東日本大震災・原発事故から 10年を超えて それぞれの「あの日」から
玄葉光一郎 衆院議員(福島県3区)

 発災した当時、民主党政権の国家戦略担当大臣として国会審議に出席中だったという玄葉光一郎議員。党の政策調査会長を兼務し、さらに被災した福島県を選挙区とする議員として、未曽有の災害に「前例のない対応」「ピンチをチャンスに」との方針で災害対応に当たったと語る。

縦軸にも横軸にもない未曽有の災害

――震災当時の様子について 当時は民主党政権であり、政府の国家戦略担当大臣と党の政策調査会長を兼務していました。3月11日の午後2時46分、参院の決算委員会に閣僚として出席、答弁席にいた時のことでした。すぐに審議が中断になり、私は国会内の政調会長室に一時避難しました。その後、首相官邸の危機管理室に招集されましたが、そこでは携帯電話がつながらず、上階に移動し対応に当たりました。

 今、世界を襲っているCOVID-19は大変深刻な事態ですが、縦軸、つまり世界人類の歴史から見ると、そこには感染症の歴史と言えるくらい多くの事例を見つけられます。横軸を見ると、台湾やニュージーランドが上手く対応していたり、アメリカの対応に疑問符が付いたりというようにさまざまな参考事例があります。ところが、東日本大震災は、地震、津波、原発事故が重なるという未曽有の複合災害であり、古今東西を見ても類例のない事態でした。

 未曽有の災害に対応した民主党政権には、根強い批判があることは承知しています。私たちは政治家ですから、どんな批判も、クレームも、思いも、悲しみも全部受け止めなければいけない。その上で1つ申し上げると、菅総理が事故発生翌日にヘリで東京電力福島第一原発に向かったことが非難されましたが、福島が地元である私は、行ってもらって良かったと考えています。

 現地視察で何が起きたかと言うと、第一原発の故吉田昌郎所長と総理が直接つながりました。当時、官邸には、東京電力幹部が常駐していたのですが、なかなか信頼できず、コミュニケーションに困難な面がありました。ところが、第一原発の吉田所長と直接つながって、自分の命に代えても第一原発を守るという強い決意をもっている人だとわかりました。その所長との信頼関係の上にコミュニケーションできたことはものすごく大きなことだったと推測します。

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前例のない対応、ピンチをチャンスへ

――未曽有の事態にどう官僚を率いたのですか 起きた事象に前例がないので、「前例主義はダメだ。対応策は全て前例にとらわれなくていい。前例のない対応をしよう」というのがまず1つ。もう1つは、「起きてしまったことを嘆いていてもしようがない。この大ピンチをチャンスに変えるためにどうするか。ピンチは、それは見方を変えればチャンスだ。チャンスに思い切って変えるくらいの政策展開ができないか」と発破をかけながら、「やり過ぎではないか」と言われるほどあらゆることに取り組みました。

 例えば、東京電力から個人に対する賠償の仕組みを設けました。所得税率に2.1%を上乗せする復興税を導入し、25年間続けることで10兆円以上の復興財源を作りました。縦割りを排した実効力ある組織として復興庁も創設しました。

 それから3.11がなければできなかったであろう相馬から福島に到る高速道路や三陸縦貫自動車道。これについては宮城県の村井知事が先日、新聞紙上で「これは自民党ではできなかった。自分は政治主導の民主党政権に乗っかり、かなりやってもらった」旨のことを言っていました。私たちのおこなったことにいろいろな評価があるのは承知していますが、復旧復興へのレールを相当敷けたのではないかという自負もあります。

 また、グループ補助金という制度を作りました。壊滅したさまざまな製造業などの工場が再建するにあたって、4分の3を国庫で補助し、4分の1を無利子融資という制度です。これはすごく効果を発揮しました。東京電力からの賠償とグループ補助金によって、復興のスピードを加速させたと思います。

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再生可能エネルギーの先駆けの地へ

――当時の福島県知事への提案について 大きく分けると2つありました。1つは、低線量被爆の問題で多くの県民が心配をしていましたので、福島県における放射線医学を大きく進展させ、47都道府県での健康面での一番を目指そうと呼びかけました。そのための福島県立医科大学の大幅な機能強化をおこないました。

 もう1つは、原発事故があった福島県を再生可能エネルギーの先駆けの地にしようと提案しました。具体的に言うと、産業技術総合研究所の再生可能エネルギー研究所を誘致しました。福島県は県内の1次エネルギー供給は全て再エネで賄うという目標を立てました。

 ところが自民党政権に代わり、国のエネルギー政策が変わってしまいました。再エネに向かって一直線で進んでいたのですが、また原発依存に逆戻りしました。私はそれを「失われた8年」と言っています。ただし、そういう中でも福島県は、目標に向かって頑張っています。

 今回我々が取りまとめた復興提言では、政府がカーボンニュートラル宣言を出したことを受けて、福島県がその目標の大幅な前倒しに取り組めるよう、まさに再エネのトップランナー、再エネの先駆けの地にしていくことを政府をあげて支援することを提言しています。

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政府与党が踏み込めないことを提言

――提言の取りまとめで心を砕いたことについて 政府与党が踏み込めていないことに切り込んだ提案にしようと議論しました。福島県について言うと、福島第一原発の周辺以外は復興はかなり進展しています。中通りや会津に至ってはもうほぼ平常通りの生活をしているとも言えます。他方で、第一原発に近くなればなるほど、まだまだ復興は始まったばかりです。被災の状況がさまざまなので、きめ細かく多様な対応が必要です。

 一番大変なのは、第一原発に近い帰還困難区域と言われるところです。その中でも復興の拠点をつくったエリア、特定復興再生拠点と言いますが、そこの整備は今進みつつあります。ところが復興拠点以外の「白地」と地元で呼ぶ、広大な面積を有する地域の復興は全くの手つかずの状態で、これが福島の最大の課題です。

 白地地域では、誰も住まなくなった家屋が野ざらしになり、除染もおこなっていません。一刻も早く、遅くとも今年の秋から組み始める2022年度予算で具体的な措置を講じて、必要な家屋の解体や除染を進めることを国が責任をもっておこなうよう提案しました。

 宮城県や岩手県では、心のケアの問題への対策が重要です。確かに住宅やまちの復興、インフラは大分整いましたが、不登校の子どもが増えています。これに対して、学校の教職員などを多めに配置をする「加配配置」を提言に入れました。

 東日本大震災である意味で花開いたと言えるNPOの活動も支援します。NPOなくして、これだけの復旧復興はあり得ませんでしたから。県外からもかなりのNPOが来て根付いたのですが、震災の風化に伴い活動の継続が財政的に困難になっています。それに対して新機軸を打ち出し、思い切った財政措置を講じることを提案しています。

 フェニックス、不死鳥のように被災地が蘇った姿を世界に示したいと思います。チェルノブイリやスリーマイルの原発事故は、地震や津波が重なるという複合災害ではありませんでした。それでも現在、チェルノブイリ周辺は基本的に放置されたままです。日本では、当時の民主党政権が全てとは言わないまでも、被災地の大方を蘇らせるという方向性を敷きました。至難の技ですけれども、それに向かって今、一歩一歩進んでいますので後押ししていきます。

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東日本大震災復興に対する34項目の提言

復興、再生に与野党なし

――政権交代で復興、再生はどう変わるか 今の自民党政権と当時の民主党政権の政策は、かなりの程度重なります。なぜなら3.11発生後、1年半という重要な時期に民主党政権で決めた方針は大きくは変わっていないからです。あえて言えば、エネルギー政策は、大きく変わりましたが、それ以外の復興政策は基本的に踏襲されています。自民党政権は、民主党政権がおこなったことを修正しながら復興を進めたので方向が大きく変わるものではないと思います。

 そういう意味で復興には与野党はありません。私たちの今回の提言の扱いについても、党で取りまとめて終わりではなく、政府と共有します。おそらく政府も虚心坦懐に私たちの提案をしっかり読み込むのではないかと思います。3.11の時に政権当事者であった私たちには、当然ですが、復興が完了するまで野党であろうが、与党であろうが責任があります。今後とも最終的な責任を負う覚悟をもって、この問題にしっかり取り組んでいきます。

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