米国による日本への原爆投下から79年。ウクライナやガザ地区などで戦火が続き、世界で核兵器使用の懸念も高まっています。核兵器廃絶に向け核の惨禍を知る被爆地の声を世界に伝えるため、1998年から「高校生平和大使」は国連に赴くとともに、高校生1万人署名なども行い、平和のメッセージを世界に送り続けています。未来に向けて何ができるか。山田勝彦衆院議員が長崎の5人の高校生と話し合いました(写真:8月9日の式典を向け準備中の平和祈念像前で。右から安野美乃里さん、大原悠佳さん、津田凛さん、山田勝彦衆院議員、福江栞さん、瀬川陽さん。対談:7月22日)。
■高校生平和大使■
1990年代後半、世界で核実験が相次いで行われたことに危機感を募らせた長崎の市民は、98年10月、長崎の高校生2人をニューヨークの国連本部へ派遣し、直接核兵器の廃絶を訴えることにしました。「高校生平和大使」の始まりです。
2000年からは軍縮会議が開かれるジュネーブの国連欧州本部を訪問。高校生平和大使は国連では「ヒロシマ・ナガサキ・ピース・メッセンジャー」として認知されています。2013年には外務省からユース非核特使に任命され、2014年からは民間人としては初めて軍縮会議の場でスピーチを行いました。ブラジル、ドイツ、タヒチ、インド、メキシコ、フィリピン、韓国等も訪問。また地域や学校での平和教育の講師を担うなど、国内外に発信を続けています。
高校生平和大使は年に1回、全国公募で選出。現在は17道府県で23人で、これまで選出された高校生は250人を超え、「微力だけど無力ではない」との強い信念で、活動を広げています。
■思いをもって活動へ■
山田 高校生平和大使の皆さんのお話を聴きたいと思っていて、本日、実現しました。よろしくお願いいたします。
安野 私は中2のとき、兄弟の影響で署名活動に初めて参加しました。高2のとき第25代平和大使に選ばれました。私の親族に被爆者はいませんが、いる・いないによって活動参加が判断されるものではないと考えます。長崎で平和教育を受け、核廃絶に強い思いをもち、高校生として社会活動に参加する意義があると考え、「微力だけど無力ではない」との思いで、活動を広げています。活動は本当に価値があると高校最後の年になって一段と思いを強めました。
福江 3月に韓国を訪れ、日本で被爆された在韓被爆者の方にお話を聞き、韓国の高校生とも交流しました。高2で韓国派遣高校生平和大使になり、被害の面だけでなく加害を学ぶことが大切と感じ、発言もしてきていましたが、訪韓してまだまだ知らないことがあると驚きました。また、韓国の高校生は教科書で日本の加害のことを学んでいるので、日本の高校生を嫌いかもしれないと不安でしたが、会うのを楽しみにしていたと言ってくれて、かつては加害と被害の関係だった国でも、次の世代が仲良くなることで、平和につながるのではないかと思いました。
地元が大村市で、長崎市内よりも平和学習や平和大使への関心が少し薄い印象があるので、小中学生に向けた平和教育などを地元でいっぱいすることで、大村で平和活動に興味を持ってくれる子が増えたらいいなと思って活動しています。
津田 私が高校生平和大使に関心をもったのは祖父の存在に拠るところがあります。祖父は3歳で長崎市内でも爆心地から遠い場所で被爆したのですが、放射線の影響が表れるようになり、さまざまな癌にも苦しみました。その姿を通して、原爆は落とされた日では終わらない。大切な人を亡くした悲しみも後遺症もずっと続くと改めて思いました。使ってはいけないし、戦争をしてはならないという思いを長崎から伝えたくて高校生平和大使を志望しました。長崎のことだけではなく、日本のこと、そして世界のことなども学んでいきたいと思っています。
大原 高1のとき署名活動に参加して以降、活動しています。きっかけは大きく2つあります。1つ目は私の母校が被爆地からとても近く、町内に被爆した建物や平和の像などが多くあって、小さなころから平和教育を学び、その分、平和について考える機会が多くあったということです。
2つ目が被爆者の方との関わりが多かったことです。小・中学校での平和学習のなかで出会った被爆者の方もそうですし、私は被爆3世で祖父母から話を聞くことも多かったですし、被爆者の生の声を聞きながら、核廃絶の必要性を強く感じて育ってきて、私に何かできることはないかと思い、活動に参加しました。この1年間、さまざまなことを学んで核廃絶への思いも強くなりました。ジュネーブでは被爆者の方々の思いを伝え、核兵器廃絶の必要性を強く訴えていこうと思っています。
瀬川 高1から活動を始め、今年度から活動リーダーをしています。私は五島市出身で、平和教育の機会が少ないことについて、なぜ同じ長崎県なのにこんなに差があるのだろうと、疑問を感じたのが活動を始めたきっかけです。地元に戻ったとき、活動を通じて得た知識を還元していくことが私の重要な役割だと感じています。最初の1年間は本当に学びの1年でしたが、今年度からは発信を意識しようと思っています。小・中学生への発信が私の目標です。
■まず、事実をきちんと知ること
長崎・広島の平和教育を全国で■
山田 お話を聞いていて、いくつも興味深いところがあったのですが、長崎市内と他の地域では、平和教育に格差がある感じたわけですね。平和教育については従来から問題意識をもっていました。この点について議論させてください。
安野 私は諫早市ですが、被爆者の方の話を聞く機会はありましたが、長崎市の小・中学校には、子ども自身で平和を考えて、取り組みを自分たちで企画をする、平和委員会といったものがあるそうですが、諫早市にはありませんでした。
山田 長崎市内の小・中学校には「委員会」という形で、多くの学校にある体育委員会等と同様の位置づけで、平和教育のための委員会が、ある種の義務教育として盛り込まれているんですね。
大原 月に1回平和集会があったのですが、中学生のときはどういった内容を学習するか、企画運営を中学生が委員を務める平和委員会が行っていました。
津田 グループでフィールドワークを行って、ディスカッションした内容を学活で発表することはやっていました。ちょっと記憶が曖昧ですが、5、6 年生は毎年行い、6年生のときは、ペアとなる1年生に対して、その子に合う教材を手作りして、内容も段階的に分けて作ったりしていました。
山田 そういうフィールドワークも、僕は佐世保市の小学校だったけど、記憶にない。とはいえ、長崎では8月9日は登校日ですね。これは全国で当り前にそうだと思っていましたが、東京の大学で友達に話したら違うという。広島も8月6日は登校日。長崎や広島の子どもたちは原爆が落とされた日に登校してあらためて平和教育を受ける機会がありますが、他の都道府県はありません。
国会でも取り上げましたが、皆さんは、子どもの頃から戦争や核兵器の悲惨さ、被爆者の方々が被爆後にどんな人生を歩んできているかを身近に見聞きする機会がある。そういう子ども時代の、ある種の素養ともいえるものがあると、社会に出たとき平和に対する思いは大きく変わると思います。平和教育は重要だと訴え続けています。平和教育について長崎県内においてもこうやって差があるということを教えてもらいましたが、全国どこでも、まずは長崎県や広島県が県全体で取り組んでいるような平和学習はせめて行うべきだと思っています。
安野 全国の高校生平和大使は母校を訪問して平和教育、核兵器廃絶、原爆について話す、「平和の種まきプロジェクト」を行っています。
母校に手紙を出して「こういうことをさせてください」と言って相談したうえで実施するのですが、低学年・中学年・高学年に分かれて、まずは自分たちの活動を紹介して、「核兵器がどれだけ危険なものなのか」「使われる可能性がある危険な現状」「核兵器を使うのは絶対に許されないことで、なくすにはどうしたらいいか」「戦争をおこさせないためにはどうしたらいいか」といった会話の機会を必ず持つようにしています。
福江 高校生が講師をやることはすごく大切なことだと自分は思っていて、私たちも小さい頃から被爆者の方からお話を聞く機会を得ていましたが、自分と年が近い、高校生のお姉さんが来て前で話すというのはなかなかない機会だと思います。講演するときは、先生が授業で話すような感じではなくて、友達と普段しゃべるような感覚で話します。戦争は怖いことですし、平和教育というと硬くなってしまいがちですが、リラックスして受け止めてもらって、平和って何か、戦争はどうしたらなくなるかということを友達と一緒に考える。こんな感じで高校生が講師をすることはいいなと考えながらやっています。
津田 小・中学生の視点は私たちとも違うので、私たちも教えてもらうことが多い。お互いが学びになる。全国で広めていただきたいと思います。
山田 いい取り組みですね。語り継いでいかなければならないなかにあって、被爆者の方々の平均年齢も80歳後半になっています。お話を直接聞くことがこれからどんどん難しくなっていくなかで、今日の聞き手が明日の語り手になることは、とても重要ですね。現在、17道府県に23人いる高校生平和大使が、それぞれの母校の小・中学校を訪れ、高校生が講師となっているとお聞きしています。大変すばらしい取り組みですね。平和教育に関して、国などへの何か要望などはありますか?
津田 この間、広島に行ってきて、鳥取県の方とお話しした時に、「鳥取では長崎や広島で原爆が落とされた日時を知らない人が多いと思う」と聞いて、それを知ってもらうことは無関心から関心に変われる第一歩だと思うので、全国でも広島や長崎の平和教育をしてほしいと思いました。また、私たちが小・中学校に平和教育をする、高校生が教える事はすごくいい機会だと思いますので、全国でも広げていただきたいです。
山田 なるほど、高校生が講師として全国の小中学校で広める活動を国にもっと支援してもらい、無関心を関心に変える、知ってもらう平和教育の機会を全国で作っていきたいということですね。
安野 被害について学ぶことはもちろんですが、同じくらい加害について学んで、まずは認める意識を広げていくことも必要なのではないかと思います。相手国の被害を知って、日本がしたことも認めて、お互いに思いを伝え合って、これから核兵器廃絶に向けて行動していかなければならないという思いです。
■日本政府は締約国会議に
せめてオブザーバー参加を■
山田 皆さんにとって「核なき世界をどうやってつくっていくか」というのは活動のメインになると思いますが、核兵器禁止条約もでき、締約国会議には世界中の国々から多くの市民が参加してますよね。現地に行ってみてどうでしたか?
安野 具体的な活動としては会議の傍聴と、サイドイベントへの参加や学生との交流などをしました。また、最初は予定になかったのですが、本会議でのスピーチもしました。現地の雰囲気は日本人は結構多くて、日本語も通じるくらいなのですが、政府の存在だけがない状態という感じでした。同じ日本人として悔しいと思いました。
核兵器禁止条約の締約国会議に集まっている人たちは、自国のことだけではなくて、核兵器に関わる全ての問題で苦しんでいる人のこと、マーシャル諸島などの核実験被害者やウラン採掘だったり、さまざまな問題をとらえています。私はオーストラリアで行われた核実験の被爆者の娘さんの言葉が忘れられません。「被爆者や被害者も同じ議場で話し合う権利がある」という言葉でしたが、それはすべての被爆者問題とも強く結びつくことだと感じました。
山田 例えば広島は認められたのに長崎は認められない黒い雨訴訟の問題などもありますね。
安野 はい。被爆者が声を上げられなくなるのを待つのではなく、助けを求めている人を今すぐに救済をするのは長崎だけではなくて、どの世界にも共通することだと思います。そういう声を拾い上げることはとても重要だと感じました。強い国が弱い国を支配する中で、被爆者が生まれてしまっている現状があるのをすごく感じて、国を動かす人たちが取り組むべき課題ではないかなと感じました。
山田 岸田総理は広島選出なので、歴代の総理よりも核兵器廃絶への思いは強いと思うので、私は国会で、締約国会議に「せめてオブザーバー参加を」と求めました。総理は、「(外相時代)核兵器国を動かさなければ、核軍縮をめぐる現実は何も変えられないという厳しい現実を突き付けられた」「ロードマップを具体的に示すことが被爆国としての日本の使命」などと答えるだけでした。
大原 日本は核兵器によって多くの方が亡くなった国です。そういった核兵器の恐ろしさを知っている国だからこそ、日本が参加して声をあげることで、核兵器は非人道的なものであることをあらためて世界に伝えることになると思います。日本は歩みを一歩進めてスタート地点に立つべきだと思います。
瀬川 ウクライナの戦争が始まって3年目、ガザ地区でも多くの人が亡くなっている現状にあります。一歩間違えば核兵器が今にも使われそうな状況が続いているなかで、仮に締約国会議に日本が参加すれば、この戦争・紛争がおさまるかもしれないとも思うのでオブザーバーでもいいので参加してほしいです。
安野 「核兵器と人類は共存できない」という、シンプルだけど強いメッセージがありますが、本当にそうだと思っています。核兵器廃絶は「いつか」ではなくて「いますぐに」取り組むべき課題だと思います。今を生きている人が選択すべき責任だと思います。
山田 核兵器はいかなる理由があっても使ってはいけないし、持ってはいけない。この思いをもっともっと広めないといけない。核兵器を保有することが平和を保つといった議論には危機感を覚えます。
「微力だけど無力ではない」をスローガンに掲げ、平和運動を国際的に展開されています。皆さんのその力は、微力どころか大きな希望となっています。長崎を最後の戦争被爆地にするために、一緒に活動していきましょう。