泉健太代表は、東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故から13年を迎えた3月11日、宮城県岩沼市、仙台市若林区、多賀城市を訪問し復興への誓いを新たにしました(写真上は、千年希望の丘慰霊碑で話をする泉代表ら。左が佐藤淳一岩沼市長)。
■レトルト食品工場を視察(岩沼市)
レトルト食品製造を行っている「にしき食品」を視察。「にしき食品」は1939年創業、当時は佃煮や豆腐などの惣菜を主に製造し、1975年からレトルト食品製造を開始。東日本大震災では地震と津波で被害を受けたものの、発生から45日で工場を再稼働させました。現在はプライベートブランド食品製造と、自社ブランド「NISHIKIYA KITCHEN」の展開に力を入れており、「NISHIKIYA KITCHEN」は県内4店舗の他、東京でも2店舗展開しています。
泉代表らは、代表取締役の菊池さんの案内で製造ラインなどを視察。その後、震災当時の話から復興までの説明を受け、意見交換しました。電子レンジ対応のレトルト食品の開発もしているものの、従来のアルミパウチ食品は、温めるだけで簡単に食べられ、賞味期限も長く、災害などのときにも役に立つといった話がありました。
商品では、仙台市若林区の井戸地区で育てている井戸ねぎを使ったポタージュなど、素材にこだわった商品作りを行っており、一番人気は「レモンクリームチキンカレー」とのこと。
■千年希望の丘慰霊碑に献花(岩沼市)
千年希望の丘は、仙台空港のすぐ南側に位置しています。岩沼市の沿岸部にあった6つの地区(相野釜、藤曽根、二野倉、長谷釜、蒲崎、新浜)の住民は、東日本大震災の大津波により、沿岸から内陸へ約3km離れた場所に集団移転。「玉浦西」という新しいまちに移り住んでいます。「千年希望の丘」は被災した6地区を活用し整備。それぞれの地区の名前を6つあるそれぞれの公園の名前に残しています。
泉代表らは、相野釜公園の慰霊碑前に設置された献花台に花を供え、交流センターで当時の状況について佐藤市長らから話を聞きました。
■JOCA東北を視察(岩沼市)
青年海外協力隊経験者が中心となり設立されたJOCAは、JICA海外協力隊の育成や支援を行うとともに、途上国支援で培った経験やノウハウを国内で社会貢献に活かそうと取り組んでおり、JOCA東北はその一拠点。
東日本大震災では、災害救援専門ボランティアを派遣し救援・復興支援を開始。その後、岩沼市と協定を結び仮設住宅サポートセンターの運営業務を開始。入居されている方の孤立を防ぐ活動を行い、その結果、仮設住宅で一人も自死者を出さなかったことから連携を強化。玉浦西地区まちづくり検討委員会にも参加。現在は市内に、保育所、障がい児・者のデイサービスなどの福祉サービス事業、天然温泉、そばなどを提供する食事処、ウェルネス(健康増進施設)を併設した施設を展開しています。
泉代表らは、JOCA東北代表の北野一人さんとIWANUMA WAYプロジェクトの河合憲太さんからこれまでの経緯や施設の説明を受けた後、施設内を視察しました。
■NHK仙台放送局「定禅寺メディアステーション」を視察(仙台市青葉区)
泉代表らは、NHK仙台放送局「定禅寺メディアステーション」の東日本大震災メモリアルを視察しました。
■東日本大震災慰霊之塔(荒浜慈聖観音)で献花・黙祷(仙台市荒浜地区)
発災時刻の14時46分、泉代表らは仙台市荒浜地区にある東日本大震災慰霊之塔(荒浜慈聖観音)で黙祷を捧げました。
■多賀城駅前公園で献花(多賀城市)
泉代表は多賀城駅前公園のモニュメント前に設置された献花台に花を供え、多賀城市の当時の状況や復興について深谷晃祐市長から話を聞きました。
■陸上自衛隊多賀城駐屯地を訪問(多賀城市)
多賀城駐屯地は地震発生後、直ちに出動態勢を整えたものの津波が駐屯地内に流れ込み、多くの車両が水没するなどの被害を受けました。そうした状況の中で人命救助、行方不明者の捜索などを行いました。また、発生直後には一時的に周辺の避難者の受け入れを行いました。
泉代表らは、当時の状況の状況や現在の活動、装備等について、連隊長、副連隊長、当時の状況に詳しい第4科長から話しを聞き、意見交換を行いました。
多賀城駅前公園で記者団の取材に応じた泉代表は、「県民・被災地のご努力でインフラの復興はずいぶん進んだ反面、人口現状の問題、避難した方々の高齢化という問題もあり、われわれとしても引き続き被災地の支援をしていきたい」と語りました。
今回、泉代表とともに、岩沼市内では岡本あき子衆院議員、柳沢剛・衆院宮城3区総支部長、枡和也・宮城県議、布田恵美・岩沼市議、東日本大震災慰霊之塔には、鎌田さゆり衆院議員、石垣のりこ参院議員、鈴木澄恵・仙台市議、多賀城市内では岡本衆院議員、平岡静香県議、竹谷英昭・多賀城市議がそれぞれ同行しました。