立憲民主党環境部門(部門長:近藤昭一ネクスト環境大臣・衆院議員)は6月3日、近藤衆院議員と党新潟県連代表の西村智奈美代表代行(衆院議員)を共同団長にして新潟県新潟市を訪れ、新潟県の水俣病患者・被害者団体からヒアリングを行いました。

 今回の視察は、5月1日に行われた環境省主催の水俣病・懇談の場で、職員がマイクを切って発言を打ち切った環境省の不誠実な対応を受け、当事者の皆さんの生の声を聞き、長く続く水俣病問題の抜本的な解決策を模索するため、5月20日の熊本県水俣市の視察に引き続き行ったものです。

 冒頭あいさつに立った近藤部門長は、熊本の懇談の場での環境省の対応はあってはならないこととした上で、公式確認から59年が経つ先日5月31日の新潟水俣病の被害や教訓を伝える式典に、出席要望を伝えたにもかかわらず伊藤信太郎環境大臣が出席しなかったことについて、「本当に残念なことであり、私は問題だと思う」と指摘しました。また、未だ水俣病は終わっておらず、患者認定されている方、されていない方、多くの方の苦しみが続いている中で、皆さんとともに問題解決に向けてしっかりと進めてまいりたいと述べました。

 続いて西村代表代行があいさつし、31日の式典に環境省の国定勇人政務官が出席した際、水俣病が環境省の原点だと述べたとの話を受けて、熊本での環境省の対応について「本当にその原点となっているのか」と疑問を呈しました。そして終わっていない水俣病の状況について皆さんから伺い、党としてできる限り取り組んでいきたいと述べました。

 関係団体とのヒアリングには、新潟水俣病共闘会議、新潟水俣病被害者の会、新潟水俣病阿賀野患者会、安田患者の会、新潟水俣病患者会の方々が出席し、新潟水俣病の概要と裁判の経緯、新潟県の取り組みや原告側の要望などについて説明を受けました。

 公式確認された年に生まれた、ある新潟水俣病患者の方の声を伺いました。

“小学生の頃に熊本の水俣病のことを勉強した。自分たちの食卓にも父親や祖父が阿賀野川で獲った魚が上がっていた。子どもだったので、「この魚食べないほうがいいのでは」とは言えなかった。水俣病が発表されてからも食べ続け、高校の時も毎食食べていた。父親も歳のせいなのか手足のしびれで仕事に支障があると言っていたが、特措法ができた時、家族に相談せずに手を挙げ、家族が知ったのは申請締切の後だった。父親は既に亡くなったが、子どものためにいい食生活をさせたいと思っていながらも、私や妹、母も同じ食生活をしていたので、同じ症状が出ることを心配したのではないか。私や家族に謝ることはなかったが、特措法を自分だけ申請して毒が入った魚を捕まえてきたという負い目を持っていたのではないかと思っている。自身も40代半ばになってしびれが出始め、それが拡大し、諸先輩方の姿をみると、こうなってしまうのではないかという不安を感じる。行政認定しても2回却下、審査に3年かかった。裁判には10年以上かかっている。一刻も早い救済を求めたい。”

 出席者からは、新潟水俣病も熊本と同様に一日も早い解決を願っており、この問題をどう解決したらいいか、国会議員として真剣に考えてほしい、との強い要望がありました。

今回の新潟視察には、近藤部門長、西村代表代行のほか、菊田真紀子、馬場雄基、森田俊和、米山隆一、渡辺創各衆院議員、打越さく良参院議員が参加しました。