枝野幸男代表は16日、千葉県佐倉市を訪れ、千葉9区のおくの総一郎前議員と街頭演説をおこないました。
衆議院を4期務めたおくの前議員は「初当選から12年、毎朝駅頭に立ち続けているが、道を通る方々の表情で世の中の状況が分かる。自転車で一日30キロ、40キロ回ってきた。この間、誰よりも皆さんの声をよく聞いてきた」と自負し、「今、街の声は何か。それは与党に対する怒りだ。新しい政府ができたのに、コロナ対策や経済の問題、何をするのか語らないではないか。予算委員会を開かないで、とっとと解散してしまった。説明責任を全く果たしていない」と語りました。岸田内閣について「岸田さんは自民党を変えると言ったかもしれないが、モリカケ、桜を見る会の説明責任を果たさなかった安倍・菅政権と全く変わらない」と批判しました。
国内で新型コロナ感染症で亡くなった方は1万8000人を超え、東日本大震災で亡くなられた約1万6000人よりも多くなったことを指摘し、「これは災害に等しい。与党・自民党が引き起こした人災だと思いませんか、皆さん」と呼びかけると、聴衆から賛同する声が上がりました。そして、事業者への支援が中途半端で、支給要件が厳しく必要な人に届いていないと訴えました。
政治を志したきっかけは阪神淡路大震災だったと語り、官僚だった当時、「いても立ってもいられなくなり、ふるさと神戸の現場に駆け付けた。そこで見た光景は今も忘れられない。長年努力して築き上げてきたものが、災害で一瞬にして崩れ去ってしまう。それに寄り添い、支えるのが政治だと思った」と振り返ました。
おくの前議員は、「新自由主義の政治をやめて、安定と分配の政治をやりたい。分配をして、格差が少なくなると生産性が上がる。安心して暮らせるようになることで生産性が上がる。だから分配をして格差を少なくすることが成長につながっていく。失敗しても再起できる、もう1回チャレンジできる、安心して暮らせる、そして心豊かに暮らせる社会を私たちの政権は実現していく」「ぜひこの地域、ここから日本を変えていきたい」と訴えて演説を終えました。
枝野代表は、おくの前議員について「政策通だけでなく、それを国会の中でどう進めていくのか、いわゆる国会対策の仕事を含めて経験を積み重ね、今や立憲民主党を支える大きな柱の1つになりつつある」とし、今度こそは小選挙区で勝ち上れるように力を貸してほしいと支持を訴えました。
新型コロナ感染症に関し「政治がこの大きな危機に命を暮らしを守るという本来の役割を果たしてきたでしょうか。このことがこの選挙で問われる。私たちはずっと、具体的に命を守るため、暮らしを守るために提案をし続けてきた」と切り出しました。
政府のコロナ対策の失策の例として水際対策を挙げ「水際対策が甘くて、結果的に変異株が次々と入ってきた。第5波の大規模な感染爆発の原因は変異株だと自民党も政府も認めている」と述べました。入国後の自主隔離の期間を守っている人がほとんどだが、守らない人がいるから変異株が入ってきたと指摘し、「立憲民主党は、全ての入国者に10日間、国がカネを出してホテルを借り上げて、食事を出して、その代わりホテルにとどまっていただくという具体的な提案をしている」と述べ、一方で留学生の来日を認めていないことを問題視し、検査と10日間の隔離をすることを条件に誰でも来日できるようにすべきだと訴えました。
岸田総理が自民党総裁選では金融所得課税強化に言及していたのに、総選挙に向けて何も言えなくなったことを取り上げ、「岸田総理の意思で物が決められる政権ではないとわずか10日で岸田さんが明らかにしている。誰が決めたんだ。今までの安倍政権を支えてきた、作ってきた重鎮の人たちではないか。つまり、あの安倍政権でボロボロにされた国民生活、自己責任を強いられてきた政治。表紙だけ変わっていても、何も変わっていない」と強調しました。
そして「私たちには、覚悟と準備ができている。勇気をもって変えよう。変えようではありませんか、皆さん。おくの総一郎とともに、日本を変えるにはあたなの力が必要です。あなたの力が必要です」と訴えて演説を終えました。
千葉県選出の小西洋之参院議員は、岸田政権は国会での実質質疑に応じず、14日に衆院解散、31日に総選挙という短い日程は戦後なかったと指摘し、「岸田総理は大臣を隠して、内閣を隠して、いま総選挙に向かおうとしている。こういう政治はもうやめなければならない。立憲民主党は、安倍内閣、菅政権でできなかたコロナの臨時病院の設置をわれわれだったらこういうやり方でできるはずだということをしっかり訴えいてる。『未来選択選挙』というようなごまかしではなくて、命を守り抜く、暮らしを守り抜く、そのための信念と実行力を持っている政治家か、政党かを皆さんに見分けていただきたい」と訴えました。