2017年、性犯罪の厳罰化を柱として刑法が110年ぶりに改正されました。しかし、国際社会の目から見ると積み残された課題も多く、法律施行後3年をめどに検討を加え、必要があれば見直しを行う旨の附則がつきました。この附則に基づき、2020年3月、法務省は性犯罪の要件などを議論するため、法や心理学の専門家を中心にした「性犯罪に関する刑事法検討会」[座長・井田良(まこと)中央大学教授]を設置。強制性交等罪の要件である「暴行・脅迫」の見直し(同意のない性交を処罰する不同意性交等罪の創設)など今後の検討項目を整理した取りまとめ、報告書を今年5月21日に公表、法務省では今後、この報告書をもとに法改正の必要性などの検討を進めていくとされています。

 こうしたなか、立憲民主党としてこの問題にどう取り組んでいくのか、性犯罪刑法改正に関するワーキングチーム(WT)座長の寺田学衆院議員に話を聞きました。

今国会中に2つの論点について見解を取りまとめる

 今年の初めに友人の小学生の娘さんが性被害に遭い、相談を受けたときに、自分も子を育てる親として苦しみを感じ、初めてこの問題が自分ごとになりました。性犯罪で苦しんでいる人がいることは当然認知していましたが、国会議員になって16年、この問題に本格的には取り組んではきませんでした。

 友人の件は、国会の質疑で取り上げたことにより、警察も動いて解決につながりましたが、同時に、問題の根深さを実感しました。法務省での議論が動き出しているなか、検討段階にあるときに野党第一党として一定の方向性を示すことが大事だと考え、党として刑法改正を目的としたワーキングチームを設置しました。

 性被害、性犯罪の問題は、地域を問わず長年にわたって存在してきました。被害を最小化することは必要ですが、それとは別に、起きてしまった被害自体を犯罪として捉えきれていないという問題が残念ながらあります。ワーキングチームでは、少なくとも主要な問題に対してはできる限り迅速に答えを出すべきだと考えています。

 「性犯罪に関する刑事法検討会」取りまとめ報告書の公表にあたり、党として出したコメントでは、論点として特に2点を挙げました。「暴行・脅迫や心神喪失・抗拒不能の要件の在り方(不同意性交等罪の創設)」と「いわゆる性交同意年齢の在り方」です。3年前の際に積み残された論点は他にもありますが、この2つは検討会でも両論併記されている、意見が分かれる象徴的な問題であり、今国会中に党としての見解を取りまとめるべく議論を進めています。

被害実態を出発点とした法体系をつくる

 不同意性交等罪の創設に関しては、性的な同意のあり方という、根源的なところを問うものです。全体として、力の強い男性の側の理屈に立った法体系がずっと続いてきているという思いもあります。諸外国でも不同意性交等罪の問題が議論され、導入されてきているなかで、わが国としてもしっかりと議論の俎上(そじょう)にのせる必要があると考えます。

 検討会での議論には、今回初めて被害者や被害者を支援する団体の方も委員として参加されました。しかし、中心となっているのは刑法学者の方、刑事司法に関わっている方々です。これまで法体系としての整合性や司法手続きにおける議論のあり方に軸足が置かれていましたが、私としては、全ての性暴力自体が性犯罪として捉えられる仕組みにするということであれば、実態としてどのような被害が起き、どのような苦しい思いをされている方々がいるのかを出発点として法体系を考えるアプローチに立つ必要があると考えます。人間の感情、体温が感じられるような議論にしなければならないと思います。

 性暴力の裁判では、「抵抗できたのに、しなかった」として無罪判決が相次いでいます。単純には言えませんが、警察にせよ、検察や裁判所にせよ、法体系に機械的な当てはめをするなかで導き出された結論が「いかに実被害との乖離(かいり)を生んでいるか」を指摘せざるを得ません。これを一概に裁判所のせいにするわけにはいきません。裁判所が依拠する、判断の基礎となる法律の構成自体に人間生活が見えない。「刑法としての美しさ、美学」という話をされた専門家がいました。実態よりも刑法としての整合性を追求した法体系であるがゆえに、こうした結論が導き出されるのでしょう。苦しむ被害者と、笑う加害者という判決を生んでいる現状だけは何としても変えなくてはいけません。

新たな犯罪を防ぐ「まっとうな裁き」を

 性暴力は「魂の殺人」と呼ばれる犯罪です。この犯罪の苦しさは、実際に被害を受けたときの苦しみはもちろんですが、子どもの頃に受けた性被害を、自分の子どもをお風呂に入れた瞬間にフラッシュバックして、被害に遭ったことに気づくというくらいのタイムラグがあるとも言われています。こうした被害実態をもとに法律を組み立てていかないといけません。そうでないと、被害には遭うが、加害者はまっとうな裁きを受けないという事態がいつまでたっても繰り返されます。本人や家族にとっては壮絶な一大事であるにもかかわらず、示談成立により罪を犯した人間が不起訴となったり、多くの事件の1つとして警察に軽視され続けていることは、第三者には想像がつかないほどの大きな苦しみです。

 今回、友人の言葉で印象的だった一言があります。「自分自身としては、今の仕組みに流されていろいろなものを飲み込む、示談で終わらせるという選択もあったかもしれない。けれど、自分自身がそうすることによって、まっとうな裁きを受けない加害者は、再び誰かの子どもに手を出してしまうかもしれない。そうしたら、自分も加害者になったような気持ちになる」という言葉です。自分の子どもが受けた被害の傷のみならず、「自分があのときに言わなかったせいで将来的に誰かの子どもまで傷つけたのではないか」と思い続けることだけは耐えられないと。本当にその通りだなと思いました。性犯罪が起きないように防ぐことが大前提ですが、起きたことに対しては、正当な手続きがなされ、正当な裁きがくだされることが大事です。

男性の側も認識をアップデートしていく

 性犯罪について上川陽子法務大臣は、「自分ごとにすることから始めなければいけない」と発言されています。不幸なことですが、私も友人家族がそうした被害に遭い、自分ごとになりました。今後の法改正の議論に向けて、多くの人が「自分ごと」にしていくことが大事だと思います。刑法の改正という枠組みだけで考えると、専門的な感じがして関心を持てない、問題意識を持ちづらい部分があるかもしれません。しかし、被害者の方々の声や裁判例などに触れれば、多くの方は思いを共有してくださるのではないでしょうか。

 性犯罪のほとんどは男性が加害者です。性の同意のあり方も含めて、男性の側が問題意識を持って自分たちの認識をアップデートしていくこと。男性が主体的に働きかけて、男性の側が変わっていくことが必要です。そうした意味で、今回男性3人の名前でコメントを出したことも、画期的だと思います。被害をなくすためにはどうすればいいか、党内でも男性議員のための性犯罪、性被害の勉強会を開きたいと考えています。

 刑法はこれまで、被害者の内心を立証するのは難しいからと、それに基づく法律を作ってはいけないという議論があったのだと思います。しかし、スウェーデンでは2018年7月、積極的な同意(イエス)がなければ性犯罪として認められる、新たな性犯罪規定が施行されました。日本でも旧来的な発想にとらわれず、若い世代と一緒に、当たり前の性的な同意のあり方を考えていきたいと思います。

 刑法学者が考えると、どうしても被害実態から離れた、無機質な、体温の感じられないルールになる傾向があります。なので、被害実態、被害者の声をどうやって法体系に落とし込むかという順番でやらないといけません。難しい話は専門家に任せて、われわれは何を大事にするべきかという取捨選択、政治的な判断をする。それが政治の責任だと思います。

党方針決定を受けての性犯罪刑法改正に関するWT座長コメント.pdf