【プロフィール】
1967年(昭和42年)8月12日生まれ。しし座・AB型
父の転勤により、小学校まで栃木県(日光市・小山市)で過ごす
中学よりさいたま市(現さいたま市立常盤中学校卒業)
1986年 お茶の水女子大学附属高校卒業。
1991年 東京大学法学部卒業。東京銀行(現・三菱UFJ銀行)勤務。
1996年 衆議院議員枝野幸男秘書。
2003年 さいたま市議会議員に当選。その後2期連続トップ当選。
2011年~ 埼玉県議会議員に当選。3期連続当選。会派の政調会長。
高木まり – この国を、その先へ。動けば変わる (marit.jp)
高木まり【立憲民主党・埼玉県】(@TakagiMari)さん / Twitter

――どのような仕事をしてきましたか?
 父は転勤族で、中学から浦和に引越し、大学卒業後は銀行員になりました。外国為替専門の銀行だったので、海外勤務を頑張るぞという思いで入りました。でも、私は銀行業務をこのまま一生やっていくのは、向いていないと思うようになりました。地域で皆さんと触れ合いながら活動したいのに、銀行員の生活は埼玉都民的な感じで、通勤だけになっていることが気になり、銀行を辞めました。その後、いろいろな職業を経験してから枝野幸男さんの秘書をしてきました。

――政治家になったきっかけは?

ボランティアコーディネーターから市議会議員へ


 枝野さんの秘書になり、地域の皆さんとボランティアをしながら政治活動をしたいと思い、ボランティアコーディネーターのような仕事をしていました。そこからさいたま市議になりました。そして埼玉県議会で3期。
 その間に2回の出産で子供を3人産みました。1組が双子でした。双子って産んだその日に10キロ体重が落ちましたからね。10キロのお米の袋がお腹についてるような体験でした。
 秘書は、仲間の地方議員を増やすために立候補をしてくれる人を探すのも仕事の一つです。ちょうど、さいたま市が3市合併した後だったので、合併の経緯をもっと市民に聞いてほしかった、住民投票をやって欲しいなということや、合併したら市民の人数が多くなるので、なかなか声が上げにくくなるのではと思っていました。そういう中で、市民がしっかり声を上げられる仕組みを作ってくれる議員を擁立したいと思い必死に探しましたが、なかなか手を挙げてくれる人が見つからず、それで思わず手を挙げたというのが始まりです。もう勢いで、「あ、気がついたら清水の舞台を飛び降りている」という感じでした。
 私は、この間、国政に行かないと解決できないこともあると思いました。女性で、19年も地方議員をしながら、子育てなども経験してくることができた。こういう私が女性候補を擁立したいと声をかけてもらったときに、私が断ったら、この国の政治の女性参加は進まないなと思いチャレンジしようと決心しました。

――議員活動と家庭生活の両立はどうやってきましたか?
 産休の規定がなかったから、私のときは欠席理由が、病欠か事故。出産は事故なのかと思いました。
 悔しいエピソードで言えば、最初の子どもを産んで8週間だけは休みましたけど、我が家の子どもも待機児童だったので、その直後の市議会で、子育て支援策、待機児童のことを質問しました。そうしたら、議場から男性議員の声が飛んで、「そんなもの、おめーが市議会辞めて子供育てるのが一番の子育て支援だ」と言われました。このことで、余計に当事者が声を上げなければと強く思う経験でもありました。
 当時は国会議員の秘書だった夫が、ずいぶん手伝ってくれました。実家や助産師さんや地域の方たち、本当にいろいろな人、色々な方法でお世話になりながら何とか育ちました。

子育てはいろいろな人、いろいろな方法で助けてもらいました

 双子を育てるのがあまりにも大変だったので、夫が主夫になる決断をしました。そのおかげで私はずいぶん議員活動ができました。この間夫は、子どもと行く場所はどこでも、お母さんしかいなくて、すごく葛藤があったようです。しかし、ある時、気づきがあって、そこからは、男女じゃないんだと、助けられる時に助けようということになったと言っていました。
 大切なのは、自分が倒れないこと、自分の体が壊れない、家族の体や気持ちが壊れないこと。もちろん仕事をしなきゃいけないというのをしながら、もっときちっとやりたいという気持ちはあるけれども、そこは優先順位を諦めることだと思ってきました。

――女性の政治家を増やしていくには?
 男女セットで選挙に出ると、パリテになるんですよね。男性側、女性側その時の事情でいろいろ動ける、動けないというのがあって、得意分野を生かし合ってそのペアで選んでもらうのなら、男女均等は一気に実現します。
 しかし、日本の今の段階でこれが成立するとはなかなか思えないので、現実的には一つはロールモデルを増やしていくこと。あの人がこう動いているのなら、自分でもできるのではないかと思える環境を作ること。そして、擁立段階で、政党側がいろいろな経歴の人を出していきたいという思いを持って擁立をする。それを有権者の皆さんが評価をして、送り込んでいく流れを作っていくしかないと思います。

それぞれのライフを大切にする働き方へ

 男性もいろいろな立候補の仕方があっていいと思います。その人に合わせる活動で、選挙によって、その人なりの勝ち方で議会に行けるようになればと思います。子どもが小さい候補者ならば、選挙期間中でも子どもを学校に送り出す朝は、駅立はしない。子どもを送り出してからやる。自分はこのスタイルでやって、皆さんにわかってもらえるかどうか試すという気持ちでやれば、その真剣な思いが通じていくのではないかと思います。あれこれできないことがあるからとか、ここでダメと言われないようにしなきゃとか思わなくてもよいのではと思っています。議員をしていても女性議員は大変でしょう、どうやっているのかと問われますが、やはり共働きで働いている人と同じだと思います。

 女性が活躍している企業の方が業績が良い、多様性を実現できている会社の方がグローバル化している社会の中では特に業績が伸びるという話も実際に統計が出ています。でも、日本ではそれが進まない。会社に管理されて言われるままでは、業績が伸びない。人それぞれの事情でいろいろな働き方がある。こういったことをコーディネートして、会社全体として、それぞれの働き方を尊重しながら、チームを組み立てて仕事できるようにならないと、日本は伸びていかないと思います。ライフを大切にできる働き方が実現できるように、私も取り組んでいきたいです。

――取り組みたい政策は何ですか?
 このコロナ禍で、日本が周回遅れになっていると感じた人が多かったと思います。日本人は、こんなに頑張って働いているのに、労働生産性も世界23位に落ちてきてしまったし、デジタル化もずいぶん遅れています。日本は先進国のはずなのにと思うことが多いです。やはり、ここで反転攻勢していかなければと思います。
 そのためには今まで失われた30年で、実質賃金は下がっているのに、大学の学費はどんどん上がっています。学びたいと思う子どもたちが学べない、これは大変由々しき事態だと思います。未来の技術への投資が大切です。今日投資したから明日儲かる、来年一発逆転できるという話ではないが、そういうところだからこそ削ってはいけない、ということを強く訴えていきたいです。

「未来への投資」と「困った時にお互いに支え合う仕組みづくり」を

 そしてもう一つは人生いろんなステージの中で困ったことが起きます。医療が必要になる、介護が必要になる。子育て支援が得られなければ、育てるのも難しいです。困った時にお互いさまに助け合うために出し合っているのが、皆さんの税金です。支え合いの仕組みをしっかりと作る、自己責任にしすぎない。この国は自己責任と言われると本当に真面目に自分のせいかなあと思ってしまいますが、これだけ給料が全体としては厳しい水準にだんだん追い込まれているのは皆さんの会社や皆さんの仕事の仕方が悪いわけではなくて、国の政策の転換の問題だと思います。そうしたところに取り組みながら、この国が、子どもたちも未来に希望を持って成長していける、そうした国になるように、思ったようなチャレンジをしていける国になるように、私は取り組んでいきます。