2月24日、ロシアがウクライナに侵攻してから1年。日本語と絵を描くことが大好きなズラータさんは、お母さんに工面してもらった16万円を手にウクライナを離れ、昨年4月、日本に避難してきました。その時の様子を『ウクライナから来た少女 ズラータ、16歳の日記』として出版しました。ウクライナでの出来事、現在の生活、将来の夢を聞きました。

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ズラータ・イヴァシコワさん 17歳 ウクライナのドニプル出身 現在神奈川県在住 2022年10月に出版した「ズラータ、16歳の日記―全財産16万円をもって日本避難に運命をかけた140日間の少女の日記―」はズラータさんがポーランド、日本へと移動しながら書き続けた日本語の日記です。挿絵は爆撃を受けた後の情景などをスケッチブックに描いたものです。

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——ズラータさんの故郷ウクライナのドニプロ。

 この絵はドニプロ川です。私の家の窓からも見えました。川の流れは強いです。真ん中で泳ぐのは危ないです。「遊泳禁止」の印が書いてあります。
 ウクライナは、日本よりも寒いです。今年の冬は少し温かいと聞いていますが、昔はマイナス20度までいっていました。普通はマイナス10度くらいです。マイナス20度になったら、学校はお休みになります。雪もたくさん降ります。横浜の冬は、ウクライナの秋の終わりみたいで過ごしやすいです。ウクライナの時ほど服が必要なくて、なんとかなります。

        「明日、戦争になります」

——戦争が始まった時のこと。

 私はその時寝ていましたが、お母さんは爆発音で起きてしまって、ニュースを見たら花火とかではなく、爆撃があったという話が流れたそうです。私が朝起きて、お母さんから「爆撃があった」と話があった時、最初はどこか他の場所、他の国の話だと思って、実際に近くであったとは信じられませんでした。もしかしてニセ情報かと疑って、でも本当だった。びっくりしました。
 学校では、先生が「明日から戦争になります」と言って、逃げ方を教わりました。先生は、「シェルターに逃げるように」とか「腐らない食べ物をストックするように」とか、そういう話をしました。
 また何か噂が広まっているのだろうと思って、最初はそんなに信じられませんでした。先生の話は衝撃的だったけれど、実際に戦争になるとはとても思えませんでした。でも、翌日爆撃がありました。
 その日のお昼に、お母さんとたくさんのニュースを見て、オフィシャルな情報ということが分かりました。
 そして普段は使われないサイレンが鳴るようになりました。本物の非常事態という感じが強くしました。

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爆撃が初めてあった日、銀行に現金を取りに行きました。でも、長蛇の列ができていて母と私の番が来た時は、ATMには現金がありませんでした。スーパーでは腐りにくい物とかを皆がたくさん買って、商品棚には何もありませんでした。ウクライナでは犬を飼っている人が多いです。朝歩いていると散歩している人に多く出会います。爆撃あった日も、街では犬を見かけました。

奇跡のような出会いに導かれて日本へ

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ズラータさんの祖母の家で見つけた日本語のテキスト

ズラータさんは、13歳の夏休みに祖母宅で真っ赤な背表紙の日本語のテキストを見つけました。運命的な出会いを感じたズラータさんは独学で日本語の勉強を始め、日本語の日記をつけるようになりました。これが出版された本につながっていきます。

——爆撃が始まって20日目に、お母さんに突然「ズラータ、あなたは日本に行くのよ」と声をかけられ日本への避難が決まりました。

 これも最初は信じられなかったです。なにかの冗談かと思ったけれど、でも、お母さんが本当に飛行機代や日本での保証人を準備してくれて、すごくありがたいと思いました。
 お母さんが日本の保証人とコミュニケーションとって、その方が私を受け入れてくれることになった時、私たちは、見も知らぬ私にそこまでしてくれるのか、と驚きました。会ったこともないのに信じてもらえて、保証人になってくれた。とてもありがたいと思いました。

——ウクライナから日本への道のりで印象深かったこと。

 日本に向かうために電車で移動したポーランドで、日本人の記者たちを見かけました。お母さんに、「とりあえず日本語で話してみなさい」と言われて、話しかけてみました。そこから日本への道が開かれました。その後の出会いのつながりは、ここから始まりました。

——ズラータさんは、ポーランドでコロナ陽性になり足止めされる等大変な時間を過ごす中、親友と思える友との出会いがありました。

 私は、元々誰とも深い人間関係はないし、あまり関わらないようにしていました。でも、ポーランドで偶然出会った人と会話をする中で、考えていることが似ていると分かって、また何回も話したくなって、気づかないうちに友達になっていた感じです。お互いになんとなく話しやすい。話していると気分が良くなる。
 いろいろな経験があって、それが私自身を変化させたのかもしれないと思います。この友達をはじめ、本当にたくさんの人に助けてもらって、今私はここにいます。

——日本に到着した時の印象。

 去年の4月に日本の空港に着陸した時、飛行機の窓から桜が見えました。東京と横浜はウクライナとは違う空気でした。ビルが隙間なく建っていて驚きました。

——現在の日本での生活。

 学校の授業が9時から12時半まであります。授業は日本語を勉強していますが、最近、中国語の勉強も始めました。クラスメートはほとんど中国人なので挑戦してみようと思いました。とても楽しいです。 

戦争は明日を奪うこと

——ウクライナの出来事が、日本ではどの様に受け止められていると感じますか。

 いろいろな見方の人がいます。すごく気にしている人、ボランティアに参加している人、ニュースだけ見る人。さまざまな取り方があるのは自然です。皆、同じような考え方をもっているわけではないです。
 日本の人は、攻められるとか、そういう考えはあまりない。毎日、心配があるようには見えないです。

——ウクライナ侵攻から1年に思うこと。

 こんなに長く続ける意味が何かあるのか分からないです。目的がないのにずーっと続いています。
 助けてくれたたくさんの人、戦争の状況でこそ人のつながりができるのは、とても大切です。私自身が同じことを、困っている人にしていけるようになりたいです。

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他の街から避難してきた人が「買い物に行って、戻ってきたら住んでいた寮が壊されていた」と話していました。

——ズラータさんにとって「平和」とは何ですか。

 必ず明日があるという実感です。必ず明日も起きて普通に生活して普通に過ごせる実感、明日も生きられる確信ですね。戦争は、毎晩寝る時に、明日がくるかどうか疑います。
 今は、必ず明日も起きられて、学校に行ける。その確信はあります。自分のことはそんなに気にしない。でも、ウクライナに残る親戚や友達はどうなるか。それは心配です。

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ワルシャワでお母さんと「必ずまた会えるように」と言って別れました。

生き抜く力は、いつも冷静で強いお母さんから学んだ

——本の中には、絶望しない、感謝するなど力強く生き抜くヒントが多く書かれています。

 お母さんから学びました。どんな状況になったとしてもパニックも緊張もそんなにしないで、冷静に行動をとる人です。見習いたいと思っています。

——将来の夢。

 早く日本の大学に進学して、美術の勉強をしたいです。卒業後はアニメーションの仕事を探したいです。早く自立してお母さんを手伝えるようになりたいです。学費や日本語レベルの問題で難しいこともありますが、日本の大学で学べると嬉しいです。

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『ウクライナから来た少女 ズラータ、16歳日記』(世界文化社)
咢堂ブックオブザイヤー2022 相馬雪香特別賞 受賞
埼玉県 高校図書館司書選出 2022『イチオシ本』入賞
ズラータさんの意向により、書籍の売上の一部をウクライナ人道危機救援をはじめ日本赤十字社が行う国際活動に寄付。

ズラータさんインタビュー(動画版)はこちらから