【プロフィール】
小畑きみ子(おばた・きみこ)
1977年10月4日、埼玉県川口市生まれ。
東京都立豊島看護専門学校 看護学科卒業。
結婚を機に仙台市に移住。市内総合病院の看護師を2019年5月退職。宮城県議会議員1期。産後8週間での仕事復帰を繰り返し、看護師キャリアは約20年。

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―政治家を志したきっかけは

 看護師として東京都内の総合病院で6年間勤務した後、結婚を機に夫の故郷・宮城県仙台に行くことになりました。勤務先の病院の先生からは「なんで東北に行くの」「医療は10年遅れているよ」と言われましたが、当時はその意味が全く分からずにいました。就職してお給料を見ると10万円ぐらい低い。夫からは「これが地方だから」と言われました。6年間仕事をしてきたのに、新人のときの給料と同じでした。
 第1子を生んだ後、総合病院に就職。夜勤もしながら第2子、第3子と生みましたが、宮城には身寄りがない。子育てするには夫と2人で努力するしかないと覚悟していましたが、幸いなことに、近くに仕事をリタイアしている方が多く住んでいて支えてもらいました。おかげさまで8人を生み育てることができたと感謝しています。
 とはいえ、職場では「あなただけ特別ではないから」と言われ、子どもが入院した時に休みをもらえないという辛い経験もしました。上司から「もう子育て世代はいらない」と言われたこともある。命懸けで子どもを生んで、仕事もして、税金も納めているのに何でこんなに肩身の狭い思いしながら子育てしなきゃいけないのだろうと。看護職は技術職なので、8人の子どもを育てるのに育休を取り続けていたら、日進月歩で進む医療に対応できません。産後8週で仕事には復帰しました。
 それでも、子どもが小さければ具合を悪くして迎えに行かなければならなくなる。周りを見ても、親世代は現役で働き続けていてなかなか助けを求められません。胸を張って子育てをし、仕事ができる環境をつくりたいというのが、2019年に県議選に立候補したときの思いです。

子どもを生むことを躊躇(ちゅうちょ)させる社会を変えたい

――子育て世代として訴えたいことは

 職場では、子どもをたくさん産んだことで肩身の狭い思いをすることもありましたが、一歩外に出ておんぶして抱っこして、(子どもと)4人、5人連れて歩いていると、高齢者の方に声をかけてもらえる。「本当に日本の宝だね」などと言って笑顔になってくれるのを見たときに、自分の存在価値をやっと認められたような気がしました。自分が勤めている小さい病院の中では認められなくても、外に出たらたくさんの人が喜んでくれているんだって。少子化と言いながら、子どもを生むことを躊躇させてしまう社会を変えなければいけない。
 今の時代「なんで8人も生むのか」と思われることはありますが、私の両親は母親が8人兄弟、父親も6人兄弟で、幼い時から親が自分たちの親を介護する様子などを間近で見てきたことが大きいと思います。経済的に支援をする人もいれば、肉体的に動いて手伝う人もいる。お互いがそれぞれの役割をうまく分担しながら支え合って父方の祖父母を在宅で看取っていました。子どもたちが将来、それぞれ自分の人生を楽しく豊かに過ごせるという意味でも、産めるだけ産みたいと思っていたら、8人の子どもに恵まれました。
 8人も産んでいると強い人間だと思われがちですが、弱いからこそ8人産んだのではないかと思っているくらいです。職場で嫌な思いをして帰ってきた時に、疲れた顔をしていても、どんなに髪の毛がぐしゃぐしゃになっていても、「お母さんが一番だよ」って。「お母さんかわいいね」とか「お母さん大好きだよ」と言ってくれる人が、1人じゃなくて2人、3人、4人、5人……。いっぱいいたら、それだけ愛情をもらえますから。それで私はやっている。だから弱い人間なんだろうなって。家族に支えられてやっていけていると思っています。

どこに住んでいても同じ医療を受けられる環境に

――ご自身の経験を踏まえて、特に実現したい政策は

 正社員として働き、子どもを産み育て、生活者として生きてきた、そうした生の声は、まず届けられる。看護師として、医療現場の課題が分かります。県議として2年半活動する中で、地方と大都市の格差も痛感しました。格差是正を早急に国へ発信していく必要があると確信しています。
 例えば、宮城県では、病院数が限られ競争もないなかで、東京とは明らかに医療格差があります。そこで命が選択されてしまうことがあってはならない。さらに言えば、仙台市は在宅ケアが充実しているので24時間医療的ケア付きの介護を受けられますが、仙台市以外になるとその機能がないため、その介護を受けるために引っ越さざるを得ない。そうなると過疎はますます進むし、結局住みたいところに住めません。
 子どもに障がいがあるママ友がいることもあり、そうした方々への支援の必要性も強く感じています。病院の病床数が減らされ、在宅で障がいのあるお子さんを見ている方も多い。医療の技術が発達し、レスピレーター(人工呼吸器)を家で使うこともできるようになっていますが、家族は休めません。宮城県ではレスパイト入院(※)(一時休息)の機能が全然足りていません。どこに住んでいても、病気を持った子たちも家族も、在宅で生き生きと生きることができるための支援、どこに住んでいても同じように医療を受けられる環境を作らないといけないと強く感じます。
 そして、なんといっても子育て支援・教育の無償化。日本の教育費は高すぎますし、出産費用もできればゼロにしたいです。
 同じ国家資格を持ちながら、看護師より約10万円も低い保育士さんのお給料も是正が必要です。結局、子育ての延長としか見られていないことが問題であって、例えば昼寝中の乳児の呼吸などの状態を測定したり、この機能の発達を促すためにはこの遊びをさせるなど、先生たちはきちんとした根拠のもとに動いています。東日本大震災のときなど、職場が落ち着くまで子どもたちを迎えに行けずにいたら、保育士さんたちが「お母さんたちにお返しするまで守り続けなきゃいけないと思って必死でした」とおっしゃっていました。私も翌日から仕事だったのですが、まだ乳飲み子だった3人目の子どものための、特別な豆乳ミルクを保育士さんが勤務時間外にわざわざ並んで買ってきてくれたんですよ。本当に子どもたちのことを考えて仕事してくれている、命を守ってもらっている保育士さんたちには、それに見合ったお給料が必要だと考えます。

生活者の声を届ける生きた政治を

――今回挑戦することで変えたいことは。
 今回、私が立候補せずして誰がするんだとの思いで決意しました。だって、生活している人が生活者の声を届けなかったら、リアリティもないし机上の空論になる。生きた政治には絶対ならないと思っています。だから家庭を持っている私、子どもを持っている私が挑戦する。そういう人たちが政治を動かしてこなかったから、今の生きにくい環境になってしまったわけですから。
 生きやすい人たちが中心にやってきたら、現場の話、困りごとを聞いても、想像力も働かず、きちんと理解できずにいたのだと思います。私だったら、同じ経験をしてきているので「そうだよね」と寄り添って話を聞き、それを政治の場に伝えることができる。そこは夫も理解してくれていて、最初に背中を押してくれたのが夫でした。
 朝7時過ぎに子どもを保育園に連れて行ったあと職場に行き、夕方は延長保育になってしまうと時計を気にしながら焦って迎えに行く。連れて帰ってきたら着替えることもなく、座ることもなく、すぐ夕飯の準備をする。そういう生活を経験した国会議員はどれだけいるのでしょうか。
 医療現場で働いてきた母として、特に女性や、同世代の方に強く訴えていきます。若者世代、働く世代、子育て世代が、これからの未来の子どもたちのために、そして高齢者の方々のために、安心して安全に暮らせる場所を作っていく。今と、20年、30年前とでは子育てのやりやすさ、環境も全然違います。
 今私たちの生活が大変なのは、そうした現役世代の声が国会に届いていないからです。新しい風、世代交代が必要です。子育て世代、働き世代が政治に参加できることを見てもらい、全国を元気にしたいと思っています。
 8人子どもがいるお母さんが言っていることだから、と受け止めてもらえることもあるのではないか。政治を身近に感じて、共感してくれる、「そうだよね」と声を上げてくれる人が出てきた時に、今まで動かなかったところが動いていくのではないかなと期待しています。

※介護者の日々の疲れ、冠婚葬祭、旅行などの事情により、一時的に在宅介護が困難となる場合に期間を設けた入院の受け入れを行い、介護者の負担軽減(息抜き)を目指す仕組み