江田憲司代表代行は5日、国会内で定例の記者会見を行い、(1)普天間飛行場の返還合意から25年(2)中央省庁再編から20年――について見解を述べました。
■普天間飛行場の返還合意から25年
沖縄の在日米軍海兵隊の普天間飛行場の日米政府による返還合意から、4月で25年になることを受け、当時橋本内閣で携わっていた一人として「四半世紀経っても、返還が実現していないなんてことは、想像もしておりませんでした。本当に残念でなりません」と語り、16日に行われる見通しとなった日米首脳会談では、菅総理に返還合意と、辺野古新基地建設の見直しの提起をするよう求めました。
辺野古新基地建設については、軟弱地盤の問題、当初予定の工費の大幅増加、完成時期の延期を指摘し、「実現不可能ではないか。仮にできたとしても、30年代なかば以降[の完成予定(当初は22年度以降)]ですよ。もう東アジアの安全保障環境もガラッと変わっているのではないでしょうか。できたとしても無用の長物となりかねない。このような辺野古移設を、これだけの沖縄県民の反対を押し切ってやるという神経が信じられない」と強く訴えました。
さらに、96年当時、沖縄県知事の思いは(1)普天間飛行場の返還(2)海兵隊の削減――だったと振り返り、「さすがに橋本総理も海兵隊の削減までは提起できなかった。しかし10年後の2006年には、米国の方から海兵隊削減の提案をしてきた」として、「一国の総理、トップリーダーとして外務省の言いなりにならず、リーダーシップを発揮していただきたい」と重ねて強調。当時、橋本総理とクリントン大統領(当時)との日米首脳会談で普天間返還を提起したときも、事前の外務省とのやり取りでは反対されたものの、意を決し提起したからこそ合意がなされたと振り返りました。
■中央省庁再編から20年
「いろいろな意味でほころびが出ている。総務省の問題も然り、正直申し上げると総務省という役所は、従来から言い続けているが、失敗作だ」と語り、その経緯を語りました。
その上で、今回の総務省の接待問題については、電波の割り当ても含む情報産業の規制監督と、業の振興を併せ持つ、いびつで強大な許認可官庁を作った結果だと指摘。
本来であれば、通信放送の規制監督は、政府から独立性の高い公平中立な機関に委ね、業の振興については、内閣府に情報通信庁といった、旧通産省の情報産業部門と、旧郵政省の通信業の振興部門を統合したものを作るべきだったと振り返りました。
また、子ども庁、デジタル庁の創設も取りざたされるなか、「組織を見直すのであれば、大きな俯瞰図の元でやっていただきたい」と求めました。
子ども庁については、「選挙利用、政治利用の臭いがプンプンする。(検討本部の)トップに二階幹事長が座ったことからも明らか。昨年末の内閣府の行政改革本部の報告で、子ども庁を作るべきだとの意見に対し、現行体制で対応可能だと回答している」と指摘。「とても本気度があるとは思えない。子ども行政を本当に一元化して、既存の厚生労働省や文部科学省や内閣府から全部権限を引き剥がし、60数本にのぼる法律も一元化し、子ども庁をやるというのなら、考えても良い(議論にのる)」と語りました。
そして、「(中央省庁再編・行政改革は)ライフワークなので、これからもしっかり党内外に意見を申し上げていきたい」と述べました。