枝野幸男代表は11日午前、東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所事故から10年を迎えるにあたり国会内で記者団の取材に応じました。
枝野代表は冒頭、犠牲になられた方、亡くなられた方にあらためて哀悼の意を表しました。また、この10年、そして今も災害から立ち上がるためにご苦労をされている皆さん、大切な方を亡くされて、今なお心にさまざまな思いが残ったり蘇ったりしている皆さんにお見舞いを申し上げました。つづいて次のとおり所感を述べました。
「10年が経ち、ハード面での復旧は進みましたが、残念ながら生業(なりわい)や地域のコミュニティなど復旧、復興はむしろここからが本場だと思っています。ご承知のとおり私自身が当時、内閣官房長官として災害対応の先頭に立っていました。その中で、とくに当事者の皆さんの立場からは許せない、至らない等、さまざまな思いをされた方がたくさんいらっしゃると思います。私自身も逆に時間が経てば経つほど、もっと出来たことはなかっただろうかと忸怩(じくじ)たる思いであります。それだけに、この災害と事故からの復旧と復興、決して風化をさせることなく、しっかりと最後まで被災地の皆さん、被災者の皆さんに寄り添って進めていくという決意を新たにしているところでございます。
改めてこの10年という1つの節目にあたって3つことを申し上げたいと思っています。
1つは、いよいよここからが本格的な復興のスタートだという日であると思っています。確かにハードは一定の復旧がなされていますが、そこで暮らす人がいて、社会があって、本当の意味での復旧と復興であります。ハード面の復旧はそのための土台ができたということにすぎません。そこで10年前と同じようなものを復活できるわけではありませんけれども、それに代わる故郷が蘇ったと多くの皆さんが感じていただける、そのための復興は今日がスタート。決して仕上げでもまとめでも何でもないということを強調しておきたいと思います。
2つ目に、この10年の間にこの東日本全体で人が住めなくなるのではないかという危機感をもった原子力発電所事故があり、そこから原子力発電に依存しない社会を私や私たちは目指してきました。敢えて今日申し上げたいと思いますが、原子力発電所に依存しない社会は既に実現をしています。この10年、あの3.11より前に日本では多くの原子力発電所が稼働し、その電力によって社会は成り立っていました。しかしその後、部分的に再稼働がなされた原子力発電所はありますが、原子力発電所が稼働しなくても日本の社会が成り立つということが、この10年間で既に実証されています。つまり、原子力発電所に依存しないでこの社会が成り立つということが既に実証されている。10年前に故郷が戻らないのと同じように、この状況を10年前に時代を後戻りさせてはいけない。
そして、社会全体としては原子力発電所に依存しない社会は実現しているからこそ、原発立地地域をはじめとして、地域では今なお依存せざるを得ない、そうした皆さんに寄り添って、この現状をしっかりと恒久的なものにして行く、そこに向けたスタートの日だと決意をしています。
3つ目。この10年の間、この事故、災害に対する対応を教訓にしながら、さまざま動いてまいりましたが、いま足下でCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)による新たな危機という状況を1年過ごしてくる中で、あの東日本大震災と原発事故の教訓をしっかりと活かすなら、デジタル庁もけっこうですが、もっと急がなければならないのは災害対応の危機管理庁。しっかりと急ぎ、創っていって、いずれ間違いなく起きる南海、東南海地震や首都直下地震までに、もう今からでは間に合わないかもしれない。でも1日も早く、より強力に、いざという時に国民生活を守れる、そうした機能する行政を取り戻して行く。そこに向けたスタートの日にしなければならない。
以上3点を強く決意をしているところであります。」
また、記者から、今回の10年を節目として来年からは政府主催で追悼式が行われない方向であることについて問われると、「むしろ復興はここからが本番。私は風化、仕上げとかにつながって行きかねないような対応はすべきではない。まだまだ現在進行形であるという前提で、引き続き政府が主催して対応して、この3月11日という日をしっかりと風化をさせず、より本格的な復興に、そして原発に依存しない社会を確定することに向けた日として何らかの対応をして行くべきだと思っている」と述べました。