東日本大震災・原発事故から 10年を超えて それぞれの「あの日」から 福山哲郎 参院議員(京都府)
総理官邸の危機管理センターに政治家として最初に飛び込んだ福山哲郎議員(当時官房副長官)。東京電力・福島第一原発の全電源交流喪失、冷却機能停止という危機の拡大に直面しました。情報が錯綜する中、正確な情報収集に最も苦労したと言います。発災を受けた官邸の対応の様子、情報集約、情報発信の3つの方針、「脱原発社会」への道筋などについて聞きました。
何かとんでもないことが起こるのではないか
――発災時の様子について 発災時、菅直人総理、枝野幸男官房長官は参院決算委員会に出席しておりました。官邸に政治家として残っていたのは私だけでした。副長官室で執務をしている最中にグラグラと揺れたので、すぐに隣の秘書官室に飛び込み、官邸危機管理センターに緊急参集チーム(※)を集めるよう指示しました。
NHKのテロップで震度を確認した後、すぐに危機管理センターに入りました。その後、枝野官房長官、そして菅総理が入って来ました。そこには津波被害、鉄道不通、がけ崩れ、停電などの被災状況に関する情報があちこちから入ってきました。ここから災害対策のオペレーションがスタートしました。
生涯忘れられない時間があります。午後4時少し前のことです。原子力安全・保安院から「福島第一原発(1F) の全交流電源喪失、冷却機能停止!」とマイクを通じて報告がありました。その時、官邸の危機管理センターの空気、緊張感が一段、スッと上がったような感じがありました。一瞬、時が止まったようにも思いました。原発は緊急停止して「無事だった」という当初報告があったではないか。みんな「いったい何が起こったのか」という空気でした。ただ、何かとんでもないことが起こるのではないかということを、その場にいたメンバーが瞬時に共有し、緊張のレベルが上がったように思います。
――災害対策上の役割分担について 災害対策のマニュアルはあるものの、そこから外れていることが多かったというのが実情でした。現実に起こっている事象に対して、一つひとつ検討し判断していきました。その際、「災害対策基本法」や「原子力災害対策特措法」などにのっとって、対策を執行しなければなりません。総理の秘書官らが関係法令をチェックした上で、すぐに緊急災害対策本部、原子力災害対策本部を立ち上げました。福島第一原発が全電源交流喪失、冷却機能停止という深刻な事態に陥ってからは菅総理がその対応に集中しました。枝野官房長官は災害対策の全体を見るようにしました。
官房副長官の私は、岩手や宮城の津波被害、土砂崩れ、不通路線といった状況を把握しながら、福島第一原発に電源車を送る手配をしたり、首都圏の帰宅困難者の滞在先の確保に注力したりしていました。首都圏の電車が止まって多くの皆さんが帰宅できなかったからです。当時、新宿、東京、渋谷、池袋、横浜などのターミナル駅には帰宅できない人たちがあふれていました。経済団体やビル管理会社など、さまざまな団体に緊急の滞在先の確保をお願いし、その情報をテレビのテロップで放送してもらいました。
現場を見ないで判断するのか、現場を見て判断するのか
――ベントの承認と国民への説明について 夜中の午前1時頃、東電が原子炉格納容器の破損防止のために内部の圧力を下げる排気作業、いわゆるベントの承認を官邸に求めてきました。これを実施するということは、世界で初めて放射性物質を意図的に外へ出す事態を意味しました。最終的に菅総理がベントを了承しました。その際、ベントに先立ち国民の皆さまにきちんと情報発信することも決めました。東電からベント準備に2時間を要すると聞いていたので、午前3時から海江田万里経済産業大臣は経産省で、枝野官房長官は官邸で記者会見を開き発表することにしました。
一方で0時過ぎから、菅総理がオバマ米国大統領と電話会談を行いました。オバマ大統領からお見舞いとともに「非常に厳しい時間を過ごしていると思う。アメリカはできるだけの協力をする」という趣旨の発言がありました。その電話会談に同席していた私は、米国が非常に真摯な対応をしてくれ、総理も大変心強く感じたという印象をもちました。
午前3時に予定通り記者会見を開きベントを始めると発表しました。ところが、明け方の4時、5時になってもベントが行われないので、私たちは、非常に危機感を強めました。爆発のリスクは、放射性物質が飛散するリスクを意味するからです。実情が分からない中、福島第一原発周辺住民の安全を考え、避難区域を半径3キロから10キロへと拡大しました。そして菅総理は午前6時頃にヘリで被災状況と福島第一原発の視察に出発しました。
――発災直後の総理の被災地視察について 総理はこの視察で官邸を4、5時間離れました。その間の最終判断は官房長官が行いました。つまり官房長官が災害対策の全般を指揮し、総理が現場に入ったわけです。今だから言えますが、いつ放射能漏れが起こり、いつ爆発するかわからない状況で、総理が行くというのは本当にリスクが高かったと思います。しかし総理は、「若い者ではなくて自分が行く」と言明しました。これだけの災害で「現場を見て判断するのか」「現場を見ずに判断するのか」の選択でした。いろいろ批判されましたが、私は結果的にこの判断でよかったと考えています。
なぜなら、当時、1Fの情報がまともに入らない中、現場と直接つながることは、官邸でのオペレーションを進めるためにも、さまざまな意思決定をする上でも非常に重要なことでした。視察から官邸に戻ってきた総理は、「現場とつながった。吉田所長は信用できる」と開口一番私に語りました。その上で、「原発は全体として良くない。海の水で循環させるしかないのではないか。根源的な問題だ。水が蒸発する可能性もある」と説明しました。津波被害を受けた宮城県の沿岸地域の様子については「ほとんど津波でやられている。食料、水、毛布、トイレが全く足りてない」と状況報告しました。
情報集約を一元化し、ワンボイスで情報発信
――情報収集のあり方について ベントの不具合や水素爆発など、東電や原子力安全・保安院などの専門家が予想しない事態が次々に発生しました。その原因説明を求めても正確な情報が上がってこない。そうした中、3月15日、いわゆる撤退騒動が起こりました。東電が1Fから撤退したいと官邸に言ってきたのです。菅総理はそれを受け入れず、逆に東電本社に政治家と官僚を送り込み、東電と政府が一体となって事故対応するための統合対策本部を東電内に設置しました。これは法律に基づかず、要請による組織でした。これによって東電内の情報を瞬時に官邸と共有することができるようになりました。
情報が来ない場合、いつまでも官僚を頼り、省庁の縦割りの仕組みに乗っかっているだけではダメです。情報の目詰まりがどこで起きているのか、早急に察知をして手を打つしかないのです。システムを整えたからといって情報が上がってくるわけではありません。何の情報が必要かという指示を政治が官僚に出さないと、出てこない可能性があります。政治家の側が「何の情報が欲しいのか」を明確に官僚組織に伝えることが重要だと思います。その上で情報を全体で共有すること。一部の人間だけで共有すると、結果として、それは情報が来ていないのと同じ状況になります。
――情報発信の3つの方針について 総理と官房長官と私の3人で震災から2日目に確認したことがあります。決めたことは3つです。(1)避難の指示は、一分でも一秒でも早くする。つまり、被ばくを避けるためには、躊躇はしない。(2)避難の範囲は、マニュアルでは実は10キロメートルまでだったのですが、それにこだわらずに避難の範囲はできるだけ広く取るようにしました。やり過ぎではないかと言われるくらいまで広く避難の指示を出す。そうしないと、被ばくのリスクを避けられない。(3)情報は分かっているものについては、できるだけ公開することにしました。事実かどうかわからない情報があちこちにあり、情報が錯綜していました。全部を出してしまうと、不確かな情報まで表に出てしまうので、本当に事実だと確認できたものをなるべく早く出していこうと確認しました。
――ワンボイスの重要性について 情報発信で重要なことは、国民への発信を、司令塔を決めて一元化することです。あっちの大臣、こっちの大臣、こちらの役所がそれぞれに発信すると、国民はどれが本当で、何を信じていいのか分かりづらくなります。震災当時、枝野官房長官に全ての役所の情報を集約して、官房長官の発信が政府からの発信なのだと位置づけました。こういった司令塔の機能を危機管理時には、なるべく早く決めて、One Voice(ワン・ボイス)で国民に届けることが最も肝心なことではないかと思います。
リアリティを訴えながら「脱原発社会」を実現していく
――「脱原発社会」実現に向けて 「原発を止めるべき」「原発に依存しない社会を作るべき」という声は、10年前からあまり変わっていません。国民の本当の強い気持ちだと思います。あの事故を目の当たりにすればそうなるのでしょう。当然のことだと思います。
原発は一度暴れ出したら、人間の力ではどうしようもない一種のモンスターです。私はそれを目の当たりにしたので、人間が原発をコントロールができると考えることに傲慢さを感じます。もっと原発のリスクやモンスターであるという現実に対して人間は謙虚であるべきだと思います。
だからこそ、早く原発を止めることを決める。決めた後、原発立地自治体の経済状況をどうするのか。使用済み核燃料はどのように処理をしていくのか。そして原発立地自治体の雇用をどう守っていくのか。原発に代わる再生可能エネルギーの普及をどう加速させるのか。電力の安定供給のためにどのようなシステムを作ればいいのか。送電網の整備やAIを使った需給調整、さらには燃料電池、省エネ、多くの仕組み、システムが今世界中で開発されています。こうしたことをどう組み合わせるのか。
脱原発を進めているドイツや、EUの国々、そのほかの脱原発を標榜している国々は、こうしたシステムをいかに早く、国の中に張り巡らせるかという競争に入っていると思います。これは次の時代の新たなマーケットへのチャレンジであるし、それが次の産業の基盤や成長への戦略にも繋がると思います。それが最終的にいえば、2050年カーボンニュートラルへの道になって、気候変動に対する貢献も果たしていく。
――リアリティのある政治について カーボンニュートラルを掲げながら、その手段として原発を再稼働していくというのは、世界の潮流に逆行した筋の悪い議論だと思います。そういった道筋を立憲民主党は取りません。しかしそのためには、国民の大きな力、支持が必要です。
明日、原発ゼロにするとか、そういう極端な議論はしないし、感情だけに流されない、リアリティのある政治を作りたいと思います。原発を先々なくしていくことをリアリティとともに国民に示していくのが立憲民主党の役割です。
私たちが政権を担わせてもらえても「明日やります」とか、「明後日やります」などと言うつもりは全くありません。例えば、衆院選挙で政権交代をしても、今の自民党と公明党が参院で過半数を占めているので、法律が通りません。そういったリアリティを国民に伝える中で、中長期的な社会のあり方とか、日本の政治のあり方を変えていく、そういった役割が立憲民主党にはあると思います。
10年前、民主党政権は未熟でした。それでもあの経験が大きい。リアリティが最も大事です。政治のリアリティの中で実現できることを一つひとつ積み上げていく。その姿勢が有権者の信用に繋がると思います。枝野代表も立憲民主党もそのことを十分に理解し、次の総選挙に向かっていくと決意です。
※緊急参集チームとは、内閣危機管理監、関係省庁等の局長等をメンバーとするチーム。大規模自然災害など国民の生命、身体、財産又は国土に重大な被害が生じる等の緊急事態が発生した場合、官邸危機管理センターに参集し、政府としての初動措置に関する情報集約を行うとともに、危機管理監が総理大臣に報告する情報の集約、整理をする。