難波奨二参院国会対策委員長(岡山県連代表)は28日午前、江田五月元参院議長の逝去を受け、国会内で記者団の取材に応じました。

 江田元参院議長は、1977年に初当選し、衆院議員4期、参院議員を4期務めました。2007年から3年間参院議長を務めた他、科学技術庁長官や法務大臣などを歴任。80歳でした。

 難波参院国対委員長は冒頭、「議員生活30年を超える、政治の世界でご活躍された方であり、この間、一貫して政権交代を訴えられ、政治家人生の中で、細川政権、そして民主党政権と、2回にわたる政権交代が実現したことを、生前、江田先輩は、希望が実現したということで喜んでおられました。また民主党政権から自民党政権への政権交代後は、今の政治に対して極めて憂慮されていました。『政治というものは、常に弱者のためにあるべき。そして政権交代が可能な政治状況を常に維持して、日本の民主主義の発展を実現していく。それがひいては国民の生活の安心・安定につながる』のだと訴えておられました。加えて、国際的にも、特に中国の要人とはこの間、与党時代も野党時代もそれぞれの皆さんと人脈を築かれてきた方であり、そうした江田先輩がご逝去されたことを受け、私ども後輩も、先生の遺志を継いで、わが国の民主政治の発展のために全力を挙げてまいりたいと思っています」と述べました。

 記者からの質問に対し、同日午前8時36分、岡山市内の病院で肺炎のため亡くなったと話し、病状については、「このひと月くらいで体力の衰えが顕著になってきたと感じていたところ。病院における闘病生活も、詳しくは分かりませんが、2カ月程度ではなかったかと思っている」と報告。今後の日程については、ご遺族の方と連絡を取り合っているとして、「コロナ禍で大々的なお見送りの会の実現は困難だと認識しているが、まずは今週末、家族葬をなされる方向で決定をするのではないかと思う。その後のお別れの会等々については、五月会(後援会)の皆さん、そして党本部、参議院とも相談しながら、どのような形で私どものお見送りの気持ちを表すかを決定していきたい」と述べました。