤務を経て「固有名詞が分かる関係」「小さな学校」を目指して沖縄県に移住、NPO法人「珊瑚舎スコーレ」を立ち上げた星野人史さんに話を聞きました。

NPO法人珊瑚舎スコーレ/学校法人雙星舎理事長、モシㇼナァスコーレ設立準備会長
星野人史(ほしの・ひとし)さんプロフィール

埼玉県の私立中学・高等学校の校長を退職後、1997年に沖縄に移住、NPO法人「珊瑚舎スコーレ」を設立し、2001年にフリースクールを開校(現在は、初等部、中等部、高等部、夜間中学校の4課程を運営)。21年4月に設立した学校法人による私立の夜間中学校の今年度中の設置認可を県に求めている。沖縄に続き、北海道・札幌市でアイヌ語教育などが特色の私立の義務教育学校「モシㇼナァスコーレ」を設立する準備を進めている。


想像力が生まれる学びが必要

 いつでも上意下達で「これやりなさい」と学校で先生に教えられた子どもたちは、人間にとって一番大事な時期に創造力を遮断されてしまいます。十把一からげにして「生徒」、あるいは「児童」という言葉で子どもをくくるのではない、小さな学校で、生徒も教員も全員固有名詞が分かる、理解している関係、そういう規模の学校を作りたいと思いました。
 沖縄には、高校時代に柳宗悦(※1)の本などを読んでシンパシーを持っていた縁もありました。琉球染物や伝統工芸品など作る物も素晴らしい。アニメのキャラクターが付いている茶碗ではなく、アイヌ茶碗の方がいいと言って使っている子どもでしたから、ああいうものに魅かれました。
 私は、首里高校が初めて甲子園に出場した時に母親が涙を流して喜んだり、憲法記念日にはちゃぶ台の前に正座させられて父親が説教するような家庭で育ちました。子どもの頃にそういう体験をしているので、高度成長とともに変容していく親父と対立するようになりました。沖縄戦が象徴的ですが、日本は近代国家を作っていく時に、忘れ物をしようと思っていなくても忘れ物のような状況が生まれる。だから、豊かになる時に創造力が生まれる学びが必要だと思っています。そのために沖縄の地で作る学校ができることは何だろうなと考えて作ったのが「珊瑚舎スコーレ」です。

十人いれば十通りの変容

 2001年にフリースクールを開校しました。珊瑚舎スコーレは、「ここで学びたい人」のための学校です。最初に1週間の体験入学をします。ありがたいことに中学校の成績がオール1の子もオール5の子も「ここでやりたい」と言って来てくれている。すごかったのは、「まだ足りない」と自主的に落第した生徒がいたことです。何年か前に高等部を6年やった生徒がいました。その彼が大学に進み、英語のスピーチコンテストで学長賞をもらった。お母さんが学校に飛んで来て「うちの子が大学行くとは思っていませんでした」「先生、奇跡です。奇跡が起こったんです」と、ものすごく喜んでいました。十人いれば十通りの変容の道筋があるんです。それを尊重する。3年で足りなかったら6年いていいんです。
 極端な話をすると、体験入学で人の顔を見られず下ばかりを向いている子がいる。意見を言われても下を向いていて言えない。でも体験をして、嫌だと言わずに来るんですよ。その子が、だんだん顔を上げて笑顔を見せるようになる。親の仕事というのは、こういうことを子どもの中に見つけることです。その変容を大事にしてあげることです。笑顔が素敵になっているとか、使う言葉が違ってきているとか。そういうことを喜びにしないといけない。やっぱり親が一番喜ぶのは子どもの変容でしょう。

まちかんてぃ!

 沖縄には戦争や貧困で義務教育を受けられなかった高齢者が多くいるのは分かっていたので、ゆくゆくは夜間中学校も開校したいとの思いはありました。ただ、貧困のため学校に行けなかった人たちだから、学費が払えないという理由で二度も門前払いをすることになってはいけない。フリースクールが軌道に乗ったら、と考えていました。そうしたなか、沖縄で夜間中学を舞台にした映画『こんばんは』の上映会が開かれ、制作に携わった見城慶和先生(※2)と出会った。「夜間中学が一番必要なのは沖縄です。僕たちも分かっていたがそこまでやる力がなかった。そう思っているなら一刻も早く作ってほしい」と懇願され、「分かりました」と始めました。

 夜間中学校の開校式の日、新入生のオバァが言ったのは「まちかんてぃして60年経ったさあ」。「まちかんてぃ」は「待ちかねる」という意味の沖縄言葉です。70歳のオバァは「やっと私が行く学校ができたんだよ」と、近所の子どもから借りたセーラー服を着てきた。年上なのに僕のことを「お父さん」と呼ぶ生徒がいて、何でと聞くと「お父さんさぁ。学校入れてくれて。今日お祝いだ」と言ってカチャーシーを踊り続けていました。みんな学びに飢えていた。カチャーシーを踊った彼は自分の誕生日を知らず、沖縄戦終了の日、6月23日が誕生日になっています。子どもの頃からいろいろな大人について行って、その都度違う名前で呼ばれるから本当の名前も知らない。やっぱりそういう人たちがいるんです。
 半年くらいで学校を辞める生徒もいました。「先生、今日で私は卒業さ。だって年金5万円もないさ」「もういいよ。私、学校入れたさぁ。オバァに定年はない。働くんだ」と。要するに、働かないと生きていけない。そう言って辞めていくのに笑顔でした。

すっぴんの学びは喜び

 今通っている60歳代の生徒は、親に連れられてブラジルに移民して18歳のときに沖縄に戻ってきたけれど、子どものころから働いていたので学校に行っていない。毎日仕事のあと、「しんどい」と言いながら通い、漢字で自分の名前が書けるようになる。ノートには「苦しい」「でも楽しい」と書いてあります。要するに、苦しくても学校に通う。
 夜間中学校をやっていて見えてくるのは、学びに変な社会的価値をくっつけてはいけないということです。偏差値や平均点、成績をつけるから、「学校で一番嫌なものは何」と聞くと、生徒は「授業」と答えるんです。学びそのもの、「すっぴんの学び」は喜びなんですよ。学ぶこと、知識を得られることの素晴らしさ、その知識を得て物を考えること、それを自分の中で統合して一つの知見を育てる楽しさ。こういうのは義務教育段階で体験しなくてはいけないと思います。そのためにはやはり、固有名詞で理解し合える人間関係が大切です。自分で考えて意見を言って、それに対して相手の意見があるという関係の中で、人は生きる時のベースになる自分の「観」、人生観や世界観、人間観の「観」が育ってくる。生きる上で「観」が必要なのは人間だけです。そこが一番大事で、それは知識がないと作れないし、交流がないと知識だけになってしまう。交流というのは、人間だけでなくて自然との交流などいろいろです。そして、学びには同行者が大切です。知識が知恵になり、知恵が知見や知性になっていく。知見で大事なのは「できるけれどしない」、ストップをかける力です。
 個を尊重すると言うと、手っ取り早いのは自分のこととなりますが、一人ひとりが個であって、協働性がないと人間は人間になれない。一見矛盾するようなものを自分のなかで一つの知見とする。今の学校はそれをしないといけない。
 珊瑚舎スコーレの基本的な考えは、個の尊重と、協働性です。それを追求していく柱として、できるだけどしない、これはすごく大事です。

※1 「民藝運動の父」と呼ばれる。学習院高等科在学中に、雑誌『白樺』の発刊に参加。日本の美術評論家、宗教哲学者、思想家。
※2 日本の夜間中学教師。山田洋次監督の映画『学校』(第1作)の主人公のモデルの一人として知られる。

珊瑚舎スコーレ 初等部・中等部・高等部・夜間中学校 パンフレット

高等部「沖縄講座(文化伝統)」の授業の様子