NPO法人「珊瑚舎スコーレ」理事長の星野人史さんに学校とは何か、いま北海道に設立準備中の「モシㇼナァスコーレ」等について話を聞きました。

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学校は権力者にとっていい装置

 人は変容する生き物であり、その変容の手助けをする一つが学校です。人はかつてすごくいい装置を作ったと思います。
 珊瑚舎スコーレの「スコーレ」 (scholē) は、元々は古代ギリシャ語「閑暇」「ひま」を意味する言葉です。生き物は大体、採食(食べること)と繁殖(子孫、新しい命を作ること)と休息の3つで1日が構成されている。面白いことに、ギリシャの人たちは、この3つではない時間を手に入れたときに、この解放された時間を「スコーレ」と言ったんです。こんな考え方を作ってくれたことに感謝ですよね。そして元々「暇」であった「スコーレ」がやがてスクールの語源、人々が集まり学び合う場になっていく。すごいなと思います。
 ただ、人の学びを保障する装置として作った学校は、権力者にとっていい装置だった。子どもたちは純真だから、素敵なお兄さん、お姉さんだなと思ったら、ブレーメンの笛吹き男のようにある方向にどんどん持っていくことができる。そういうことに気づき、やがて学校はリベラルアーツの世界から別世界に行ってしまう。要するに、いい装置だと気づいた人が学校制度を作っていくわけです。
 日本にはかつて寺子屋といういいものがあって、異年齢が集い、個別指導、生徒同士が教え合っていた。福沢諭吉がすごいと思うのは、封建時代に生まれながら、自立した個人の集団が最も強い国家になると言っていたということです。こういうことを言っているのはフランスの学校制度を見た人たちで、かたやプロイセン、ドイツの学校を見た人たちは軍国主義的な学校制度を推奨する。子どもたちを国づくりに使う必要がありましたからこっちがいいと。初代の森有礼文科大臣によって1886年(明治19年)に学校令(第2次世界大戦前の国家主義教育の方向を確定したもの)が制定され、福沢諭吉はそれに対して「百年の禍根を残すぞ」と言っていましたが、その残滓(ざんし)のようなことがまだまだ根強く残っています。じゃあ福沢諭吉の言う通りしたらどうなったのか、すごく面白いと思います。遅ればせながら僕はそんなことをやろうとしているのかなと思います。

独自の文化を後世に伝える

 僕たちはすっぴん学びで、学びの喜びを体験できる学校を作りたい。沖縄で20年以上やってきたので、次は北海道。札幌市の手稲山麓に「モシㇼナァスコーレ」開設に向けて、資金集めのため歩き回っています。

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モシㇼナァスコーレ完成予想図

 二つの星と書く、学校法人「雙星舎」は、日本列島の北と南の星の意です。どちらも独自の文化を作り上げてきた人たちが暮らす地で、その文化を後世に伝えていく必要がある。作る発想が違うし、考える発想が違う、とても多様で価値があるものです。
 北海道の町議会の議員さんと話をしたとき、「沖縄がうらやましい」と言われていました。「沖縄には街中に三線や琉球舞踊といった教室がたくさんあって、学びたければ学べるでしょう。北海道では一つもない。観光施設などに行かないといけない。私たちは差別、抑圧されて消されていくんですよ。議会だって、町議会単位にしかアイヌはいない。沖縄がうらやましい」と。
 アイヌや沖縄の文化は素晴らしく、美しい工芸品は異彩を放っています。ああいうものを正当に評価しないといけない。アイヌの言葉や歴史、文化などをカリキュラムに組み入れようと準備しています。アイヌの方がたまたまこの国の中に置いていってくれたものを尊重して、子どもたちが変容していくための力に使わせてもらおうと思っています。

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