映画「夜明けまでバス停で」の脚本家 梶原阿貴さんと長妻昭政務調査会長が対談し、コロナ禍で露呈した日本社会の分断と「 #彼女は私だ 」と自分ごととしてとらえる想像力が人と人をつなぎ、命を救う力を生んでいくことについて語りました。

右左で揉めているうちに、社会は上下に分断された

長妻)社会の分断が進んでいると感じます。昔は多くの人が公立の小中学校に通い、周囲にはいろいろな人たちがいました。今は、小学校から私立に通い、経済的に恵まれている人に囲まれて、会社も大企業に入って、友達や同僚も含めて一生貧困とは無縁の環境で人間関係を結んでいる階層が出来上がっているのではないでしょうか。なかなか、貧困格差の話がぴんと来ない。

梶原)上下で格差ができています。政治家も国民も、もはや右とか左とか揉めている場合でない。ということを国政に訴えたい。そうやっているうちに、社会は上下になって上の人だけ良い思いをして、社会の底は抜けて下の人は落ちていく。そんな社会でいいのか。

想像力の無さに対して想像力で闘う

梶原)コロナ禍で東京都は「ステイホーム」と言いましたが、ステイするホームがない人にどう聞こえるか。想像力がなさ過ぎます。想像力の無さに対して、われわれ表現者は想像力で闘うしかない。政治家とは違うアプローチで広めたいと思っています。

長妻)今回の事件が起こった時、自然発生的に湧き上がった「 #彼女は私だ 」というメッセージは的確だと思います。今の日本では、いつでも自分もそうなるリスクがある

梶原)自分の友人に障がい者がいれば障がい者問題がリアルに自分事として考えられでしょうし、在日、外国人の方、その国に行ったことがあるとか、その地方に行ったことがあるだけで、全然共鳴度合いは変わります。狭い世界で生きていると、そこだけがその方の世界になってしまいます。もっといろいろな人と関われば、みんなが自分のこととして考えられるようになると思います。

 自分だけが良ければいいという人が多くなっていますが、それはトップの人がそういうメッセージを発しているというのもあると思います。自分と自分の仲間が良ければいいのだと8年以上の政権の中で、トップが発してきた。今の若い人たちは、それしか知らないから、そこは非難できない。トップから改めて、みんなが自分とは違う人たちに少し優しくなったら、いい国になるのにと思います。

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長妻)人間は非常に共感力のある生き物だと思います。多くの方たちに悪気はないと思いますが、ただ共感はその周辺だけになるきらいがあります。SNSが発達しても、意外に、少し距離のある方とも交流し共感していくことが難しい時代になっているのではないでしょうか。

 「社会の底が抜けた」政治への怒り

長妻議員)(政治への怒りを象徴する)エンドロールに込めたメッセージは?

梶原)問題になり話題になるかなというのもありました。けしからんという人の声がもっと多いと思いきや、この2年半のコロナ禍で蓄積した怒り、不満がたまっているからこそ、意外と賛同の声が多かったです。

 柄本明さん演じる元過激派のバクダンを出したのは、コロナの2年半で社会の底が抜けたのではないかというのを伝えたかったからです。この50年スパンで考えて、あの(安保闘争)時代に彼らが何をして、何ができなかったのか。そのできなかったことが今にどう影響しているのか。あえて過去の政治家の名前を列挙することで、できなかったことが今どうなったかを、メッセージとしてリアリティを持って伝えたかったのです。

 映画では「政治が悪い」と言っていますが、政治家に投票しているのはわれわれ国民です。表に立っているのは政治家、みんな一人ひとり、投票に行ってくれと思うし、一人ひとりの考えを本当にもうそろそろ変えないと、本当にやばいですよ。明日はわが身です。まじめにやっているからと言って、安心してはだめですよ。本当に危機感を持っていただきたいと思っています。

政治に望むこと

梶原)おかしいことはおかしい。嘘ついたらいけない。間違ったら謝ろう。「モリ・カケ・サクラ」の追及をきちんとやってほしいです。トップが言ったことをみんなで隠すことが、民主主義ではない。

 民主主義の大前提として、国民の代表である国会議員が国民に向かって「『こんな人たち』に負けるわけにはいかない」という言葉を言った瞬間に終わっています。その政権が続いたことが、どんどん悪い状況を生んだと思っているので、これを機会に本当に考えてほしいです。

長妻)分断を煽らないということですよね。

梶原)トップから分断のメッセージを発してしまったことは本当にNGです。

長妻)いろいろな方の人生を見る、お聞きすると、私でも、誰でもそういう境遇になり得る。「すべり台社会(※4)」という言葉もありました。そこを肝に銘じて、自戒をこめて、他人事ではない、それは政治がはやらないといけないと強く思います。

 映画などを通じて、自分事として少し考えてもらう機会が増えれば、人間は、根は本当に共感できる優しい生き物だと思います。共感がないと、戦争とかいろいろな争いが起こるので、共感を広げる仕事は本当に素晴らしいと思います。

 ※4:「反貧困: 『すべり台社会』からの脱出」(岩波新書)湯浅誠著の中で、憲法で保障されている必要最低限の生活を維持するための、さまざまなセーフティーネットが機能せず、うっかり足を滑らせたら最後、どこのセーフティーネットにも引っかからずに最後まで滑り落ちてしまうような社会を指している

映画に託した希望

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梶原)この映画で伝えたい希望とは、被害者と加害者を作りたくない。想像力のない世界に対して、こちらが想像力で闘いたいということ。

 「一度ぐらいちゃんと逆らってみたかった」という主人公のセリフがありますが、弱い人の声にちゃんと耳を傾けないと、人は追い詰められたら、本当に怒ったらどうなるか。

 そして、みんなも声を上げてみたらもしかしたら変えられるかもしれないよ。もっと怒れ。みんなもっと怒れ、言いなりになるな。このメッセージは込めています。

長妻)印象に残るのは、最後、正社員の居酒屋の女性店長が退職金を出すように会社とかけあって、勝ち取り、主人公に退職金を渡すシーンです。集団同調圧力が厳しい中でも、やはりこれは声を上げないといけないという思いで闘って、普通の人でも闘って勝ち取れることが目に見えたのは、少し救いだったと思います。

梶原)人と人とのつながり、最後まであの店長が彼女のことを気にかけて、彼女にちゃんと退職金を渡すという、一人でもそういう人がいれば、たぶん変えられる。それぞれがちゃんと人とつながっていれば、死ななくて済むのだということも映画に込めました。

長妻)私が今の日本社会沈滞の原因として挙げているのが、「格差拡大に無頓着な政治」「多様性を認めない社会」「行き過ぎた自己責任論」です。この3つの壁が集団同調圧力を強めて、声を上げにくい社会を形作っていると考えています。その壁をぶち壊すことは政治だけではできません。社会は政治家だけで変えられません。暮らしの中で、理不尽なことがあっても、なかなか声を上げることはできませんが、ただよほどの時は、それぞれが声を上げていく社会であれば、もうちょっとよくなるのではと思います。

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 「 #彼女は私だ 」のように自分とは違うと思っていたが実は同じだったというメッセージが広く社会を覆い尽くすように、私たちも努力してまいります。

 この話は締めくくって終わる話ではなく、深刻なずっと続く暗いトンネルのような話ですが、なんとかそれを打開できる道をあきらめずに追求してまいります。本日は貴重なお話をありがとうございました。

「自己責任論を超えてコロナ禍を生き延びる」脚本家梶原阿貴さん×長妻政調会長の対談❶