【プロフィール】
1976(昭和51)年8月9日、唐津市浜玉町生まれ。
浜崎小学校、浜玉中学校を卒業。佐賀県立厳木高等学校に入学後、独自の道を目指し中退。その後、福岡調理師専門学校に入学し飲食業を目指す。
卒業後はホテルなどの飲食店に勤務し、18歳で結婚。男の子を出産しシングルマザーで子育て。2019年より、生活目線の政治センスを買われ大串博志事務所のスタッフとして活動。

――どのような仕事をしてきましたか

 18歳で子どもを生んで、その後シングルマザーとしてダブルワーク、トリプルワークで朝昼晩と働いてきました。朝は調理の現場、夜は飲食店の手伝いと、とにかく子どものために休むことなく、一生懸命、必死になって働いてきました。そんな息子も現在は独立して関東の方で働いています。

 それと3年前に叔母が認知症になったのをきっかけに認知症介助士の資格を取り、介護の現場で派遣社員として働いてきました。その後30代の時に、高齢化社会を見すえて、ヘルパー2級の資格も取得しました。

――子育ては大変でしたか

 日本はまだまだ子育て支援が整備されていない、国のバックアップが足りないって身をもって痛感しました。

 それと、私が子育てしていた時代は、ひとり親というだけで、「あの人、バツイチよ」「男親がいないんだって」と言われることが多くありました。シングルマザーというのは生き方の一つだと思うのですが、「バツイチ」という言い方は、何かこう人生にバツをつけられたような感じがしました。

――介護の仕事はどうでしたか

 介護の仕事は大変です。体力的にもそうですが、「年寄り扱いしないで」と怒られたり、元気だった人が次に出勤したら亡くなっているっていうこともあり辛い部分もあります。若い方やコロナ禍で職を失った方で介護の仕事に進出される方もいますが、離職される方も多いのが実情です。それに介護職の待遇改善と言われてますが、東京と佐賀の賃金格差も大きかったりします。

 ただ介護は、高齢の方に何年も寄り添うとても大事な仕事です。だからこそ、これからますます高齢化率が高くなっていきますので、介護人材を増やしていくことが重要だと思っています。

取材日は伊万里市を中心に支援者にあいさつ

――政治家を目指すことになって周囲の反応は

 大串博志衆院議員のスタッフとして地域を回っていたので、2割くらいの方には「小野ちゃんね、頑張らんね」と優しく声をかけてもらいます。でも3割の方には「何を考えていると」「女のくせに」とか厳しいことを言われます。

 でも、そういった時に私は、「とにかく挑戦させてください」って言ってます。子育ても一段落し、親の介護も今はないので、社会貢献できることは何かと考えた時、女性の私でも声を上げることによって政治は変えられるって思ったんです。せっかくいただいたチャンスなので、地方からでも声を上げていきたいと思っています。

 「生活目線で明日を変える!」っていう言葉をキャッチフレーズにしているんですが、私がこれまでシングルマザーとして子育てをして介護もして、そんな中、弱い立場の人も安心して暮らせる、そんな社会を作りたいと思いました。気づくことや、前を向くことができれば人生はいくらでも変えられる。挫折しても、つまずいても、立ち直れる。そういった社会を作りたいと思っています。

――佐賀の良いところは

 魅力はたくさんあります。当たり前のことですが、自然が豊かで、海も北は玄界灘、南は有明海に面しています。第1次産業は特に盛んで、子育てするにもいい環境です。ただ、そういった良さを生かしきれていないのも佐賀県だと思っています。

 うちの息子もそうですが、就職となるとどうしても都会に出ていってしまうんですよね。ですから、出ていった子どもたちに帰ってきてもらえるような活気ある地域にしていくことが大事だと思っています。

 佐賀県は「子育てし大県(こそだてしたいけん)さが」というキャッチフレーズもあって、子育てしたいと思ってもらえる佐賀県を目指して、いろいろな取り組みも行っています。

連合佐賀北部地協から推薦を受ける小野候補予定者