国会議員の政策秘書として国政の現場で政策立案に携わってきた丸尾けいすけ総支部長に、政治家を目指したきっかけやこれから力を入れて実現したいことなどを寄稿してもらいました。
――政治を目指すことになったきっかけ
私は福岡の離島で漁業を生業とする家庭に生まれました。小学校2年生の時に母親を病気で亡くし、その後父子家庭で育ちました。漁業はバブル崩壊以降、燃料費の高騰や漁価の低迷などで経営環境は厳しく、年々目に見えて収入も少なくなってきました。また、もし父親がいなくなってしまったら天涯孤独になってしまう状況に子どもながらに大きな不安を持っていました。そういった将来への不安から、社会の仕組みや世の中が今後どうなっていくのかに関心を持つようになったのが入り口です。
また中学生の時に生徒会長として男子の丸刈り校則の廃止に取り組みました。その時に、皆で議論をしてルールを変えていくことの可能性やメリットを実感できたのも大きかったです。私は、もともと小学校の時は自分の意思で丸刈りにしていたのですが、中学校で丸刈りが義務になると、髪を伸ばし始めました。外部から自分の有りようを強制されるのが嫌だったのです。そこから個人を尊重することや、その意義をはっきりと意識するようになりました。その流れで高校生の時には子どもの権利条約に関心を持ち、子ども会議などを通じてその啓発活動をし、大学、大学院と政治学や行政学を中心に学ぶ中で政治の世界を目指すようになりました。
――これまで取り組んできたこと
もともとは行政官になって、政策立案と実施の現場を経験してから政治を目指そうと思っていましたが、大学院の時に受けた国家公務員第Ⅰ種の1次試験に落ちてしまいました。当時はリーマンショック直後で家庭の経済状況も悪く、いくつかのバイトを掛け持ちしながら勉強をしていて、どうしようかと悩んでいました。同時期に受けた国会議員の政策担当秘書には合格していて、その直後に東日本大震災が起こりました。その時に当時の民主党政権の経済産業大臣政務官だった田嶋要議員に声をかけられ、いきなり政治の世界に飛び込むことになりました。
政策秘書が政策の仕事に集中できるのは実はレアなケースなのですが、私はありがたいことにインターネット選挙運動解禁やエネルギー政策の立案など、自らがやりたかったことに次々取り組むことができました。
特に心に残っているのは、死刑判決を受けた後に再審無罪となった方に年金を支給するための立法をお手伝いしたことです。国民年金は1961年にスタートしましたが、それ以前に死刑判決を受けていた方は、社会復帰の見込みが薄いことから年金保険料を納めておらず、せっかく再審無罪となって社会に出ても無年金者となってしまいました。これは重大な人権侵害の状況であり、長らく問題視されていました。いよいよやろう、ということになり超党派の協力で救済法が成立しました。たった2人の方のためであっても多くの人が協力しさまざまな困難を乗り越えてその方々の人生を救うことができる。ここに政治の可能性を確信し、一生の仕事にしたいと思いました。
――これから力を入れたい政策、実現したいこと
前身となる政党を含めて長く立憲民主党の中で政策立案に関わってきたので、立憲の政策のほぼ全部を実現させたいです。大きな枠組みで言えば、政治の信頼を取り戻し、未来を切り開く強力な武器にすることです。先に挙げた再審無罪者の年金問題のように、政治や立法は強力なツールです。しかし有権者の信頼という推進力がなければ政治はその力を発揮できません。自民党の裏金問題によって政治全体に対する信頼が大きく損なわれた昨今は、特にそう思います。
人口減少社会にあっても健康で文化的な生活を送ることができる社会を維持するためには、自由と多様性を尊重し、一人ひとりの能力を最大限引き出すことができる環境が必要です。立憲民主党の基本理念と重なるのですが、そういった環境を実現できるまっとうな政治に取り組むなかで信頼を築き上げていきたいと思います。
――日々の活動で大事にしていること
私もひとりの有権者であることを意識しながら活動、生活しています。秘書として活動している中で、政治家と有権者はそれぞれ立場が違うと、お互いが線引きをしているような気がしていました。政治家としての自分を意識して活動に没頭してしまうあまり、一市民、一生活者としての自分を忘れてしまうと、日々向き合う方々が政治をどう見ているか、何に困っているか、そしてそれがどのくらい大変なことなのかについて思いが至らなくなってしまう気がします。目下のところ3児の子育てで家事や育児に関わっていますが、今後も忘れないようにしたいと思います。
――衆院選に向けた決意、意気込み
私が総支部長を務める福岡1区は人口も多く、地理的にも象徴的な選挙区です。しっかりと存在感を示す戦いにしなければなりません。次期総選挙を目指す候補予定者で12年間政策秘書として国政の現場で働いていた人は、与野党通じてもあまりいないと思いますので、即戦力の新人として立憲民主党、そして政治そのものの可能性に気付いていただけるように頑張ります。