泉健太代表は8月9日、被爆から79年を迎える長崎を訪れ、長崎市の平和公園で開催された長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(平和祈念式典)に出席しました(写真上は、献花を行う泉代表)。
今年の平和祈念式典では長崎市がイスラエル大使を招待しなかったことを受け、日本を除くG7各国の駐日大使らが参加を見合わせました。
長崎市の鈴木史朗市長は「長崎平和宣言」で、「ロシアのウクライナ侵攻に終わりが見えず、中東での武力紛争の拡大が懸念される中、これまで守られてきた重要な規範が失われるかもしれない。私たちはそんな危機的な事態に直面している」と指摘。「唯一の戦争被爆国である日本の政府は、核兵器のない世界を真摯(しんし)に追求する姿勢を示すべき」と訴えました。
泉代表は式典に先立ち前日8日に長崎入りし、高校生・若者のイベント「ピース・ブリッジ 2024 inながさき」に出席、長崎原爆韓国人犠牲者慰霊祭に出席及び韓国人原爆犠牲者慰霊碑に献花、長崎市永井隆記念館、長崎原爆資料館、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を視察、山王神社の1本柱鳥居(爆風で半分が失われた鳥居)や被爆クスノキを見学、被爆79年「連合2024平和ナガサキ集会」を激励、長崎原爆殉難者慰霊祭に参列しました。
核も戦争もない平和な世界を実現するための若者のつどい「ピース・ブリッジ 2024 inながさき」のあいさつで泉代表は、「これだけ平和を願う全世界の、若い世代の皆さんの思いがあるにもかかわらず、政治の場にいる者からすると戦争はあまりにも簡単に起きてしまう」「同じ人間がやっている政治なのに戦争が起きてしまうという現実を大変つらい思いを持って受け止めている」と語り、「平和と皆さんはつながっている。政治と皆さんはつながっている。戦争と皆さんもつながっている。それを知っている若者と、つながっているからこそ戦争を選択しないという人類が増えていくように、核兵器を選択しないという政治家が世界のスタンダードになるように、ともに取り組んでいきたい。応援しています」とエールを送りました。
その後、泉代表は長崎原爆韓国人犠牲者慰霊祭に出席。韓国人原爆犠牲者慰霊碑に献花しました。長崎原爆資料館の展示によると、長崎原爆の外国人被爆者数(推定)は、韓国人が13,000から14,000人(1978年、1982年/長崎総合科学大学・鎌田定夫)、12,000から13,000人(1981年/長崎市調査)、22,198人(1991年/長崎在日朝鮮人の人権を守る会)、中国人が約650人(長崎市)その他の外国人(オランダ・イギリス・オーストラリア人捕虜)が約200人(長崎市)となっています(「朝鮮人被爆者に関しては、被爆当時の国籍や所在に不明の部分が多いため、3説を併記した」との表記あり)。
また、長崎市永井隆記念館、長崎原爆資料館、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を視察。永井隆博士は、放射線医学の研究による白血病を患い、また長崎の原爆で重傷を負いながらも自分の命を顧みず負傷者救護や長崎の復興のため、最後まで医師としての使命を貫いた方(島根県雲南市「永井平和賞」の説明より)。
永井博士は『長崎の鐘』や『この子を残して』等の作品も残しており、長崎市永井隆記念館は永井博士の隣人愛による恒久平和への訴え、願いを発信するために設立されました。
長崎原爆資料館にも永井博士の功績を称える展示があり、そこには「平和を祈る者は針一本も隠し持ってはならぬ。武器を持っていては平和を祈る資格はない」(平和塔)という言葉も展示されています。
長崎原爆殉難者慰霊祭は仏教、神道、キリスト教、イスラム教など宗教を超え国内外の関係者の方々が合同で実施する取り組み。泉代表は黙祷の後、献花を行いました。