東日本大震災・原発事故から 10年を超えて それぞれの「あの日」から

階猛 衆院議員(岩手県1区)

 地震で死ぬかもしれないと思ったという階猛議員。被災現場を視察する中で、復旧復興の担い手である事業者の再建の必要性を痛感し、それまでになかった「二重ローン対策」や「グループ補助金」の新設や「相続熟慮期間」の延長に尽力しました。階議員に取り組んだ議員立法や今後の復興の課題について聞きました。

地震で初めて死ぬかもしれないと思った

――被災時、どこにいましたか 10年前の3月11日、選挙区の盛岡市内にある専門学校の卒業式で、挨拶することになっており、その会場にいました。卒業生代表が答辞を読み始めた時に大きな揺れがきて、天井からぶら下がっている照明が今にも落ちそうなぐらいでした。たくさんの学生の悲鳴が飛び交っていました。少し弱まったと思ったらまた強く揺れ始めて、長く揺れが続き、何度も悲鳴が起きていました。揺れている最中に停電で真っ暗になってしまい、生まれて初めて地震で死ぬかもしれないと思いました。

 その後、盛岡市に隣接する雫石にある実家の様子を見に行きました。そうしたら地震の10分前に94歳の祖母が亡くなっていました。その日は、遺体を病院から引き取って実家に運んだり、自分の周りのことに対応したりすることで精一杯でした。その後もテレビを観られないので、ラジオで情報収集しましたが、断片的な情報しかない上、映像も見られないので、ここまでひどい状況だというのは想像ができませんでした。むしろ東京にいた人たちの方がリアルタイムで津波の映像などを見て災害の深刻さを分かっていたのではないでしょうか。

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画期的だった二重ローン対策、グループ補助金

――被災地選出の議員として、国会でどのように災害対策に取組みましたか 与党の立場としてより対策に責任がありました。現場の被災者、中小企業の皆さんの声を大事にしながら、なおかつ与野党を問わず役に立つ提案は積極的に取り入れ、とにかく党利党略ではなくて、ベストなものを作ろうとしました。被災地を見て回る中で事業者の皆さんに対する支援を優先的する必要があると考え、同僚議員とともに二重ローン対策(※1)やグループ補助金(※2)の導入に取り組みました。

 二重ローン対策は、事業者からはもちろん、弁護士会からも要望がありました。さらに、事業者だけではなく、個人も大変だということで、両者への対策を検討しました。最初に法務委員会で私が取り上げて、どのように厳しい状況になっているかについて与野党の議員と認識を共有した上で、制度設計につなげていきました。

 グループ補助金の創設に関しては、岩手県花巻市に直嶋正行元経済産業大臣らをお呼びし、地元の中小企業の実情を聞いてもらいました。その中で、今までのやり方では事業の存続が厳しいことを理解してもらい、二重ローン対策、そして事業再建のために4分の3(国が2分の1、県が4分の1)を補助するというグループ補助金をセットでおこなうという流れにつながりました。

 今までにない仕組みだったと思います。前例のない未曾有の大災害でしたので、前例がない対策をとろうと政治家が決断し、それに対して官僚の皆さんも一生懸命に協力してくれました。2つの仕組みは画期的で、今、いろいろな災害がありますが、これにも応用されていまして、これは民主党政権の1つのレガシーだったと思います。

数々の議員立法をスピーディーに成立させる

――国会に復興特別委員会が設置されてからどのように政策立案に取り組みましたか 最初の頃は世の中の関心も高く、多くの法案をスピーディーに通すことができました。例えば、相続熟慮期間の伸長です。震災、津波で誰かが亡くなった場合、相続人は相続するか、相続放棄するか、3カ月以内に決めなくてはいけないというのが民法のルールです。ところがあのような被災状況で3カ月の間に亡くなった方の財産がどれだけあるかとか、負債がどれだけあるかとか、当然分かりようがありません。その期間を半年延長するという法案を、私が立案し、2、3日の間に国会で通したことがありました。

 政権当時、私たちがスピーディーに復旧復興を進められたのは、政策立案にすごく真面目に一生懸命に取り組む議員が多かったからだと思います。そういう議員たちの意見が反映されやすい政策決定の仕組みが政府・与党にありました。国内外の人たちから応援してもらえたことも私たちの頑張り、やりがいを大いに支えてくれました。その一方で、除染、汚染水、廃炉など、原発事故への対応は、スピーディーにはいきませんでした。

 所有者不明の土地問題への対応も大きな課題でした。今まで住んでいたところが津波で流されて、そこは危険で住めなくなり、高台に移ろうとした時、その移りたい先の土地の所有者が不明――そういうケースが多々ありました。そこで私たちは、所有者不明の土地でも自治体が使えるようにしようと早くから提案しました。ところが、自民党に政権が移った後、そういう提案がなかなか通らなくなってしまいました。野党になってからも与党に働きかけ続け、2015年に一部進展しましたが、所有者不明の土地問題に関する法案は、今も国会で審議が続いています。

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移住人口、交流人口を増やしていく

――これまでの震災対応の総括と今後の展望について 2009年に政権交代し、その約1年半後に大震災に見舞われました。その間に身につけた政権運営能力を震災対策に活かせた部分はあります。ただ、残念なのは、これから国民への約束を1つひとつ果たそうとしていた矢先の未曽有の事態でしたから、その対応にほとんどのマンパワーが集中することになりました。その結果、選挙で約束したマニフェストは、二の次、三の次になってしまいました。今だから言えるのですが、震災に対応する政治家やスタッフと、マニフェストに対応する政治家らの両者がいれば良かったと思います。

 被災地の復興について言えば、道路や防潮堤、公共施設などのインフラが整ってきました。実は、これはもろ刃の剣だと思っています。道路ができるということは、被災地から都会に出ていくのも容易になるわけです。被災地にとって、ともすれば人口流出の危険が高まります。また、立派な防潮堤ができましたが、海が見えなくなることによって、観光にとってはむしろマイナスかもしれない。公共施設や立派な球場、ホールができましたけど、維持管理費が重荷になるかもしれない。

 こういうもろ刃の剣のマイナスの部分をいかに小さくしていくか。そのためには、やはり人を呼び込み、移住人口を増やし、交流人口や関係人口を増やすことが一番大事です。まずは、被災地がモデルとなって、立派なインフラを生かしていく。そのためにも、移住人口や交流人口を増やしていくことに力を入れていきたいと思います。

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※1 二重ローン対策は、東日本大震災で被災した個人が住宅を新築したり、中小企業が設備を修繕したりするために新たな債務を抱え、被災前からの債務と合わせて二重に債務を負うことに対応するため、被災前の分を減免して経営、生活再建を後押しする措置をいう
※2 グループ補助金は、東日本大震災で被災した中小企業などの施設・設備の復旧・整備を支援するための制度で、国と県が連携して補助(国が2分の1、県が4分の1)するというもの