枝野幸男代表は21日、愛知県第5区の西川あつし候補とともに名古屋駅で演説をおこないました。
西川候補は、勇退する赤松広隆前衆院副議長の秘書を経て愛知県議会議員を5期18年務めました。赤松前副議長の後継者として国政に挑戦します。
■赤松広隆前衆院副議長
赤松前副議長は今回の選挙について「コロナ後の日本の経済をいかにして立て直してくのか。誰が今、一番苦しんでいて、誰のところにどんな形で支援策をおこなって行くのか。選挙後、補正予算を組むことになるでしょう。その時に、立憲民主党を中心として与党が力を合わせて、皆さんの要求、皆さんの願いしっかりと実現することが大切」と提起しました。自身が県議時代から70才を超えて選挙に出ないと言及してきたことに触れ「自分が頑張ることがかえって若い人の立派な芽を摘んでしまうことだけはしたくないと引退を決意した。その後はもう、学生の頃から私の東京の事務所に出入りし、仕事を一緒に手伝ってくれ、ともに運動をやってきた、西川あつしを置いてほかにはいないということで、後継指名をさせていただいた」と報告しました。
4年前の立憲民主党の創設に携わった経緯を振り返った上で、「私どもは、この立憲民主党を中心にしながら、野党の皆さん方とも協力をして、今の自民党の政治に代わり得る政治をつくっていきたい。もうこの土日が過ぎたら、次の日曜日が投票日。西川あつしを何としても、小選挙区で勝ち抜かせていただきたい」と支持を訴えました。
■西川あつし候補(愛知5区)
西川候補は、この夏のコロナ禍で全国的に飲食店での酒類提供の自粛が求められ、事業者が多大な影響を受けていた最中、政府がオリンピック会場に限って酒類の提供を可能にしようと検討していたことを振り返り、「国民感情を理解できない、とくに飲食店の皆さんの神経を逆なでする話を平気でできる今の政権を何としも変えなければいけない」と力を込めました。「当たり前の日常を取り戻すためには、当たり前の政治姿勢──皆さんに誠意を示し、常識を備えることだ」と訴えました。
アベノミクスがピラミッド状に積み上げられたグラスの上から、下へと酒が滴り落ちていくシャンパンタワーに例えらえることに言及した上で、「実態は、一番上のシャンパングラスがドラム缶くらい大きくて、いくら上から富の滴を注いで行っても、ドラム缶が満タンになることはない。その下のクラスに富の滴がしたたり落ちることはなかった。このことが一番の失敗の原因だった」と指摘しました。そして「グラスがカラカラになっている一方で、ドラム缶の中にたまった大企業の内部留保金は500兆円とも言われている。私たちは今、一番下のグラスから、1個1個のグラスに丁寧に、丁寧に滴を注ぎ足していくことが何よりも必要だ」と力説しました。
西川候補が選挙の旗印に掲げている「貫いてこそ信念」について、「私が20才の頃から、秘書として赤松代議士の背中を追い続けてきた。33才からは県議会議員として留守を預かってきた。その間ずっと代議士から学び取ってきたこと」だと明かし、「その時々によって、その所々によって、相手によって話すことをコロコロと変えたりはしない。話すべき内容を隠したりしない。信念とは掲げるものではなく、貫き通すことだと学んだ」と話しました。そして、「赤松前衆院議員の意思を引き継ぐ者として、皆さんの思いを私に託していただきたい」と支持を訴え、演説を終えました。
■枝野幸男代表
枝野代表はコロナ対策について後手後手に回った水際対策や検査体制、事業者支援を挙げ、立憲民主党が法案を提出しても政府・与党が取り合わず、国会閉会後は憲法に基づいて臨時国会を召集しても菅政権は開会しなかった経緯を振り返り「審議拒否を続けてきたのは自民党と公明党。今さら選挙前だからといって、急になんか言い出しても信用できるか。そのことが問われている選挙だ」美かけました。
アベノミクスの実績について「民主党政権の3年3カ月の実質経済成長率──まさに経済の通信簿だが――、その数字よりも安倍政権になってから、コロナの前まででも安倍政権の方が低い。民主党政権よりも経済を成長させていない」と強調しました。
枝野代表は、30年以上議席を守ってきた赤松前副議長について「とくにこの4年余り大変助けていただいた。まさに日本の政治がおかしなところに行かないように、その経験を活かしていただいた」と敬意を表しました。今問われているのは、政治に声が届かず、取り残されている人がたくさんいて、景気が良くならず、社会が分断されていることだとし、「西川あつしさんは、県議会議員として地域できめ細かく声を聞いてきた、その経験を活かせる」と期待を込めました。
そして「いま全国で大激戦。ここからの1週間でおそらく全国で100くらいの選挙区でどっちが勝つか分からない。大変な激戦の1つが西川あつしさんの選挙」と述べ、「政治を変えるためにはあなたの力が必要です」と支持を訴え、演説を終えました。