東日本大震災・原発事故 10年を超えて それぞれの「あの日」から
金子恵美 衆議院議員(福島県1区)

議員会館事務所で国会質問の準備をしていた時に被災したという金子恵美議員。福島県入りしてから3日後に自宅にたどり着くまで、各地の避難所、行政機関などを訪れ、ニーズを把握し、与党として被災地の情報を集約していた民主党幹事長室に報告したと語る。

避難所に女性、障がい者の視点が欠けていた

――発災当時について 震災時、参院議員だった私は、議員会館事務所で参院職員と一緒に国会質問の準備をしていました。当時の岡田克也幹事長から副幹事長の私に被災地の情報収集の指示があり、動いたのを覚えています。政府は政府のルートで情報集約をしていましたが、被災地の状況がなかなか分からないということでした。私は、地元に戻っていた福島県選出の民主党衆院議員からファックスや電話を通じてニーズを把握し、岡田幹事長に報告していました。15日には福島行きの航空便に搭乗でき、同日中に福島空港に着くことができました。そこから県北の伊達市の自宅まで、途中途中で長蛇の列の中、ガソリンを少しずづ購入し、避難所や行政機関を回りながら、3日後にやっと自宅にたどり着きました。

――避難所の様子について 避難所に入っていきますと、私の腕を掴み、手を握りしめて「困っているんです」と言う女性が多くいました。「女性特有の生活必需品が欲しい」とか、「下着が一枚もないんです」と。最初は本当に何もなかったですから。徐々に着替える場所とか、洗濯物を干す場所とか、きちんと男女で分けるようになりました。車いすの方がいる家族が避難して来た時、「1階はいっぱいだから2階へどうぞ」と言われていましたが、エレベーターもありませんでした。そこに居合わせた私が仲介して1階にスペースを確保してもらったこともありました。

 高齢者や障がい者など災害弱者がどこに住んでいるかを地域で全く把握できていませんでしたし、福祉避難所も整備されていませんでした。逃げたくても逃げられなかった方々がいただろうし、原発事故が起きた後も被害のある区域に残されている方々がいました。安否確認の協力を申し出てくださったボランティアやNPOがいましたが、要支援者がどこに住んでいるかが分からないし、個人情報保護法や条例によって個人情報を出せないという問題がありました。

 それでも全国各地の障がい当事者の方々から「安否確認をしたい」という声が広がり、南相馬市だけは、NPOに個人情報を提供することを決定しました。これは法や条例をどう解釈するかの問題でしたが、命に関わる事態である場合、情報提供して良いのです。それをきちんと南相馬市が実行し、その結果、安否確認ができるようになりました。

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「子ども・被災者支援法」に則った復興再生を

――国政で力を入れている活動について 東日本大震災・原発事故からの復興再生はまだまだ道半ばです。昨年の通常国会で復興庁を10年延長するための法改正が実現しました。つまりまだ終わっていないということです。特に福島では県外避難をしている方が約3万人います。最後の1人まで取り残さないで支えていきたいと思います。そのためには、私が提出者の1人として成立させた「子ども・被災者支援法」を本来の目的に沿って運用することです。  

 この法律は、与党だった私たちが「経済復興だけでなく、人の復興も進めていこう」と仲間とともに立法作業に取り掛かり、野党だった自民党などにも呼びかけ、与野党の全会一致で成立させた議員立法です。県外避難者に対する予算措置も含まれています。

 役所にとっては、嫌な法律かもしれません。なぜなら役所は、県外に行ってしまった方々、自主避難している方々を「もう避難者ではない」と線引きしたいからです。実際、政府関係者の中には、県外に自主避難した方々は「避難者ではない」と主張する人々もいます。

 現在、県外避難者のために全国26カ所に支援拠点があります。自主避難者は、全国各地に避難し各地で生活しているからです。その方々をきちんと支援するのが法の趣旨ですが、相談窓口のような機能に留まり、支援が十分行き届いていないのが実態です。福島県も県外避難者の住宅支援をずっと前に止めてしまいました。本来、子ども・被災者支援法によって、避難している限り支えていけるのです。

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「心の復興」、「人を中心とした復興」へ

――「子ども・被災者支援法」の活かし方について 子ども・被災者支援法はプログラム法なので、政府、つまり復興庁が基本方針を作ることになっています。立案時、いろいろな方の意見を聞いて作りましたが、そこから乖離してきています。自民党に政権交代して、私たちが思いを込めた基本方針ではなくなっています。一言で言うと、今の基本方針は、骨抜きにされ、改悪されていると思います。

 子ども・被災者支援法の一番の理念は、避難する権利、避難する意思、留まる意思、そしてまた帰還する、戻る意思などさまざまな意思、行動を尊重すると宣言しています。これはとても重要な理念です。避難をしていようが、避難先から地元に戻ろうが、あるいはもう避難をしないでずっといようが、皆さんそれぞれの意思というものがある。それを尊重することを基本理念にしています。県外避難をすることを選んだ方々への支援を止めてはいけないと思います。

 基本方針では、被災者の声を聞くことになっています。なぜ被災者の声を聞くようになっているのか。きちんとニーズに対応できる基本方針を作り、それに基づいて施策を進めていくためです。同法施行後、しばらくはタウンミーティングを開いて、基本方針の案を皆さんに見てもらい意見をもらって作成していました。ところが数年前からタウンミーティングを開いてない。政府が基本方針を改訂して、「これでやりましょう」という形になってしまいました。これは法律的に問題があります。

 それから「言われなき差別があってはいけない」ということも理念になっています。今、新型コロナ感染症の問題が発生し、「福島差別」のことを思い出さざるを得ません。あの時と同じことが起きてしまったのかという思いになります。当時、放射能の問題で県外に避難した子どもたちがいじめにあったり、差別を受けたりということが随分ありました。法律で差別はいけないと明確にされていることを知ってもらいたい。プログラム法ではありますが、基本方針がきちんとしていれば、良い施策を進めることはできます。私たちが政権をまた取ることができれば、基本方針を改め「誰一人取り残さない」社会、日本を作っていきます。

 福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想とか、東京オリパラも復興五輪と言われ、光が当たっているところはあります。光が当たっていることを望ましいと受け止めている方々がいる一方、まだまだ多くの方々が避難している状況です。県内にも多くの方が避難しています。そうした方にまだ光が当たっていないと思います。心のケア、ますます必要になってきますし、これからすべきことは、「心の復興」、「人を中心とした復興」だと思います。

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