東日本大震災・原発事故から 10年を超えて それぞれの「あの日」から 
田嶋要 衆院議員(千葉県1区)

党環境・エネルギー調査会長の田嶋要衆院議員は10年前、福島県に設置された政府の原子力災害現地対策本部長を務めた。それ以前は「原発ゼロ」を考えたこともなかったというが、今では「世界一の自然エネルギー立国」を目指している。現地対策本部での取り組み、そこからの教訓、自然エネルギー立国への道について聞きました。

「鬼迫」をもってしか臨みようがなかった

――震災当時の様子について 実は日本にはおらず、インドに向かう飛行機の中で、機長から「日本で大きな地震が発生した」と告げられました。当時、経済産業大臣政務官に就いていた私は、インドでクールジャパンについてプレゼンテーションする予定でした。現地に到着するなり、出迎えた日本の大使館関係者からドサッと資料を渡され、搭乗してきた飛行機で帰国するよう言われました。空港で数時間過ごした後、日本に戻りました。

 帰国してからは、経産省が原子力事業を所管していたので、海江田万里大臣(当時)とともに省と総理官邸を何度も行き来し、福島第一原発の事故対応に当たりました。3回もの原子炉の水素爆発、ベントの不具合、メルトダウンなど、原子力保安院や東京電力の専門家と呼ばれる人たちが予想していなかったことが次々に起こりました。こうした危機に遭っても誰一人、技術のことを分かって向き合える人がいなかったのです。この時、専門家たちが非常に頼りなく、当てにならないことを痛感しました。

 第一原発の事故で非常に緊迫した状況にあっても、保安院や東電から一向に正確な情報が上がらない中、菅直人総理が「東電じゃ駄目だ。東芝を呼べ、東芝を呼べ」と、叫んだのです。つまり、東電はメーカーが造った原発を稼働させているだけだから、機器のことが何も分かっていないと。それで「東電じゃ駄目だ、東芝を呼べ」と。その後、すぐに東芝の原子力に一番詳しい人がやって来て、危機対応に協力してもらいました。

――菅総理の被災地視察や政府と東電の統合対策本部への批判について 世論から強い批判を受けたことは承知しています。ただ、私は、菅さんのような気迫、気迫の気は鬼かもしれませんが、鬼の迫るような「鬼迫」をもってしか臨みようがなかったと思います。民間会社である電力会社に「命がけでやれ。撤退するな」と。「法律的根拠は何ですか」と真面目に聞かれたら答えがないような時に国民の命と暮らしを守るためにやり切りました。

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官邸は現地の声にもっと耳を傾けるべきだった

――現地対策本部長としての決意について 5月29日、菅総理から私の携帯電話に直接連絡があり、原子力災害現地対策本部長の打診がありました。率直に言うと、もう政治家冥利。私は「命をかけて頑張ろう」と思ったのです。ある意味、「良し」という思いでした。

 私の政治信条は、ホームページに載せてありますが、第一番目が「一番困っている人のために汗をかく」です。当時、それは福島の方々だと思い、翌日か翌々日には福島に向かいました。それから3カ月、98日間にわたって同じホテルに滞在し、現地対策本部に詰めました。

――現地対策本部長のミッションについて 原発事故を受けて政府は、福島県でさまざまなオペレーションを稼働させていました。その全体を政務の立場から私が統括し、副本部長に就いた原子力保安院の出向者が実務の全体を仕切りました。配下には、事故を起こした東電をはじめ、経産省、文科省、厚労省などの役所、さらに自衛隊からも人材が派遣され、総勢で100人規模の体制でした。

 現地に初めて赴任した日のことは今でも忘れられません。その日、被災地の首長が集まった会議があったので、そこであいさつしました。すると、浪江町の当時の町長から「正確な情報がない中、うちの町民たちは、2日か3日か、要するにあてもなく、原発から離れるような方向に歩いた。途中、川の水でご飯を炊いて、おにぎりを作って皆に配ったが、その川が放射能で汚染されていたと後で知った。政府が情報を出さないから、こういうことになったのだ」と厳しく非難され詰め寄られました。

 また私が特に気にしたのは、子どもたち、それから妊婦さんのことでした。福島県庁のそばの保育所や幼稚園に行き、お母さんたちと車座集会を何度も開きました。家族が分断されバラバラになる悲惨さということがありましたので、よくよくそうした方々の生の声を聞かなければと思い、東京から政治家が来た時に連れていきました。避難所の体育館にも連れていきましたが、取り囲まれて、かなりひどいことや厳しい言葉をぶつけられました。

 私の役目は、国に対しての全ての苦情を聞くことだと受けとめていました。そして国会議員であっても、現地にいたので、国と戦わなければいけない立場にありました。第一のミッションは、住民の苦しみを受け止め、住民の苦しみに寄り添い、その上で国に向き合うということでした。

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――現地から見た東京の官邸や東電本社の対応について 現地側にいた唯一の国会議員として痛感したのが、現地に相談なく勝手に「本社」で決めることが多過ぎたということです。それは東京電力だけでなく、官邸の意思決定もそうでした。現地の対策本部長の私も、福島県知事や南相馬市長も地元紙の『福島民報』と『福島民友』の記事で初めて知る政策決定がかなりありました。それをもって、国会議員である私にクレームが来ました。当時、担当だった細野豪志総理補佐官に何度も注意しました。

 現地にいた立場としては、福島県の知事らが怒るのは無理もないと思いました。本当に何度もそういう経験をしましたから。現地現場の声を大事にし、現地現場に相談をし、現地現場との情報共有を図ることができなかった。これは一つの反省点です。今後、また危機管理の局面に遭った時には、情報共有、情報発信、そして現場主義を徹底しなければいけないとつくづく思います。

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洋上風力、ペロブスカイト太陽電池など人類英知の発揮を

――原発のあり方について 震災から10年を経て、放射線量が下がり、もうタイベック(防護服)などは誰も着てない。ただ、原発事故に関わった人間として、むしろ何というか、やるせなさというか、徒労感の方が強くなっています。いまだに3万人か4万人が家に戻ることができていない。名古屋市と同じ面積かそれ以上の土地に人が戻れないままになっているわけです。福島第一原発の事故処理費用(廃炉、賠償、除染、汚染水処理)にどれくらいコストがかかるのか。今分かるだけでも10数兆円かかるという。民間シンクタンクの試算では、今でも最大約80兆円とも指摘されています。

 2050年までにこの事態が終わると思っている政治家はいないのではないでしょうか。その頃に自分が国会議員でいると思っていないから、無責任になってしまう。要するに全員の無責任状態を作ってしまっている。だからそもそも、こんな事態を引き起こすような根っこの技術自体を、人類は手を離すべきだというのが私の考えです。今を生きる人間たちが、誰一人責任も取れないような原発問題。核のゴミが安全になるまでに10万年もかかる。その事実を前にして、誰が責任をもって見届けられるのか。誰もいないでしょう。

 今、時代は劇的に変わった。原発のようにリスクの高いものを使わないで、やれることがたくさん出てきている。洋上風力、ペロブスカイト太陽電池(※1)もある。これは人類の英知です。人間の凄さというのが、こうやって発揮されているのだから、人間の手に負えないような原発に相変わらずしがみつくというのは、愚かとしか言いようがないです。

二兎を追うことが私たちのミッションです

――原発のなくし方について 実は私自身、それまで「原発ゼロ!」など、考えたことがなかったのです。民主党政権でも福島第一原発の事故に遭遇するまでは原発輸出も含めてかなり推進していました。あの事故を身をもって経験し、「自分は間違えた」とつくづく思い知りました。それ以来、今日まで脱原発、自然エネルギー立国に向けて政策研究を進めてきました。

 自然エネルギー立国を構築するために私たちは、二兎を追わなければいけません。それは原発をなくし、CO2もなくすというミッションです。これは私自身を含めて、人類がこれから追求するにふさわしい、非常に大きな課題、人類ゴール、ヒューマンゴールだと思います。不可能なことではありません。さまざまなイノベーションと人類の英知を使って、成し遂げていかなければいけないと思います。

 原発の議論はすでに終わっています。原発をその選択肢と考えること自体がもうあり得ません。原発は高コストであり、全く経済合理性がないからです。ところが原発ムラは、CO2が出ないからといって、また息を吹き返そうとしています。自民党でも小型原発を最近よく主張しています。これを押し進めようとする原発ムラの強さというのは他に類を見ません。

――CO2のなくし方について CO2をなくすこと。これも非常にワクワクするような新たな挑戦のテーマを人類はもらったと言えるのではないでしょうか。おそらく勝つことは分かっています。地球を守っていくためにどう勝つか。原発のように大きな汚染を出さずに、人類が生き続けられる場としての地球を守るために、これから30年間、新しい産業、新しい技術、イノベーションで成し遂げなければならない。私たちはやりきりたいと思います。

 CO2を出さないためには、水素社会、それにはアンモニア技術もある。日本の全固体電池のような蓄電池技術など、ワクワクする技術がある。例えば、私の地元千葉県の銚子では、洋上風力発電の計画が進んでいます。それから浮体式洋上風力発電も長崎県で実用化されています。これから30年後、50年後には、個々のビルなども全てソーラーになるでしょう。一部のメガソーラーのような、里山などの自然破壊につながるようなものは止めさせる。各家庭の屋根はソーラー発電やペロブスカイトも当たり前になるでしょう。

 製鉄産業は我が国の産業界ではCO2を一番出します。その製鉄産業は今、石炭を使わず、水素で鉄を作ることに懸命に取り組んでいます。まだまだ日本では試験的ですが、スウェーデンなど、北欧の国々ではだいぶ進んでいるようです。日本で実用化できれば、CO2を出さなくなります。

 もう一つは、電気に化けると書く、電化です。今まで化石燃料を使っていたものを新たに電気に変える。一番分かりやすい例が自動車です。つまりガソリン車は終わりにして、電動自動車に変えていく。

 それから省エネルギーも重要です。1990年くらいまで日本は、省エネルギー立国を標榜していました。それが今や一番省エネしていない国になってしまいました。もう一度、省エネルギーに注力することによって、建築物の省エネルギーを飛躍的に高められます。このような取り組みを合わせていけば、そのトータルで2050年にはCO2を出さなくて済む国を目指していけると信じています。

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自然エネルギー立国で地域への投資が進む

――日本が世界で最も得する国になるとは 自然エネルギー立国を進めていくと、日本は世界で最も得をする国の1つになります。なぜならば、海外に資源の100%を依存した国だからです。これまでの日本は、一番ハンディのある環境、つまり中東から油を買わないと生きていけない国だったわけです。ところが今、油を買わなくても生きられる可能性が出てきたのです。

 日本みたいにCO2を出す地下資源を買い続けて、生き延びてきた国にとって、今奇跡のようなことが起きている。本来は、デンマークのように、風力も太陽光も広げなければいけないのに、政治が駄目だから、先進国で最も遅れてしまっている。非常にもったいないことです。

 立憲民主党が政権を取ったら、「世界一の自然エネルギー立国」を創ります。毎年約17兆円も海外にエネルギー代として支払っている資金が、海外に出て行かなくなります。その17兆円はその分、地方に投資します。これは本当に元手がかからない、最高の地域への投資になります。一番明るい未来を作る道は、もうこれしかない。これしかないのです。

1 ペロブスカイト太陽電池は、インク状にした原料溶液を基板に塗り、太陽の光エネルギーを直接電気に変換する太陽電池。

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