小学生の頃、課外活動の一貫だったと記憶しているが、長崎市の原爆資料館に初めて行った時の衝撃的な光景は、それから50年近く経ってもしっかりと目に焼き付いているほど、戦争や原子爆弾の悲惨さを伝えるのに充分だった。以来、広島と共に世界で唯一の戦争被爆地、長崎県に生まれ育った者として、平和な世界を強く願うようになり、そのためにも日本が率先して、核兵器の使用禁止と廃絶を目指し、国際秩序の構築に尽力すべきであると考えている。

 同時に、戦争体験から戦争の悲惨さを伝えることも平和を推進する上では大切な活動である。長崎県には、郷土の歴史的体験を後世に語り継ぎ、平和な未来の実現に向けて活動する「長崎原爆青年乙女の会」(長崎市)や「佐世保空襲を語り継ぐ会」などの団体があり、佐世保の団体の方とは私自身関りをもっているが、いずれの会も会員の高齢化により後継者不足が課題となっている。「記憶されない歴史は繰り返される」しかし、「記憶は体験していなくとも語り継ぐことはできる」

 近年、持続可能な世界の構築を目指して、SDGs実現に向けた取り組みが盛り上がりを見せる中、かつて私たちの郷土を一瞬にして破棄した核兵器が、持続可能な未来にどのような影響を与えるのか。長崎県の国会議員として、平和な日本を守り抜く責務があることを思い、そのための努力を郷土の皆さんと共に惜しまない所存である。