「ものづくり産業労働組合JAM」の初代会長を務め、本年1月にご逝去された服部光朗氏の「お別れの会」が5月9日、東京都内において開催され、立憲民主党の野田佳彦代表が政界を代表して弔辞を述べました。
野田代表は弔辞のなかで服部氏が、「ものづくり産業こそ国の土台である」という信念のもと、20年にもわたる粘り強い労働運動と中小企業の産業基盤整備に長年力をつくされた氏の活動に敬意を示しました。そして、服部氏が初代会長を務められた、現在の「ものづくり産業労働組合JAM」の結成が、総評・同盟の枠組みを超え、現在の連合運動の礎となったことについて「労働運動と政治、ものづくりと社会、その全てを繋いで支えた服部氏の『ものづくりの誇り』『連帯の精神』が当時の民主党結成の際、働く者の声を届ける政党としての礎になりました」と述べ、故人の功績を称えました。
服部光朗氏は1939年生まれ、1962年ヂーゼル機器株式会社(現在のボッシュ株式会社)に入社、1963年に同社労働組合の執行委員、69年に委員長に就任し、1993年ゼンキン連合会長、1999年JAM初代会長を務めた。