枝野幸男代表は23日、宮城県名取市と岩沼市を訪れ、大野そのこ宮城3区総支部長らと街頭演説をおこないました(写真上は、岩沼市のフーズガーデン玉浦食彩館での街頭演説後の様子。写真撮影のために、一時的にマスクを外しています)。

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岩沼市のフーズガーデン玉浦食彩館で支援を訴える大野総支部長

 大野3区総支部長は、昨年2月まで民間企業に勤めていましたが、社内で感じた格差や、社会の矛盾、さまざまな政治の問題など、このままではいけない、この日本をいい方向に少しでもするために自分の力を使っていきたいと思い、決意したと語りました。
 また、地域を回る中で、ある部品メーカーの社長からコロナ禍で半分以下の收入になっていて、会社がもたないといった訴えがあったと語り、補償が必要だと指摘しました。

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かわまちてらす閖上前で支援を呼びかける枝野代表

 枝野代表は、名取市閖上の演説で、「思い入れの深い地域」だと語りました。東北大学で学んでいた40年前、当時の世論調査はアルバイトで大学生を雇い戸別訪問をして調査していたと説明。そのアルバイトで担当したのが閖上だったと語り、40年前、3、4日かけて歩いたと振り返りました。そして、官房長官という危機管理の先頭にたっていた10年前の東日本大震災の時、閖上の津波被害は総理官邸にも早い段階で入ってきたと語り、閖上という地名も場所も、位置関係も知っていたので、「あの時、思っていたよりも、さらにひどい事になっているんだと実感した」「仙台平野のど真ん中のこの平らな閖上が、東京で見た映像でも、名取川が大変なことになっている。これは三陸の話ではなく、東北から関東までの太平洋岸がとんでもないことになっていると、総理官邸の危機管理センターで叫んだ、その時の情景はいまも脳裏に強く残っている」と語り、「本当に多くの大切な方を亡くされた方、この地域ではほとんどの建物が流された中から10年かけてこうした姿に変わってきた。この間のみなさんのご苦労と頑張りに心から敬意を表する次第であります」と述べました。
 さらに「この10年前の経験が、政治家としての新しいスタートラインだと思って仕事をしてきた」「同じようには戻らないけれども、被害にあわれた皆さんがもう一度前を向いて元気に進んでいける復旧復興を最後まで応援をさせていただかなければならない」と語りました。

 演説では、「日々の日常、皆さんの暮らしの声を届けてくれる仲間がほしいとずっと思っていた。石垣のりこさんが一昨年、参院議員として当選してくれた。宮城県全体が石垣さんの選挙区。衆院という狭いエリアの代表として、大野そのこさんがこの地で立ち上がってくれた。皆さん10年間のご苦労と頑張りの声を受け止めていくためにも、ぜひ大野そのこを皆さんの手でお育ていただきたい」と支援を訴えました。