立憲民主党は20日夜、党内のジェンダー平等推進をテーマに、代表選挙に立候補している4候補者と女性議員ネットワークとの意見交換会を党本部で開催しました。意見交換会では女性議員ネットワークの役員5人と会場で候補者に質問したほか、全国から女性議員がオンラインで参加しました。
冒頭、代表挙管理委員会委員の坂本祐之輔衆院議員が意見交換会の趣旨を説明し、オープンで活発な議論を通じて開かれた代表選挙にしていきたい」とあいさつしました。意見交換会の進行は、女性議員ネットワーク事務局長のはくいし恵子島根県議会議員が司会進行を務めました。
■泉健太候補
党の政務調査会長を務めており、衆院選の政権政策の中のジェンダー政策 政策集のジェンダー平等の部分では数多くの政策を書かせていただいた。党内に多くの女性議員が当事者としておられ、各現場の声をお寄せいただくからこそ、厚みのあるジェンダー平等の政策を立案することができた。今回の総選挙の結果は議席数としては厳しいものがあったが、ジェンダー平等の政策の層の厚さ、自信、誇りを持ってこれからも発信をしていかれる政策が揃っていると思っている。今回、小選挙区で議席が増えたが、比例区で減ってしまった。比例区で議席が減ってしまったことについては、もう少し細かに分析を進めていかなければならない。ただ単に立憲民主党の政策否定されたとは言い切れないと思っている。例えば、野党の共通政策を作ったり、各党と選挙協力をする中で、「比例区は立憲民主党です」と呼びかける機会そのものが減ってしまっていたということも大きな要因だったと思う。そういった意味では、ジェンダー政策はこれからもさらに、今の路線を強化していくことをまず、大前提として進めていきたい。
私は出馬の会見の時に、隗より始めよということで、私がつくる新しい執行部では執行役員の中の半分を女性にするということを明確に発表した。中には、それは無理があるのではないかとかいろいろなお声もあったが、党内の女性議員の皆さまのリストを見させていただく中で、十分に可能であると、明確に訴えさせていただきたい。当選回数、経験などといろいろなことを仰る方がいるが、私はむしろ、さまざまな期数、背景を持った方がおられた方がよいのではないかと思っている。みんなベテランばっかりの執行部である必要はないと思う。そして、パフォーマンスでなく、政策を論じたり、党の運営方針を論じる基盤として、一人ひとりがどんな背景を持ってその場所に集っているかが大事。男性女性同比率の執行役員会が誕生した時には、景色が変わる。議論の中身が変わる、視点が変わると思う。まずはそこから始めさせていただきたい。
立憲民主党の総選挙における女性比率、来たるべき参院選における女性比率についても問題があると思う。これもなるべく引き上げていくということになるが、その引上げの障害はいくつかある。たとえば、立候補する方を決定する党の選挙対策本部、選挙対策委員会のあり方。これは地方組織についても言えるが、本当に女性の持つ、政治の世界に出て行こうとする時の特有悩み、辛さに寄り添った選対が構成されているのか、こういうところから実は改めなければいけない。党の選対の構成そのもの、職員についても女性の厚みを増やして、当事者の声をより反映させる選対組織を作っていきたい。
衆院総選挙が終わったばかりだが、落選した仲間から話を伺っている最中だ。終わった後にひ非常に辛い思いをしたという声をいただくこともあった。支持者から思わぬ声を受けてしまった、いわゆる票ハラを受けてしまった──こういうことを含めて、これからどうしていったらいいのかというフォローが必要。男性も女性もそうかもしれないが、候補者になる時と選挙を戦うときまではみんなに見守られて頑張って行くが、終わった途端に誰も支援をしてくれないことが、これまでの政治の世界の常識になってしまっていた。私は、アフターフォローを含めて、丁寧な立憲民主党をつくっていきたい。
■西村ちなみ候補
私は衆議院6期目だが、その前に地元新潟の県議会議員を1期4年経験している。当時、1999年の統一自治体選挙に立候補したが、その時に都道府県議会で女性議員ゼロ議会が11あったと思う。日本海側の方が多くて、女性ゼロ議会をなくそう全国的な運動が起き、その時に私をぜひ出したいというお声掛けをいただいて、32歳で選挙に初挑戦をさせていただいた。本当に多くの女性たち、しかも立場がそれぞれ異なる女性達から大きな支援をいただいて初当選させていただいた。あの時のことを考えると、今でも感動が蘇ってくるが、本当に女性の立場から政治を変えていこうとういうことで、大きな運動が起きて、私は半世紀ぶりの新潟での女性の県会議員となった。県議会の庁舎に女性のトイレがなくて改造までされたし、本会議場である男性議員から「早く結婚して出産されることを望みます」というような発言があって即刻抗議したこともあった。男女共同参画社会基本法ができた後にはそれぞれの都道府県で条例がつくられるが、その時には新潟県の条例は、男女共同参画ではなく、平等という文字を入れて成立させることができて本当に良かったと思っている。
今回の代表選挙にこのような私が立候補させていただいているということは、私自身も大きな勇気をもっての決断だった。何とかここで政治の流れを変えていきたいと思っての挑戦だ。私は今の日本の社会の中には、あまりにも多くの理不尽が存在していると思っている。コロナ禍でより一層浮き彫りになったが、適切な医療を受けられずに亡くなる方がいてしまったり、あるいは正規・非正規の格差の中で苦しむ働く人たち──特に女性の労働者は、同じ仕事をしているのに、責任も重いのに(職務の)コースが違うだけで低い賃金に苦しむこともある。あるいは選択的夫婦別姓が、日本では認めようという所まで来ていないが、個人の人生がどうしてこのような形で、男性だから、女性だからということで制約されてしまうのか、その中で苦しんでいる方は本当に多くいらっしゃる。この流れを私は変えていきたい。一人ひとりが自分の選択で、自分らしく生きていくことができるような社会を作っていきたい。そういう強い思いでの立候補だ。
今回の立候補にあたって私は、立憲民主党の中にもっと女性の仲間を増やしたいと思っている。国会議員の候補者にすぐなってくれというのはハードルが高いと思う。自分自身が地方議会を経験してきていることもあり、地方議会からだったら、国政への挑戦は少しハードルが低いかもしれない。だから、まずは地方自治体の議会にもっと沢山の女性の仲間を増やしていきたい。とくに女性は生活感のある中で政治を考え、捉えることができると思っている。生活をしている皆さんのもとに入って行き、課題を抽出して、それを法律なり、条例なり、制度へと作り変えていく、あるいは制度の変更を求めていくのは女性が得意としている分野だと思う。そうでもしていかないと、人口減少の中で地域社会そのものがおかしくなってしまう。今は地縁、血縁が弱まっている状況。この中で崩れていくものを止めようとすることも努力をしたいと思っているが、そうではなくて崩れていくものに対して新しい、それに代わるもの、私たちが安心して暮らしていかれるための「安心の基盤」を作ることを政治の力でやっていくことも必要だと考えている。そうした具体的なことを一つひとつ実行していきたいと思っている。
■逢󠄀坂誠二候補
私が生まれたのは1959年。小さな町で、女性が参画するとかしないとかが議論にもなるようなことのない小さな町だった。ところがその小さな町で昭和30年代、町議会に原さんという女性議員がいたことを鮮明に覚えている。田舎なので町には正式な保育所、保育園はなかったが、原さんが子どもたちきちんと面倒をみる所がないとだめだということで、自分たちで努力をして小さな保育所を作ってくれて、原さんが園長で、私もそこに3年間通った。子どもの目から見て、女性がそのように活躍しているのは違和感なかった。ところが歳を重ねていくに従って、実は原さんの取り組みは極めて特殊なことだった、とくに昭和30年代から40年代にかけてのことだったので実はすごい傑出した人だったのだと後になって分かっていった。私が勤めていた役場の町議会にも女性議員がいて、宴会をすると女性議員がお酌に回っていた。そういう役回りになっているのを、これはおかしいぞと思っていた。原さんのような活躍があったにも関らず、それから20年後、30年後に何も引き継がれずに来たことについて、ちょっと変な社会だなと思っていた。
民主的であるか否かが何かと言うと、違いを認められるかどうかが出発点だと思う。多数決で賛成、反対があるが、憲法改正の賛否、憲法議論が良いか悪いか、とさまざまな選択肢の設定がある。多数決の前に、この選択肢で良いかを決めないと多数決はできない。この選択肢で良いかということを決めるということは、それぞれの違った考え方の人がいるのだということを皆で明らかにしないと選択肢が作れない。選択肢がきちんとしていなければ、いくら多数決をやっても民主的とは言わない。みんなの違いを認めずに選択肢をつくってしまうと民主的な判断と言えなくなる。私は社会全体もそうだと思っていて、民主的な社会とは、違っているということを認め合うということを認め合うのが最初のことが前提になければ、民主的とは言えない。異論を封じ込めるとか、立場の違いを封じ込めるということがあってはだめだと思っている。
立憲民主党の綱領には「性別を問わずその個性と能力を十分に発揮することができるジェンダー平等を確立するとともに、性的指向や性自認、障がいの有無、雇用形態、家族構成などによって差別されない社会を構築します」と書いてある。私はこの書き方は非常に良く、素晴らしい綱領だと思っているが、言葉で書くの簡単。本当に実現できるのか、綱領のとおり、われわれが行動できるのか、そういう社会が作れるのかというのは簡単なことではない。それをひも解く鍵は小さい頃からの教育に鍵があると思っている。今回の代表選に立起するにあたって、とにかく教育に力を入れることを声高に言わせていただいているが、ジェンダー平等を解く鍵も教育にあると思っている。ジェンダー平等は難しいと思っているので、今日は多くの意見を聞かせていただいて、勉強させていただきたい。
■小川淳也候補
私は男性の立場から、女性の皆さまがどれだけ社会で感じておられる矛盾とか立場の弱さ、葛藤、苦悩とかを本当にわが事として語れるのか、逡巡しながら今日、この場にいる。いろいろと教えてもいただきたいし、聞かせていただきた。明確に言えるほどの見識、はっきりした考え、結論がないので、今日にいたるまでで、記憶に残っていることをいくつか話したい。
先程、有楽町で青空対話集会をやってきたが、かなり若い女性の方がジェンダーの問題に一生懸命取り組んでほしいと発言された。沢山の方がいらっしゃる中で、一般の方が街頭でマイクを持つのは勇気のいることなので、この間、おそらくコロナ禍でしわ寄せが現役世代の女性にいろいろな形で行っているとを反映した姿なのではないかということで受け止めた。
昨日、代表選挙候補者共同記者会見の場で東京新聞の望月衣塑子記者から、「ジェンダー平等はなぜ必要だと思いますか」という質問を発せられた。シンプルな質問だけれども、相当深い質問で、私は明確に答えられなかった。ただ、「こういう質問が出なくて済む社会がいいな」とは思った。というのも、4名の候補者で女性は西村さんお1人。たくさん記者の方がいたが、ほとんど男性。そこで女性が半分いるのが当たり前と思う一方で、女性が半分いないと何かことがおかしくなる、正常な判断とか、正常な意思決定とか差し障りがあるとお答えをすれば、それはそれで男女の違いをことさらに強調することになるし、男だったらどうなるのか、女だったらどうなるのか、ならないのか、それもまた難しい話だなと思い、結果、結論として、こういう質問が当たり前すぎて出ない社会だったらいいのになということを感じた。
ごく最近のことだが、ジェンダー不平等、ある意味女性差別と言ってもいいかもしれないが、この問題は人種差別と同じだと私におっしゃった方がいる。生まれ素性と同じかもしれないが、自分に全く選択権のないことによって社会的にある種の制約を課せられるという意味では、人種差別の問題と同様だということも聞かされた。そうしたことを含めて、この問題の根深さ、歴史、段階に関して定まった定見で言えるほどでなく、私も悩んでいる。かと言って今の状態が正常でないことはよく分かるので、いろいろと教えていただきながら取り組みたい。
安倍政権以降の政治で、矛盾を感じたり、いやだなと思ったり、おかしいなと思ったり、正したいなと思ったりすることが沢山あるが、その中の一つに、コロナ禍で国民生活に十分寄り添える言葉と政策を持たなかったことがある。では、どこが持てたのかと考えた時に、ニュージーランドのアーダーン首相、台湾の蔡英文総統、ドイツのメルケル首相だったりするが、みんな女性だ。それが何故なのか、どこから来ているのか、それを十分説明しきれない限界も感じつつ、生活実感とか、生活感情とか、そういう物から根の生えたような政治には女性の感性とか価値観が特に日本の場合、全然足りないし、制約を取り払う努力を党運営上もしていかなければならないなと思っている。
続いて、女性議員ネットワーク代表の篠田江里子札幌市議会議員、同事務局次長の中山みずほ世田谷区議議員、同事務局次長の酒井なつみ江東区議会議員、同副代表の戸倉多香子山口県議会議員から質問し、各候補が答える形で意見交換をおこないました。(1)衆院選挙での比例順位の取り扱い、参院選候補者を積極的に増やす措置、地方選挙におけるクオータ制、男女半々の「パリテ」を目標として掲げること(2)女性候補者の擁立と支援、女性やセクシャルマイノリティーの人権保障を実現するための政策を引き続き掲げるか(3)惜敗した候補者への党としてのケア体制(4)党要職への若手議員、女性議員の登用、及び党本部、都道府県連での女性比率の引き上げ(5)若者に向けてジェンダー平等をどのように進めていくか──等について話し合いました。