立憲民主党は、12月4日午後、畜産・酪農政策WT(座長・渡辺創衆院議員)・農林水産部門(部門長・神谷裕ネクスト農林水産大臣・衆院議員)合同会議を国会内で開催、酪農家の中洞正東京農業大学客員教授より、酪農の現状評価と山地(やまち)酪農の取組についてヒアリングを行いました。(司会:西川将人畜産・酪農政策WT事務局長・衆院議員)

 冒頭、渡辺創座長より「今国会の会期末若しくは閉会直後に畜酪の決議に向けた審議を控えている。今後WTで皆さんのご意見の集約を図りながら会期末に向かっていきたい。今日は、意見集約に向けての貴重な機会になると思っている。中洞先生のお話を聞いていただき、活発な意見交換ができればと思っている」との挨拶がありました。
 徳永エリ副部門長より「国会が予定通り17日に閉会となったら、18日に畜産物価格についての閉会中審査となると思う。食料・農業・農村政策審議会の諮問答申を経て、畜産価格は22日の週の前半に決まるのではないか。先日、農林業センサスが公表され、我が国農業が本当に厳しい状況にあることが、改めて危機感を持って分かった。特に、酪農家の方々はコロナ禍の厳しい状況もあり、全国で1万戸を割っている状況。これから若い皆さんがしっかりと希望をもって酪農・畜産・農業に係わっていく、持続可能なものにしていくため、畜産物価格は重要であり、様々な課題について、農林水産省がどのように支援をしていくのか、非常に大事なことであり、しっかり議論していきたい。今日は、小宮山先生の紹介で東京農業大学の中洞先生にお越しいただいた。お話をお聞かせいただきたいので、よろしくお願いする」との挨拶がありました。
 小宮山泰子衆院議員より「中洞さんのお話を伺ったのは約1年前。川端達夫元衆院副議長のお声がけにより、国会におけるアニマルウェルフェアの状況について大阪でお話しする機会をいただき、そのとき、中洞さんからお話を聞かせていただいた。動物福祉もそうだが、山地酪農の可能性がすごいなと。酪農について収入が安定しないなどの問題がある中、中洞さんが実践をされている山地酪農は、付加価値とともに、安全であり、牛のことも考え、人間にも有益であるとのお話であったので、いつかお話を皆さんに聞いていただき、政策にいれていただきたいとの思いがあり、今回、こういう機会をいただいた。『幸せな牛からおいしい牛乳』というお話をいただくと思う」との紹介がありました。

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■中洞正東京農業大学客員教授のお話

<自己紹介>
 岩手県の山の中、地元の人もほとんど行ったことのない最北の地で40年間、牛を飼ってまいった。当時は、村八分状態。私は信念をもってやっていたが、子供たちが学校でいじめられることは日常茶飯事。岩泉町は、本当は違うのだが、日本酪農の発祥の地と言われた歴史のある酪農地帯。北海道の乳牛は岩泉から行ったと言われるくらい伝統がある。私が入植した頃は300戸の酪農家があった。全部農協出荷。その中でアウトサイダーの存在。相当やられた。元らでぃっしゅぼーや社長の徳江倫明さんが来てくれて、自分を評価してくれる人がいるんだと。それから経済的にも救われた。今は、6次産業化のトップランナーと言われ、いろいろなところに呼ばれてお話させていただき、そこそこ評価されるようになった。隔世の感がある。

<山地酪農とは>
 取り組んでいるのは、山地酪農という手法。1940年代に、草の神様といわれた猶原恭爾という植物生態学者が提唱した、山を活用した日本在来の草による日本型放牧。放牧地に一番適した草は野芝。岩手県の北上山地など日本各地に牛馬の放牧地があり、牧といった。自然の中で牛馬を放すと最終的には野芝に変わる。ところが、当時の草地学者の先生は、野芝になるのは草地が荒廃した指標、こういう草地をしてはダメだと言ったが、我々は違う。野芝が一番いい。何もしなくていい。牛さえ放しておけば、農薬も化学肥料もいらない、背丈も高くならない。

<千年続く酪農家になれ-大量生産はしてはならない>
 千年家思想。千年続くような酪農家になれ。そのためには大量生産をしてはならない、年間4,000㎏以上絞ってはならない。今は8,000㎏、9,000㎏、10,000㎏。スーパーカウは20,000㎏。だから輸入飼料が必要となり、経営が破綻する。猶原先生の言葉が現実となっている。

<著作、関連図書>
 5冊の自著がある。『幸せな牛からおいしい牛乳』は、1頁半にわたって帝京大学の入学試験に使われた。私は、国語の勉強は一切したことはないが、書くことは好きだから、いろいろ書いている。一番新しい本は、『中洞式山地酪農の教科書』。若者たちのために私が経験したことを書いた本。
 私の著書ではないが、関連図書『しあわせの牛乳』(佐藤慧著)の中で、モデルとして紹介されている。この本は児童文学賞を2つ、3つ受賞している。秋篠宮家の佳子様が大学を卒業された後の初の公務として、その授賞式に臨まれている。小学校高学年から中学校低学年の生徒がやたら研修にくるようになったなと思ったら、この本が読書コンクールに使われたようだ。

<日本酪農の実際>
 北海道の方々には非常に耳が痛いと思うが、私が北海道で話をするときには必ず言う話。私が学生の頃は、新幹線もなかったから青森から青函連絡船で函館に行き、そこから列車で中標津まで行くが、線路の両脇は牛だらけ。今は、牛はいない。牛がいない北海道で日本の牛乳の6割を生産している。牛は、牛舎につながれている。と殺場に行くまでつながれっぱなし。虐待である。
 牛舎内では溝に排泄された糞尿がバーンクリーナーで運ばれる。ここで乳を搾る。日本の牛乳はトイレの中で絞っているようなもの。朝には集乳車(タンクローリー)が来る。本来は、糞尿をきれいに片づけてから搾乳するが、間に合わず、隣の酪農家に迷惑がかかるから、とりあえず絞れと。ミルカーという機械にかけるが、それが糞尿の中に落ちたらどうなるか。日本の牛乳には糞尿が入っているということになる。北海道の酪農家の方が何人か来た時に、あなた方が絞っている牛乳に糞尿が入らないか、と聞いたら「入らない」といった人は一人もいない。
 だから、スーパーなどで売られている牛乳はUHT(超高温殺菌)、120℃以上で2秒3秒。糞が入っているから。賞味期限をなるべく長くして、大量生産、大量物流するために、森永ヒ素ミルク中毒事件以降、こういう高温による殺菌方法になった。そのため、バター、チーズ、ヨーグルトはできない。
 ヨーロッパでは生の牛乳が売られている。ヨーロッパにも高温殺菌の牛乳はあるが、長期保存するためのもので、一般の消費者がLL牛乳を飲む文化はない。
 これは、本物の牛乳でない。
 牛の体に糞が付着するが、これを業界用語で鎧という。
牛舎内の牛は普段運動しないので、膝が曲がっている。昔、頭数が少ない時は敷料として藁を敷いてふかふかベッドを作っているが、今は頭数が多くてそういうことにならない。4,5年で廃用牛となる。
 酪農の経費の5割が餌代。ほとんど全部が輸入飼料。北海道の広大な大自然の中で牛を放していると思っている人がいるが、苫小牧ではトウモロコシ用のサイロがニョキニョキ建っている。
 フリーストールでは牛を放しはしているが、奥のベッドと餌場の行き来だけ。糞尿を出すようにしているが、頻繁には出せないので、足爪に糞尿が常に付着していて、蹄病が多発している。帯広の削蹄師が、牛舎での飼養が牛を弱くしていると言っている。南部曲がり家では、牛と人間が同じ屋根の下で生活するが、頭数が少ないから人間の愛情がちゃんと届く。牛は可愛い動物。打算がないから。こうした牛が虐待的な飼育をされている。鶏も羽も広げられないケージの中で飼われている。これを消費者が見たらどう思うか。
 猛暑、猛暑と騒いでいる。ホルスタインの適温は5℃から15℃。だから北海道で酪農をやるのは理にかなっている。ところが、今は40℃の牛舎内でつなぎっぱなしで飼っている。虐待である。

<輸入飼料に依存する我が国酪農の構造>
 なんでこういう酪農になったのか。
 憲法の上に日米地位協定があると言われるように、アメリカの力。戦後、米国の余剰穀物戦略によって作られた。米、味噌汁、魚を食べる食生活なのに、なんで学校に行ったらコッペパンと牛乳なのか。米を食べると馬鹿になるという慶應医学部の先生の本がベストセラーになった。全てアメリカの戦略で、お抱え学者と農協の戦略。消費者ニーズで作られた畜産業界ではない。
 私が子供の頃、牛乳が飲めない子供がいた。そうすると先生が怒る。「全部飲んでから立ちなさい」と。
 今では、穀物だけでなく乾草まで輸入している。農協が独占業界。多少の規制緩和があったが、自ら牛乳工場を作って販売することは非常に高いリスクがある。普通の人は取り組めない。そのため、独占が続いている。全量無条件委託販売契約を酪農家と農協が結んでいる。文句を付けず、農協がいう値段で売れ、こういう流通を作ってしまった。これから外れると、補助金の分断、貸しはがし。私も直売を始めたとき、よく言われた。『お前も農協の組合員だろ。組合員だったら勝手なことをするな。どうしても勝手なことをするんだったら、農協にある借金を全部返して農協を脱退してからやれ』と。7千万もある借金をどうやって返すのか。
 乳脂肪分3.5%という基準を業界が作った。彼らに言わせれば濃い牛乳はおいしいからと。それ以前の基準は3.2%だった。一般の消費者が3.2%の牛乳と3.5%の牛乳を飲み比べても、その違いは分からない。これはアメリカの余剰穀物、配合飼料を売るため。大手乳業メーカー、農協もみんな餌屋。これをやったのは河野一郎。配合飼料メーカーに彼の銅像が立っているという。

<アニマルウェルフェア>
 今まで、19歳まで飼った牛は5頭。今の一般酪農では、8,000㎏、9,000㎏も搾るから内臓がガタガタになって、5、6歳でと殺場。哀れだ。生きている間、狭い所に閉じ込められ、太陽に当たらない飼い方をされ、つぶされる。
 私はアニマルウェルフェアを目指してこの飼い方をしたのではない。山地酪農という手法をやっていたら、東北大学のアニマルウェルフェアの第一人者、佐藤衆介という先生が大学院生を20名くらい連れて、中洞牧場の低投入型酪農についての調査研究にきた。そこで初めて、中洞牧場は家畜福祉性の高い飼い方をしていると家畜管理学会で発表してくれた。人間の福祉も良く分からないのに、何が家畜の福祉だと思った。私は現場があるからそんなに勉強はしなかったが、世界の風潮はこういう風になっているとつくづく感じた。瀬尾哲也という帯広畜産大学の准教授が、一般社団法人アニマルウェルフェア畜産協会を立ち上げ、認証制度を作った。はからずも、認証第一号が中洞牧場。瀬尾哲也氏は佐藤衆介氏の教え子。

<世界の飢餓と飼料穀物の矛盾>
 そもそも、畜産という産業は何のためにあるのか。人間の食料を食わせるためにあるのではない。世界では7億、8億の人たちが日本の牛が食っている穀物が食べられずに飢えている。日本の牛は穀物を食べすぎて病気になり、本来20年生きられるのにたった4、5年でと殺場に送られている。こんなバカな話があるか。

<山地酪農による森林管理>
 日本の国土面積の約7割が山。この山には無尽蔵の草資源がある。今はマツ、スギ、ヒノキを植え、孟宗竹がはびこっているが、これを何とかする方法は牛の放牧。台風、集中豪雨が発生するとニュースで川の映像が流れるが、よく見ると曲がった木は流れてこない。まっすぐな木、スギ、ヒノキが流れてくる。拡大造林という国策で針葉樹を植えさせた。植えさせて10年も経たないうちに木材の自由化をやった。ただ同然のラワン材がじゃんじゃん入ってきた。そうしたら放置。枝打ちや間伐をすれば地表に太陽光線が届き、いろいろな植物が生える。そうすれば山崩れは起きない。放置しているから植物が生えず、集中豪雨が来たら流れる。
 牛は、伐採した孟宗竹を喜んで食べる。竹林が最終的には緑の牧場になる。ヤギはタケノコを食べる。竹林を解消するには牛の放牧が一番。ボランティアで竹林を伐ってチッパーにかけてやっている人がいるが、人間が1町歩やるのは大変。タケノコを全部取らないとまた生えてくる。牛を放すと解消できる。
 植林すると10年、20年は下草刈りの作業をしなければならないが、牛を入れると不要。「舌」草刈り。舌で刈り取ってくれる。ある学者の論文によると8割の労働力が軽減される。林業は経済スパンがものすごく長い。昔は100町歩あれば、1町歩ずつ売って、100年サイクルで経済が回っていた。植林する人がいないので、今から植えてもその管理は人間がやらなければならない。誰もただでやる人はいない。ここに牛を放せばよい。牛は毎日乳を出す。これで経済を回しながら杉を育てていく。
 昔はきちんと枝打ち、間伐をしていたので、地表に太陽光線が届き、いろんな植物が生える。クマの餌となる植物も生える。森林面積の4割を針葉樹にし、ブナもナラもない、どんぐりもとれない山にして、クマが出てきた、クマガ出てきたと。当たり前。山に食うものがないから。クマは賢いから、少しでも味をしめたらすぐ出てくる。
 家畜改良事業団が諸悪の根源。1日に30㎏も50㎏も乳が出る牛をここに放したら3日も持たない。うちのように10リットルか15リットルしか出ない牛なら、山の活用で乳を出してくれる。家畜改良事業団は改良に改良して乳がいっぱい出るような牛にして、酪農家は輸入飼料、配合飼料を牛にバンバン食わせなければならないような仕組みにさせられた。誰が儲かったか。餌屋とアメリカの穀物メジャー。アメリカがくしゃみをすれば日本の酪農家は風邪をひくと40年も50年も前から言われている。一切変わっていない。
 北海道の育成牧場はギシギシが生えていて全然きれいじゃない。スイスの山は蹄が見えるくらいの短い草。放牧地の草は背丈が高くなくてもいい。ところが日本は、外来牧草を植えてボウボウになる。一般の草地学者は、猶原先生が研究した野芝を草地荒廃の指標だといって猶原先生をいじめた。
 2016年、岩手県を直撃した台風10号。あちこちの牧場が崩壊しているのに、中洞牧場の山は一切崩れていないということで、河北新報が中洞牧場を取材に訪れた。
 野芝の地下茎がびっしり生えて、山全体がスポンジとなっている。これが吸収しきれなかった水はこの上を流れる。牛が歩いても、足跡が付かない。びしっとランナーが組み込まれたところに雨が降っても、山崩れにならない。河北新報はこれを1面トップで報じた。こういう山が緑のダムとなる。

<飲用乳がバター、チーズにならない仕組み>
 乳等省令によると、大腸菌が1つ入っても規格違反。糞尿が入るなどとんでもない話だが、これを可能にしたのがUHT。低温殺菌はパスツールが発明した有害菌のみを殺し、乳酸菌などの有益菌を生かす殺菌方法だから、放置したらヨーグルトになる。高温殺菌するためにホモゲナイザーという機械に入れて脂肪球を壊す。アルミの鉄板の間に120℃の蒸気を通して殺菌するが、固形分がこびりつく。そのためにホモゲナイザーという機械を入れて、固形分を壊す。だからバター、チーズにならない牛乳になる。
 中洞牧場の直営店に外人が来て、「日本に来て初めておいしい牛乳を飲んだ」と言ったことがある。

<経営者としての評価>
 私は酪農、牛乳で評価を受け、経営者としてもそこそこの評価を受けた。2003年には、東北アントレプレナー大賞を、当時、東北ビジネス協会の会長であったアイリスオーヤマの大山健太郎氏からいただいた。このアントレプレナーをアメリカから導入したのは横浜市長を務めた中田宏参院議員。2006年には、EOY (entrepreneur of the year japan)のセミファイナリスト。ファイナリストは、オイシックスの高島浩平社長であった。

<第一次産業を経済のベースにして健全な若者を育成>
 今の国の仕組みは大いに間違っている。これを変えるのは、農林水産の健全に育った若者。子供の産めない日本。老人の仕事のない日本。私の曾祖父は99歳まで働いていた。倍賞千恵子の『TOKYOタクシー』という映画を見てきたが、施設に行けば死ぬ。昔は病院なんかなかったが、ちゃんと子供が育てられた。それは第一次産業。これが経済のベースになれば健全な人間が育つ、というのが私の持論。戦後の経済復興をみてみれば、たった10年で経済復興し、20年後には世界に冠たる経済大国。これは金の卵と呼ばれる地方出身の若者が集団就職で頑張ったため。今も上野の駅に『あゝ上野駅』のモニュメントがある。何で頑張れたのか。心身ともに第一次産業の後継者としてちゃんと育ったから。パソコンに向かっても心身ともに健康にならない。江戸時代に、江戸は三代続かずと言われた。なぜか。密だから。当時の江戸は世界最大の都市だったが、人口はたったの100万。今は1,000万。こういうところでは健全な若者は育たない。
 18世紀のベルリンで「首府は国民の墓場」と言われた。東京は国民の墓場。
 歴代のアメリカ大統領は、自分の牧場を持っていた。休暇は牧場で過ごすことを普通にやっていた。牧場のない名家は滅びると。
私の教え子が全国で14、5名いる。この中に牧場で結婚したのが10名くらい。他の人と接する機会もなく、同じ志を持っている人が同じところで寝起きしていれば、そうなるのは当たり前だが。
 花坂薫さんがうちの牧場で5年程働き、神奈川県の山北町で酪農を始めた。マスコミで取り上げられ、講演も行っている。
山洞牧場には、全国各地の大学、農業高校、海外から研修生が来ている。

<原発事故に伴い餓死した牛>
 原発事故で牛を置いて飼い主が避難した。牛は食べるものがないので、同じ方向を向いて死んでいる。3千頭。飼い主が来る方向を向いて、いつ来て餌をくれるんだろうと思いながら死んでいった。関連死では沢山亡くなっているが、直接の被害で亡くなっていないため、今の総理が、テレビのインタビューで「人一人死んでいないのに、なんでそんな騒ぐのか」といった。3千頭の牛が餓死した。食べるものがないので柱を食べた。これを見てかわいそうだと思わない人間は、人間じゃない。

■参加議員からの質問と中洞客員教授の回答等

<山地酪農における繁殖方法>
 参加議員から「宗谷ではこの3年で25%以上の酪農家が離農しているが、若い人たちが入ってきている。AIによる繁殖管理を行う経営をしているが、周りの農家、農協から敵視されている。自然放牧、山地酪農に取り組むとき、一番難しいのは繁殖だという。秘訣はあるのか」(川原田英世衆院議員)との質問がありました。
 中洞客員教授より「私の信念は限りなく自然のまま。繁殖は男女で作ればいい。人工授精をやろうとしたら人工授精師を呼ぶが、牛をつないで待っていなければならない。牛舎の中であれば勝手にやっていて、という話になるが、放牧では、つながなければならない。それが大変。自然のままで、受胎率は100%。1年に2頭産む牛もいる。ホルスタインのオスはおっかない。種付けをするために連れてきたホルスタインのオスが暴れて、殺された人がいた。怖くて使えない。そのため、ジャージーのオスを使った。徐々にジャージーの血が濃くなった」との回答がありました。

<一般的な酪農から山地酪農への移行の可能性>
 参加議員から「普通に牛舎で飼育している酪農から山地酪農へ移行することは可能か」(横沢高徳参院議員)との質問がありました。
 中洞客員教授より「いくら行政に乗せられて、今のような飼い方をしていても、現場で毎日乳を搾っていると、自分が作った技術であると信じたくなり、そう思い込んでいる。牛を改良しすぎたので、山に牛を放したら3日も生きていないことが大きな問題。ニュージーランド、スイスの牛の乳量は山地酪農の牛と同じ程度。今、変えるとしたら、改良が進んでいないジャージー種でやればいい」との回答がありました。

<輸入飼料依存からの転換に向けた打開策>
 参加議員から「為替と国策におびえているのが今の酪農。これらに翻弄されないためには、自給飼料でやっていくのが望ましいと思う。地元の人に話を聞くと、輸入飼料への依存症になっていて、その酪農経営以外の形態への転換が難しい。働き方が異なるし、自分のところで自給飼料を作ろうとすると草地面積が足りない。どのように打開したらよいか」(篠田奈保子衆院議員)との質問がありました。
 中洞客員教授より「はっきり申し上げて、既存の酪農家には期待していない。自分で構築した技術を信じ切っているからこれを否定するわけにはいかない。3頭、5頭で経営を確立して見せればよい。刈り払い機と軽トラックがあれば牛が飼える。糞尿処理、牛舎、トラックに投資するから赤字になる。赤字にならない方法でやればいい。こういう信念、理論、実践があれば、消費者は納得する。岩手県の山の中の牧場だが、全国、九州、沖縄のデパート、スーパーに出荷している。酪農家が消費者とつながっていないのは諸悪の根源。消費者がどういう意識をもって酪農を見てくれているかをしっかり認識すれば、健全な方向に行く」との回答がありました。

 また、参加議員から「中洞さんが言っておられたことは、私が40年前から提唱してきたことと全く同じ」(篠原孝衆院議員)との指摘もありました。