【プロフィール】
1979年、愛知県江南市生まれ。父方の祖父母は富山出身。
立命館大学法学部・同大学院社会学研究科を卒業。
2007年から愛知県江南市議会議員(連続当選4回)。
2020年11月、富山市に移住し、国政に向けた活動をスタート。
学習塾経営。
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「散居村」という集落が広がる砺波平野で、山としひろ候補がインタビューに応じてくれました。

――政治家を目指すきっかけは?

 もともと国政というより、私が生まれた名古屋の「郊外」の地元である愛知県江南市の「街づくり」をしていきたいと思っていました。学生時代には、海外も国内もいろんなところに出かけていましたが、やはり「地元」に帰ってくると、「地元」特有の課題を感じていました。そこで、大学院を卒業した後、自治体議員に立候補し、以来連続4期、13年間地域の皆さんからご支援をいただき、当選させていただきました。

 江南市は典型的な「郊外」で、名古屋に通勤している人が多いのですが、昭和の高度経済成長が終わり、少子高齢化の課題を抱えていました。そうした中で、社会から取り残される方も増え、「若者や子どもたちが未来に希望をもって生きられる街」を目指して、これまで活動してきました。

――なぜ富山で国政へチャレンジしようと思ったのですか?

 政治を変えるには、自治体議員と国会議員の連携が欠かせません。これまで私は、富山出身の又市征治・元参院議員に懇意にしていただき、自治体が抱える課題について、国会の総務委員会などで質問してもらったりしていました。
 
 そうした中、又市議員が国会議員を引退されるという時、「富山でがんばってみないか」とお声がけをいただきました。最初は悩みましたが、父方の祖父母が富山出身であり、私の父は愛知県江南市に事実上「出稼ぎ」に来て、私はそこで生まれたという「ファミリーヒストリー」があるため、なんだか運命的なものを感じました。立山連峰などの山が連なるこの富山で、山ファミリーの原点であるこの地から、「国政」に向けて、がんばってみようと思い決意しました。

 自治体では「3割自治」などと言われますが、やはり「国の権限」が強く、自治体独自の取り組みができないことがあります。たとえば国の制度を変え、自治体の裁量で使途が決められる「一括交付金の復活」や権限や財源の移譲をもっと進め、活力ある地方、活力ある富山を、つくっていきたいと思います。

――では、富山から国政にチャレンジする決意を教えてください。

 富山は立山連峰、そして富山湾など、豊かな大自然に囲まれ、豊かな食材・海産物に恵まれています。しかし、第一次産業の活性化なくして、これらの大自然の恵みを、これからも維持できるかはわかりません。たとえば、「コロナで外食産業の需要が無くなり、離農しようかな」「先祖代々の土地を耕してきたが、年々、農業所得は少なくなる一方で、高額の農業機械を買うなんて到底無理。もう限界だ」との声も多く聞きました。また、農林水産業の担い手不足も深刻です。

 しかし、自民党や安倍政権がこの間、進めてきた農政は、企業による農地取得・民間企業の導入、種子法廃止、生乳流通改革、農協改革、水田活用交付金の見直しなど、枚挙にいとまがありません。さらに、農林水産関係予算もこの間、ずっと減らされています。安倍政権は「農業所得倍増計画」などと言っていましたが、まったく実現していません。

 保守王国の富山ではありますが、やはり「自民党農政」を変えなければと思います。これまで進められてきた「規制緩和、規制改革」ではなく、農業者個別所得補償制度を復活させ、農業従事者の皆さんの所得を守ることは不可欠です。また、富山の豊かな食材を利用した給食を推進するなどして、子どもたちに安全で安心な食べ物を食べてもらいたいと思っています。

 そして富山はやはり、自動車が生活に必要不可欠です。一家に一台どころか、一人に一台が必要です。こうした中で、ガソリン減税が絶対に今、必要です。都会にばかり目が向いている自民党の国会議員には、庶民の感覚がわかりません。

 さらに冬になれば、寒い富山は、暖房器具のために灯油が必要です。電気もガスも使います。とにかく高騰する燃料価格などを引き下げること、これを私は訴えています。

 未来の子どもたちに、次世代に、大自然豊かな富山の生活を残すため、この保守王国の富山をぜひ変えていきたいと思います。